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No.023『ニャンコ先生の正体』

〇初めに
 皆さんは、『夏目友人帳』と言う作品をご存知でしょうか。
 この作品は、連載当初/テレビアニメの1期の段階では、まだ方向性が定まっておらず、試行錯誤しており、その後、現在私達が知る『夏目友人帳』と言う作品の物語の原型が完成されました。
 しかし、この作品には、大きな秘密が隠されており、その秘密について、通常の方法では手に入れることができない情報に該当します。
 この情報にアクセスする方法は、現在では、インターネットを駆使して、海外のニュース記事やSNSを通して知ることができるが、それが可能になったのは、2016年の米国大統領選挙でトランプ大統領が登場した時からである。
 つまり、それまでは、一般人が知ることすらできない情報であり、そんな情報を一部の特権階級の人間だけが入手していたことになる。
 そして、この情報こそが、この世の中で隠されている本質なのである。
 これを私個人は【本質的側面】と呼んでいる。
 【本質的側面】は、物事の本質であり、“真実‘である。
 全ての名作には、必ずこの【本質的側面】の情報が必要であり、知らなければ絶対に描くことができないものに該当する。
 だからこそ、異常事態に気が付き、勉強すればするほど、知れば知るほど、(10年以上前の作品のみ)日本のアニメや漫画やゲームの凄さを改めて理解させられるのです。
 さて、今回は、『夏目友人帳』の秘密を少しだけ語り、この作品に登場する人気キャラクター『ニャンコ先生』の正体について語って考察していくことが目的である。

*目次*
・『夏目友人帳』とは
・『ニャンコ先生』の正体
・『ダキニ天』とは
・『ニャンコ先生』の設定からの解読
・【イシス】と【アヌビス】の正体
*まとめ*

〇『夏目友人帳』とは
『夏目友人帳』は、「緑川ゆき」による日本の漫画作品である。
2007年9月号から『LaLa』で連載され、2023年9月時点で国内累計発行部数は1700万部を突破しており、アニメシリーズは2008年から6作が制作され放送され、映画化もされ、第7作品目が24年10月から放送されることになっている。


https://www.natsume-anime.jp/introduction/series7

*あらすじ*
 高校生の夏目貴志は、幼いころから普通の人には見えない妖(あやかし、妖怪)の姿を見たり、声を聴くことのできる能力を持っており、両親を亡くした貴志は、その能力のため「うそつき」「薄気味悪い」と言われ、父方の親戚を転々としていたが、遠縁の藤原滋・塔子夫妻に引き取られる。
貴志は厄介者の自分を引き取った藤原夫妻の愛情に報いるため、自分の能力を隠しとおすと決めていた。
ある日、「名前を返せ」と言う妖に襲われた貴志は、逃げる途中祠に封じられた妖怪・斑(まだら)の封印を解いてしまう。
貴志を見た斑は「夏目レイコじゃないか」と尋ねる。レイコは貴志の母方の祖母だった。貴志はレイコの数少ない遺品の中から「友人帳」を見つける。
友人帳は貴志と同様に妖が見え、周囲から孤立していたレイコが妖怪たちと勝負し、負かした結果、奪った名を集めた契約書の束だった。やがて、友人帳は「多くの妖を従え、使役出来る宝物」として妖たちの間に噂として広まっていた。斑は貴志から友人帳を奪おうとするが、貴志は斑と「俺が死んだら友人帳はお前にやる」という約束をし、かわりに斑は貴志の用心棒となる。依り代である招き猫と強く結びついてしまった斑は普通の人間には「頭の大きな猫」に見えるためニャンコ先生と呼ばれるようになる。
こうして、貴志とニャンコ先生は友人帳から名を取り戻そうとする者、友人帳を奪おうとする者、希有な存在である貴志を喰らおうとする者、夏目レイコの復活を知って訪ねてきた者、相談事を抱えてきた者など様々な妖怪たちと関わりを持つことになり、様々な出来事を通じて妖たちとの出会いと別れを繰り返し、彼らが抱えた事情や想いを知ってゆく。
 
 さて、ここまでが、この作品の「概要」と「あらすじ」であるが、この作品の本質・正体についていくつか解明した情報を語ろう。

1:『妖怪/妖』とは
 まず、妖怪/妖の正体について語らなければいけない。
 私達は、妖怪/妖のことを一種の空想上の生き物として見ている人が多いかもしれないが、それは大きな間違いである。
 妖怪/妖の正体とは、私達、「日本人」のことを意味している。
 もう少し詳しく言うならば、この國に古くから暮らしている先住民族【蝦夷族】のことである。
 この『妖怪/妖』については、別の機会に細かく詳しく語る計画を立てているので、そちらの方で語ることにする。

2:主人公『夏目貴志』の正体
 この作品の主人公である『夏目貴志』の正体について語ろう。
 まず、注目すべきことは、彼の名前である。
『夏目』と呼ばれる苗字には、以下の情報がある。

【夏目】
 日本の氏族の一つ。初代当主は夏目国平。
 家紋は籬架菊(ませぎく)を使っていた。 東京都新宿区の喜久井町の名は、1869年に名主で区長だった夏目直克(夏目漱石の父)が、夏目家の定紋(平井筒に菊)にちなんで、菊と井から喜久井の字を当てて町名としたとされる。
 ただし、1871年に皇族以外の菊花紋の使用が禁止されたため、夏目家では別の家紋に変更した。

 ここで注目すべきことは、家紋であり、この家紋は『菊花紋』が使用され、その菊の花を井戸の「井」の字で囲んでいる図になる。
 つまり、この段階で、天皇家と深い関係性を持つ苗字であることが伺える。
 さらに、「貴」=「貴族」の漢字を意味している可能性があり、
「志」=漢字の意味通り、何かしらの「こころざし」を持っていることを意味している。
 何を志しているかは、彼らの大いなる邪悪な目的を知ればおのずと判明するだろう。
(私個人の情報から読み取ってくれると嬉しい限りだが)
 つまり、この主人公は天皇家関係の子孫であることが名前の情報から判明するのである。
 次に、彼の能力は、「妖を見る力」と「払う力」を持っている。
 なぜ、彼が妖怪を見ることができるのか、作中では不明だが、この能力のせいで、妖怪に襲われ、散々な目に合っている。
 また、彼は、幼い頃に両親を亡くしているため、父方の親戚をたらい回しにされている。
 この設定は、一見、悲劇の主人公に見えるが、実は、この元ネタは、彼自身が「流浪の民」であるために、そのような境遇に見舞われているのである。
 さっきほど、『妖怪/妖』は日本人(蝦夷族)と解説したが、ここで隠された歴史を知ることができると、襲われる理由が判明し、自業自得であることが理解できる。
 妖や妖怪、鬼などは、日本人のことであり、弥生時代、西側から入って来た大和朝廷の連中が、古代からこの地で暮らして来た先住民族「蝦夷族」日本人の土地を侵略し、蹂躙し、迫害し、支配し、土地や財産などを奪って来た歴史がある。
 分かりやすい例としては、西部開拓時代のヨーロッパから来た白人たちが、アメリカ大陸を発見して、その土地に住んでいたアメリカ先住民インディアンの土地を奪った歴史と同じである。
 インディアンは、野蛮で危険な存在だから殺してよいなどと言って、建て前を作り、彼らの土地や財産を奪った歴史がある。
 これと同じことが日本でも行われたのである。
 そして、日本人の大半はこの歴史を知らない。
 彼らが「流浪の民」と呼ばれる理由は、遠い昔、ソロモン王が死にイスラエルが『12部族』に分かれた時、「南ユダ2部族」が犯してしまった犯罪を目撃した「10部族」が逃げ出し、放浪して最終的に日本の東北地方の縄文人たちの中に溶け込んで姿を消した歴史がある。
 その「10部族」に対して「南ユダ2部族」は、西側の方から日本に入って来て、数千年に亘って付きまとい続ける猛烈に嫉妬と妬みと羨望と恨みが相まみれた執着を持つ元祖「ストーカー」変質者集団として追いかけて来た。
 この「南ユダ2部族」の犯罪は凄まじく現在で言う悪魔崇拝の元祖と呼べる悪行を犯した。
 彼らは、神である「ヤハウェ」から自ら分離し訣別した歴史を持ち、幾重にも正体を偽装し、たくさんの関連団体や組織を作り、どれほど叩かれても絶対に正体の本質がバレないようにこれまでずっと巧妙に細工をして来たバビロン伝統の詐欺師である。
 彼らは「乗っ取り」や「憑依」やいわゆる「背乗り」のプロで、異国の文化に瞬時に憑りついてその国の原住民になりすまし、水面下から乗っ取る存在である。
 そんな彼らの経歴は、文字通りの「流浪の民」そのものであり、「ガリチア・ユダヤ」とも呼ばれる。
 その典型的な例が、今、世界中で騒ぎとなっている「クルド人」である。
 つまり、彼らのように祖国を持たず、常に漂泊している移民の正体がこの「南ユダ2部族」なのである。
 この作品は、この情報を基に、長い間、親戚の家をたらい回しにされて来た理由が作られている。
 また、主人公の「夏目貴志」と同じ能力を持つ人々が登場し、【祓い屋】と呼ばれ、不思議な術を扱うが、この術の正体は、「陰陽道」である。
 そして、その術を使って、作中に登場する「妖」を使役したり退治したりするが、この行為は、まさしくこの「南ユダ2部族」が行って来た悪事そのものであり、今でも、日本人に対して、愚行や悪事を行い、自分達の行為を正当化している訳である。
 つまり、主人公の「夏目貴志」や【祓い屋】や妖が見え理由は、この侵略者側の血統関係の一族だからだと言うことが最大の理由であり、彼らの血筋の原罪によって今でも苦しめられていると言う訳である。
 勿論、妖怪が出て来る作品の大半もこの情報が大きく関わっている。
 そして、妖怪が人を食うとセリフや設定は、間違いであり、人を食べるのは、この【祓い屋】連中である。
 現在、『エプスタイン事件』により、世界中で子どもたちを誘拐し、レイプし、殺害して、血肉をすすっていることが証明されている。
 日本では、この事実は隠蔽されているため、日本人の大半はその事実を知らないが、日本でも昔からこのような悪事が行われている。
「神隠し」や日本の昔話、民話などで語られている物語の中にその真実が隠されている。
 つまり、人を食べているのは、妖怪ではなく、【祓い屋】達だと言うことなのである。
 この歴史を知ることにより、主人公の「夏目貴志」がなぜ、妖怪にいじめられ、からかわれるのか、がよく分かるであろう。
 また、祖母・レイコが【名のある妖を打ち負かし、その証明として名前を書かせた友人帳】を作った事実があるが、この【名のある妖】とは、この日本に元々住んでいた豪族の長の名前であり、その豪族たちを蹂躙し侵略し、支配して名前を奪った歴史が元ネタになる。
 要するに、「夏目貴志」は加害者側の人間だと言うこと。
 加害者の癖に被害者を語っている悪人になる。
 このような嘘をつくことで周りを騙していると言う訳である。
 そして、作中での「夏目貴志」が友人帳に書かれた名前の持ち主である妖に名前を返す行為は、この国を支配していた悪人が日本人にその名や名誉、土地を返す行為に当たる。
 この話と、7期と言う、『7』の数字を使いたくない為、6年以上もテレビアニメの続編の制作をためらっていたとも考えられる。

 いかがでしょうか。ここまでの情報だけでも、この作品は世界中に潜み人々を苦しめ続けるDS側の正体を知らなければ描けないことが分かるだろう。
 そして、次に語るのが、今回のテーマ:『ニャンコ先生』の正体である。

*用語*
【流浪の民】
各地を渡り歩く民。
定住地と言える範囲がなく、各地を渡り歩く民、集団。遊牧民など。
 
【祓い屋】
作中で、登場する祓い屋の術は、紙の人型を使ったり、呪文を唱えたり、陣を描いたり、壺などの入れ物に封じたりするなど陰陽道に登場する術を基に設定されている。
 
【友人帳】
主人公の夏目貴志の祖母・レイコが作ったもの。
打ち負かした妖の名前が書かれた契約書の束で、名前を呼ばれると逆らうことができない。
 

 
〇『ニャンコ先生』の正体
1)『ニャンコ先生』とは

『ニャンコ先生(ニャンコせんせい) / 斑(まだら)』
 夏目貴志の「自称」用心棒。本作のマスコットキャラクター。
「招き猫」を依代に長い間封印されていたが、主人公の夏目貴志により、結界であった注連縄を切られたことにより解放される。
レイコとは知り合いだったが、勝負は断り続けていたため、友人帳の中に名はない。
 夏目とは、用心棒をする代わりに彼の死後に友人帳を譲り受ける約束を交わしている。
その言の通り夏目の危機の際に彼を助ける一方、夜中に晩酌に出るなど、用心棒としての仕事ぶりは気まぐれ。貴志と付き合っているうちに情が移っていると感じられる場面が幾度となくみられる。かなり食い意地が張っており、貴志を助けた後に「感謝は晩飯で示せ」と言ったり、食べ物が絡むと態度を豹変させる。
人も喰う妖であるらしく、何度か寝ぼけて本来の姿に戻り夏目を喰おうとしたことがある。元来おしゃべりなせいで事情を知っている者たちの前では能弁。
夏目貴志から「ニャンコ先生」、または「先生」と呼ばれる。
身長・体重:ドッジボール2個分(ニャンコ先生時)
好物:饅頭などの甘味、エビ、イカ、酒。つまみの中では特にイカ焼きが好物。
趣味:狩り
一人称:「私」。
性格:上級の妖であるため、人間や下等な妖に対して
   常に高圧的で、陽気で短気な性格。
外見と能力:
・変化:人や獣に化ける能力を持つ。
・払う能力:光を放ち、相手を撃退する力を持つ。
・結界:強力な結界を貼ることができる。
 名の返却を求める妖が入れるように、わざと隙間を作っているが
 そのために貴志が小物に悪さをされることになっている。
正体:妖の間で名の知れた上級の強力な妖「斑」
 本来は巨大で白い獣の姿で飛行能力も持つ。
 長年封印されていたため、体が依代の招き猫姿に慣れてしまい、
 普段は「招き猫のような猫」の姿をとっている。
 この状態の時は、常人でも視認できるため、藤原夫妻の
 許可の下、貴志の飼い猫として暮らしている。また、猫姿の時は
 本来の姿の時より発揮できる妖力が制限されるようだが、
 本来の姿に戻ることは常時可能。
 神格クラスの妖と最強の祓い屋・的場静司を除いて遅れを
 とることはなく、劇中で最強の妖であり、祓い屋の使う呪符や
 結界程度では不快感を示す程度でほとんど影響がない。

 ここまでが、『ニャンコ先生』の設定である。
まず、結論から言おう! 『ニャンコ先生』の正体とは、【ダキニ天】と呼ばれるヒンドゥー教と仏教の女神、または、魔女のことである。
 さらに、細かく言うならば、この魔女が乗る【狐】が『ニャンコ先生』の正体である。

〇『ダキニ天』とは
【荼枳尼天/吒枳尼天(だきにてん)】

  ヒンドゥー教と仏教の女神。または、死者の肉を食う夜叉(鬼神)。
名前の由来:「荼枳尼」という名は梵語のダーキニー(Ḍākinī)を音訳したもの。
・語源
 サンスクリット語の「ḍākinī」は、uḍḍayanam(「飛ぶ」の意)のように「飛ぶ」という意味のḍīyateに関連しており、チベット語のカンドロマ(チベット語: མཁའ་འགྲོ་མ་, Wylie: mkha' 'gro ma)は、「空に行く者」を意味し、「サンスクリット語のケカラ」(同じ意味)に由来している。
・姿/形/像容:白狐に乗り、右手に剣、左手に宝珠や稲束、
  鎌などを持った羽衣をまとう
  天女の姿(『仏像図彙』)
・起源:
 インドでは、悪鬼(ダーキニー)は、人間の死を察知して心臓を喰らう夜叉とされ、裸身で虚空を駆け、人肉を食べる魔女として扱われる。
 大黒天の眷属で、その力により6か月前から人の死を予知し、
 臨終を待ってからその肉を食うと言う。
 密教の胎蔵現図曼荼羅(たいぞうげんずまんだら)の外院(げいん)南辺に位置する。
・経典:天台宗系の仏教伝承集『渓嵐拾葉集』に収録された「吒枳尼天秘決」。 
*日本の伝来*
 9世紀初頭(平安時代初期)、空海により真言密教と言う形で日本に伝来する。
 真言密教の2つの主要な曼荼羅の1つである子宮領域曼荼羅の外剛部(外金剛部院、外金剛部院)の南側(右側)に3人のダキニ天が描かれている。

『胎蔵曼荼羅・外金剛部院の荼吉尼衆』
 半裸で血器や短刀、屍肉を手にして、人間の死体の隣に円形のマットに座ってダキニ天の一人が、人間の腕と脚をむさぼり食っている様子が描かれている。
 他の2人は右手に頭蓋骨を持ち、1人は左手にチョッパーを持っている。
 後の閻魔天曼荼羅では薬袋らしき皮の小袋を持つようになる。
さらに時代が経つと、その形像は半裸形から白狐にまたがる女天形へと変化し、荼枳尼“天”と呼ばれるようになる。
また、辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)、貴狐天皇(貴狐天王、きこてんのう)とも呼ばれる。
 日本では稲荷神の本地仏とされ、愛知県の豊川稲荷(妙厳(みょうごん)寺)に祀られている。
稲荷信仰と混同されて習合し狐の精とされ、稲荷権現、飯綱権現と同一視される。
*成り立ち*
 初期のヒンドゥー教の経典や東アジアの密教では、この用語は人間の肉や生命の本質を食べた悪魔の種族を意味していた。
 エジプトでは、「ジャッカル」の姿をしており、その後、エジプトからインドに持ち込まれるが、インドには「ジャッカル」がいなかったので、「狐」が代わりのイメージ(ジャッカルの代用品)になる。
 その後、中国に伝来した時、野干/やかん(ジャッカルが生息していないため)妖狐に分類される妖怪とされ、日本に伝来する時には、野干は「狐」の別名とされ、狐に乗ったダキニ天としてのイメージが流布されました。
 そして、最終的に、日本にあった稲荷信仰に混同されて習合し、ダキニ天(荼枳尼天)と呼ばれる単一の神に集約され、白狐に乗る天女の姿で表されるようになる。
密教の教主である大日如来 (だいにちにょらい)の化身とまで呼ばれるまで崇められ、白い霊狐に乗った天女の姿として描かれ、稲荷神(御饌津神 (みけつかみ))と同一視される。
また、狼を悪者にして、狼のポジションを奪った可能性がある。
 これは、空海関係の伝承に大きく関わっており、そもそも、【ダキニ天】を日本に持ち込んだのは、「空海」自身である。
 大和時代の伏見の秦氏の伝承に、秦大津父(はたのおおつち)が、稲荷山で二匹の狼が血まみれになり争っていた場所に遭遇したので、諭したとする物が存在する。
「伏見稲荷」は、狼ではなく狐ですが、狐ではなく狼とされているのは、本来の稲荷信仰に近い伝承なのか、大和時代で伏見稲荷建立前の話になる。
 狼が悪者として交代させられたような稲荷の根本を考えさせる伝承であり、本来の稲荷山では【ダキニ天】が信仰されており、その事実や痕跡が抹消、隠蔽されている可能性が高く、そもそも【ダキニ天】の伝承は、空海と共に【真言宗】として日本に入って来ている。
・習合
 狐は古来より、古墳や塚に巣穴を作り、時には屍体を食うことが知られていた。また人の死など未来を知り、これを告げると思われていた。あるいは狐媚譚などでは、人の精気を奪う動物として描かれることも多かった。
 荼枳尼天のこの狐との結びつきが、日本の神道の稲荷と習合するきっかけとなったとされている。なお、狐と荼枳尼の結びつきは既に中国において見られる。

*使用例*
『夏目友人帳』:ニャンコ先生&夏目レイコ
『狼と香辛料』:ホロ
『デリシャスパーティ♡プリキュア』
 :和実 ゆい(なごみ)/キュアプレシャス
 「コメコメ」:白キツネの姿をしたお米のエナジー妖精。
 
 ここまで説明すれば分かる通り、このダキニ天のイメージは、主人公の「夏目貴志」が「ニャンコ先生」に乗った時の姿と酷似している。
 そして、主人公の「夏目貴志」を祖母である「夏目レイコ」に置き換えることで【ダキニ天】と瓜二つになるのである。


『夏目貴志とニャンコ先生』


『夏目レイコとニャンコ先生』

 つまり、『夏目レイコ』が【ダキニ天】の天女=魔女だと言うことだ。
 さて、ここで『夏目レイコ』についてまとめると以下のものになる。

『夏目 レイコ』
 貴志の母方の祖母であり、故人。
一人称は「私」。「友人帳」の作成者。妖たちにも評判となるほど美しい娘で、その名前は妖や現在の祓い屋達の間でも広く知れ渡っている。
 なお、孫である貴志も彼女のことは「レイコさん」と呼ぶ。娘である貴志の母を産んだ後、若くして他界しているが、死因を含め一切の詳細が不明。
 孫である夏目もその死を「どこかの木の下で亡くなった」と伝え聞くのみである。
 未婚の母として貴志の母を産んだため「男にだらしなかった」など親戚からは言われている。
 回想に登場する場合、姿は、常にセーラー服とロングヘアーで、孫の夏目同様、髪色は灰色がかった色だが、アニメ版では茶色である。
 友人帳の主な作成期間は彼女が高校生だった頃で、貴志が得られるレイコの記憶もその頃に限定されている。前述の人から嫌われ避けられていた情報以外に断片的にわかっているのは、年頃になっても素行は田舎のガキ大将同然でスカートのまま木登りをしたり野山を駆け回っていた。

*能力*
非常に強力な妖力を持っており、妖を見るだけでなく祓う力にも長けていた。
しかし、そのせいで人とはうまく付き合うことができず、その憂さ晴らしのために出会った妖達に勝負を持ちかけてはイビリ負かし、子分にした証として名(真名)を奪い友人帳を作成した。

 ここまでの情報で、「ニャンコ先生」が【ダキニ天】の天女が乗る狐であること。
「夏目レイコ」と一緒にした場合に、本来の姿である【ダキニ天】になることが判明する。
 さらに、ここで「ニャンコ先生」の更なるその他の情報を含めると、面白いことに、この【ダキニ天】の正体すら暴くことができる。

〇『ニャンコ先生』の設定からの解読
1:【招き猫】
2:【三毛猫】
3:【能力=払う力】

1:【招き猫】


・概要
 前足で人を招く猫の形の置物。
 持ち主に幸運をもたらすとよく信じられている一般的な日本の置物。木彫り、石、金属、手作りの磁器、鋳鉄で作られている。
現代では、それらは通常、セラミックまたはプラスチックでできている。
 置物は、店舗、レストラン、パチンコ店、クリーニング店、
 コインランドリー、バー、カジノ、ホテル、ナイトクラブ、
 その他の企業で、通常は入り口近くや家庭に置かれている。
 招き猫の中には、ゆっくりと前後に動く機械的な足がついているものもある。
猫は農作物や蚕を食べるネズミを駆除するため、古くは養蚕の縁起物でもあったが、養蚕が衰退してからは商売繁盛の縁起物とされている。

・「挙げている手の意味」
 挙げている手によって意味が変わる。
右手(前脚)を挙げている猫:金運を招く。
左手(前脚)を挙げている猫:人(客)を招く。
両手を挙げたもの:“欲張りすぎると「お手上げ万歳」になるのが落ち”と嫌う人が多い。

・「色」
一般に、三毛猫が中心。
地の色が伝統的な白や赤、黒色の他に、ピンクや青、金色のものもあり、色によっても「学業向上」や「交通安全」(青)、「恋愛」(ピンク)など、意味が異なる。
風水の組み合わせにより、年月を経て異なるカラーバリエーションが生まれ、
「白」は「開運」と「幸運」、黒は「厄除け」、赤は「健康」、黄色や金は富、ピンクは「恋愛」を表している。
黒い猫は、昔の日本では『夜でも目が見える』などの理由から、「福猫」として魔除けや幸運の象徴とされ、黒い招き猫は魔除け厄除けの意味を持つ。また、赤色は疱瘡や麻疹が嫌う色、といわれてきたため、赤い招き猫は病除けの意味を持つ。

*歴史*
招き猫は東京(当時は江戸)または、時には京都で生まれたと一般に信じられている。
人形としての招き猫は、江戸時代(1603〜1868年)に浅草で売られていた今戸焼が起源であるというのが一般的な説であり、安土桃山時代(1573-1592)の天正時代(1573-1592)には、浅草の今戸で陶磁器に適した粘土が発見され、地元の人々が今戸焼を作るようになりました。江戸時代になると、三河国の陶工が浅草の今戸に移り住み、さらに今戸焼が発展し、元禄時代(1688-1704)には今戸人形が作られ、これが招き猫を生み出したと考えられています。 人形としての招き猫の最も初期の既知の記録は、江戸時代後期に今戸焼で作られた招き猫のバリエーションである丸しめ猫です。
招き猫の最も初期の記録の1つは、1852年の武幸年報(江戸の年表)のエントリに表示されます。歌川広重の浮世絵「浄瑠璃まち半華の図」は、同じく1852年に描かれており、招き猫のバリエーションである丸しめ猫が東京の浅草寺で販売されている様子を描いています。明治時代の1876年に新聞記事で取り上げられ、この時期に大阪の神社で着物姿の招き猫が配布されていたという証拠があります。1902年の招き猫の広告は、世紀の変わり目までに彼らが人気を博したことを示しています。

・起源
招き猫の起源については、日本にはさまざまな伝承がある。
郷徳寺、慈書院、今戸神社など、民間伝承に登場するいくつかの仏教寺院や神社は、招き猫の発祥の地として知られている。

1)今戸焼丸〆猫(まるしめのねこ)説
江戸時代の地誌『武江年表』嘉永5年(1852年)の項には浅草花川戸に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放した。すると夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼(今戸人形)の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。
また、古い伝世品や遺跡からの出土品から江戸時代の今戸焼製招き猫の存在は確認でき、上記嘉永5年の記述と符合する。記録では浅草寺および浅草神社(旧・三社権現)にゆかりのものである。
有坂与太郎『郷土玩具大成』によれば、今戸は招き猫の唯一の生産地としており、最盛期は文化文政年間(1804年~1830年)になってからであるとし、当時猫と狐は今戸人形を代表する観さえ呈している、という。
これとは別に、平成のはじめ頃より、浅草今戸に鎮座する今戸神社が、平成の招き猫ブームや縁結びパワースポットブームに乗り、自ら「招き猫発祥の地」として看板を掲げ、多くの招き猫が奉られるようになった。
その論拠は、旧今戸八幡が今戸焼の産地である浅草今戸町の産土神であったことによるものであるが、古い文献等には招き猫と今戸神社(昭和12年(1937年)に旧今戸八幡と旧亀岡町白山神社とを合祀)との結びつきを示す記録は見当たらず、平成の招き猫ブームや新・縁結びパワースポットブームに伴い、マスコミなどに対し発祥の地を名乗るようになった。現在神社本殿に祀られている大型の招き猫は、戦後の常滑産招き猫の形状を参考に造形されたものであり、社務所より授与されている招き猫の形状は、陶器製・磁器製のものどちらも江戸から明治の今戸焼製の伝世品や遺跡からの出土品とは異なるものであり、時代考証的にも伝統性のない、現代の創作品である。

2)豪徳寺説
東京都世田谷区の豪徳寺が発祥の地とする説がある。
江戸時代に彦根藩第二代藩主井伊直孝(藩主1602年 ~1659年)が、鷹狩りの帰りに弘徳院という小寺の前を通りかかった。
その時この寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため、藩主一行は寺に立ち寄り休憩した。すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずに済んだことを喜んだ直孝は、寛永10年(1633年)、弘徳庵に多額の寄進をし井伊家の江戸の菩提寺と定め、弘徳庵は大寺院の豪徳寺となった。
その後、歴代藩主や正室の半数ほどの墓所が存在し、幕末の藩主で桜田門外の変で暗殺された大老井伊直弼の墓も豪徳寺にある。
和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。後世に境内に招猫堂が建てられ、猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになった。
また、同じ豪徳寺説でも別の話もある。
直孝一行が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の三毛猫が手招きをしていた。直孝がその猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。それを避けられたことを感謝し、直孝は豪徳寺に多くの寄進をした、というものである。
これらの猫をモデルとした著名なキャラクターが、井伊家の居城であった滋賀県彦根市の彦根城の築城400年祭マスコット「ひこにゃん」である。
招き猫は一般に右手若しくは左手を掲げ小判を掲示しているが、豪徳寺の境内で販売されている招き猫は全部右手(右前足)を掲げ、小判を持っていない。これは商家ではなく武家である井伊家の菩提寺であるためであるとされる。
豪徳寺は小判を持っていない理由として「招き猫は機会を与えてくれるが、結果(=この場合小判)までついてくるわけではなく、機会を生かせるかは本人次第」という考え方から、としている。ただしもっとも古例である上記の丸〆猫はそもそも小判は持っていない。

3)自性院説
東京都新宿区の自性院が発祥の地とする説がある。
ひとつは、江古田・沼袋原の戦いで、劣勢に立たされ道に迷った太田道灌の前に黒猫が現れて手招きをし、自性院に案内した。これをきっかけに盛り返すことに成功した太田道灌は、この猫の地蔵尊を奉納したことから、猫地蔵を経由して招き猫が成立したというもの。
もうひとつは、江戸時代中期に、豪商が子供を亡くし、その冥福を祈るために顔が猫面の「猫地蔵」を自性院に奉納したことが起源である、とするもの。
どちらにせよ「猫地蔵」の発祥話であり、本来は招き猫像に繋がる話ではない。

4)西方寺説
東京都豊島区の西方寺が発祥の地とする説がある。
かつて当寺が吉原遊廓に近い浅草聖天町に所在していた頃、吉原に薄雲太夫という花魁がいた。彼女は「玉」と名付けた一匹の猫を可愛がっていたが、ある日、太夫が厠に入ろうとすると、猫が着物の裾を噛んで離さなかった。駆けつけた楼主の治郎衛門が猫の首を切り落とすと、猫の首は厠の下溜めへと飛び、潜んでいた大蛇を噛み殺した。
薄雲太夫は自分を守ろうとした猫を死なせてしまったことを後悔し、西方寺に猫塚を祀り、また愛猫を失い失意の太夫に馴染み客が贈った猫の木彫像を大切にし、太夫の死後に西方寺に寄進された。これが縁起物として広まった、とするものある。なお、当寺は江戸時代末期に火災で全焼し同像も焼失したとされる。

5)伏見稲荷説
京都府京都市伏見区の伏見稲荷大社が発祥の地とする説がある。

6)民話
ある日、貧しい店(または旅館、居酒屋、寺院など)の経営者は、自分自身を養うのに十分な量がないにもかかわらず、飢えた野良猫を引き取りました。
その感謝の気持ちを込めて、猫は店の前に座ってお客様を手招きし、慈善事業主へのご褒美として繁栄をもたらしました。それ以来、「招き猫」は中小企業の経営者にとって幸運の象徴となっている。

 このように【招き猫】の情報から稲荷関係や色合いなど重要な情報が「ニャンコ先生」の設定に含まれており、特に「西方寺説」が三毛猫の情報と一致している。

2:【三毛猫(みけねこ)】


・概要
一般的に白・茶色・黒の3色の毛が生えている短毛の日本猫の総称。
三毛(みけ)とも呼ぶ。
英語ではキャリコ(英: calico)と呼ばれる。
「キジ三毛」:白・茶色・こげ茶のもの。
「縞三毛(しまみけ)」:縞模様(トラネコ)との混合のものを分けて呼ぶことがある。
ネコの遺伝子の特徴上、そのほとんどがメスであり、オスは滅多に出現しない。

*逸話*
三毛猫のオスは滅多にいないため、貴重性からオスの三毛猫を船に乗せると福を呼び、船が遭難しないという言い伝えがある。
また、「猫が騒げばシケになり、眠れば天気平穏」と信じられた。
縁起物である招き猫においては、三毛猫がモデルにされることが多い。
*逸話*
『薄雲太夫の猫』
吉原で人気の遊女であった薄雲太夫が玉と言う三毛猫を飼っていた。ひぢりめんの首輪に純金の鈴を与え、馴染みの客よりも大事にしており、玉を手放そうとしなかったため、便所の中まで入ろうとした玉の首を見世の者が切り落としてしまい、その首が便所の中まで飛んで行き隠れていた蛇の頭に嚙みついて事切れた。と言う話がある。この玉が「招き猫」のモデルと言う話がある。

*使用例*
『ポケットモンスター』:ニャース
『涼宮ハルヒの憂鬱』:映画撮影時に入手した雄の三毛猫しゃみせん
『異世界食堂』:店の看板&マスコット
『夏目友人帳』:ニャンコ先生
『デリシャスパーティー♡プリキュア』主人公の通う中学校の造形物。
「新宿駅のCG看板」:新宿駅に突然現れた新宿の猫

 ここまでが、【招き猫】と【三毛猫】の情報だが、
「ニャンコ先生」の設定に密接に関係性が深く、さらに、友人帳を狙って襲って来る妖から夏目を守る行動から逸話の『薄雲太夫の猫』の話がモデルだと考えられる。
 そして、使用例から解読することで、割と最近になって、続編が作られた『異世界食堂』の看板&マスコットキャラクターとして使用されていたり、「新宿駅のCG看板」に突然現れたりした理由からこの三毛猫には特別な意味が込められていることが判明する。
 そして、『涼宮ハルヒの憂鬱』と言う有名な呪詛アニメにおいて三毛猫が登場したり、あの子供向けアニメである『デリシャスパーティー♡プリキュア』の主人公の通う中学校の造形物に使用されるなど異常なほどの執着が見られる。
 これだけ、【三毛猫】や【招き猫】には、特別な意味が隠されていると言うことだ。
 そして、『ニャンコ先生』の正体が【ダキニ天】と呼ばれる存在だとするならば、この【三毛猫】や【招き猫】の正体が、【ダキニ天】であることの何よりの証拠の一つとなる。
 そして、日本に潜むDSが自らを守るための呪術として、三毛猫、招き猫関係のものを配置しているとするならば、2020年以降のこれだけの使用例に説明が付くと言う訳である。

3:【能力=払う力】
 『ニャンコ先生』の能力の中に、額を光らせて、妖怪を追い払う「光」の撃退方法がある。
 この「光」の撃退方法や目のデザインや額の模様には、元ネタが存在している。

〇「光」の撃退方法
ニャンコ先生が主に夏目を守る時に使う、攻撃法として『光』を
放って撃退する。この時、額に模様が浮かび、目が寄り目になる。
この撃退法には、元ネタがあり、作者はその事実を知って作品に
取り入れていると以下の情報から判明する。

1:模様の意味:『シークバー(フックボルト)』
アメンホッテプ4世が持つ知識のゲートを開くための道具から来ている模様。

【シークバー(フックボルト)】
模様の一つで、アメンホッテプ4世が持つ知識のゲートを開くための道具。
作品例:
『夏目友人帳』:ニャンコ先生(斑)

2:寄り目の意味=『歌舞伎のニラミ』の技法
 この目の表現は、歌舞伎の『ニラミ』がから来ており、『ニラミ』とは、演目の中で、目玉を中央に寄せるポーズのことであり、ニラミつけられた人は邪気が払われ、厄除けの効果があるとされている。
 江戸の頃から「ご見物の皆様の厄を落とす」という意味があり、團十郎家に備わった「神性」を象徴しており、團十郎に睨んで貰えば一年間無病息災で過ごせる、という伝説もある。

【見得】


歌舞伎の役者のテクニック。
演目の見せ場で役者がポーズを決めて静止し、首を回したり目玉を
中央に寄せたりする動作全体のこと。
これは、役者自身やその場面を客に印象付ける効果、舞台全体を
美しく演出する効果がある。そして、一般的にはこの見得と同時に、
「ツケ」と呼ばれる効果音を出し、更なる演出効果を図る。
これら全体を歌舞伎用語で「見得を切る」と言う。
見得は、現代の映画で言えば、「クローズアップ」や
「ストップモーション手法」と言える。演目全体にメリハリが付き、
大いに盛り上がるのである。照明技術が発達していない時代から、
日本人はこうした工夫を取り入れ、舞台面に様々な変化を作り出していたのだ。

【ニラミ】


 見得のにらみとは違った意味を持つ特殊なニラミがある。
そのニラミは、市川家一門(成田屋)にしか使用が許されておらず、
演目の中ではなく、何かの席や儀式の時に行うニラミである。
ニラミつけられた人は邪気が払われ、厄除けの効果があるとされている。
『歌舞伎・見得の特別な「ニラミ」』
市川團十郎家の専売で、襲名などの祝儀などの際に「祝賀」として行うもの。
江戸の頃から「ご見物の皆様の厄を落とす」という意味があり、
團十郎家に備わった「神性」を象徴しています。團十郎に睨んで貰えば
一年間無病息災で過ごせる、という伝説もあるほどです。口上などの
特別な場で「ひとつ睨んでご覧にいれましょう」と宣言してのニラミはまさに呪術的であり、江戸歌舞伎の象徴なのです。

3:顔の模様
 ニャンコ先生の顔の模様は、歌舞伎の役者の化粧と似ている。
 まず、白い顔は、「白塗り(しろぬり)」と呼ばれ、善人や高貴な人物を表している。
 さらに、日本には古来顔を白く塗る伝統があり、白は高貴な色であり、神に選ばれた者の証になる。
『ニャンコ先生』が高貴な存在だと自負するところから白い顔であることに説明が付く。
 さらに、顔の赤い模様は、「紅隈(べにぐま)」と呼ばれ、正義感や勇気、血気盛んな若さなどの血の滾(たぎ)りなどが表されている。

【化粧(歌舞伎)】
歌舞伎の特色の一つに化粧がある。
歌舞伎は化粧によってさまざまな人物を表現する。
いくつかの定型があり、その役の性格や身分を示す役割を持っている。
つまり、登場した人物の基本設定を、その外見からつかむことができると言う訳である。
俳優は、まず自分自身で顔全体を一つの色で塗りつぶします。
これは、地肌の色がその人物の役柄を示すためである。
基本的に以下のものがある。
 
・「白塗り(しろぬり)」
白い顔は善人や高貴な人で、白粉(おしろい)で顔一面を均一に塗ること。
日本には古来顔を白く塗る伝統があり、白は高貴な色であり、神に選ばれた者の証。
また色白は美人の条件でもあり、日に当たって労働することのない上流階級という地位や身分を表していた。「白塗り」は、基本的に白の分量が多ければ多いほど、真っ白に近いほど、高貴であり、善の度合いが高い。ただし悪人でも高貴な人は白塗りである。
 
・「茶塗り」
顔の色が茶色に近い肌色の人物は侍や町人や悪人であることをあらわす。
これには砥の粉(とのこ)と呼ばれる粉が使われる。
 
・「赤塗り」
 悪人の手下や家来を表す。
※「茶塗り」と「赤塗り」は私個人が分析しやすいように、命名したものですので、「白塗り」のみは、正式なものである。
 
 こうした地色を塗った上に、眉、目元、口紅、頬紅、髭などを、赤や黒、青などの鮮やかな色を用いて描きながら、その役の気落ちに入って行く。こうして、化粧を施すことを、「顔をする」と言う。
 
〇「隈取り」
 地色を塗った顔に筆で線を引き、指で片側へぼかす化粧法で、「描く」のではなく、
隈を「取る」と言う。
 「隈」は光と陰の境目を意味し、血管や筋肉などを大げさに表現したものである。
 大胆で力強い「荒事」と言う様式を生み出した、初代市川團十郎によって始められたものと言われている。
 「隈取り」は強い印象を与える化粧であり、「隈」に用いる色にも、それぞれ意味がある。

「紅隈(べにぐま)」/赤


正義のヒーローの勇ましさ、正義感や勇気、血気盛んな若さなどの
血の滾(たぎ)りなどが表され、善を意味する。
たとえば市川團十郎家の『歌舞伎十八番のうち暫(しばらく)』の
主人公・鎌倉権五郎や『菅原伝授手習鑑 車引(くるまびき)』に
登場する梅王丸というキャラクターの隈取は筋隈と呼ばれ、非常に強い正義の心が悪への怒りで爆発したものとなっている。

つまり、この段階で、『ニャンコ先生』には、【エジプト】関係と【歌舞伎】関係が密接に関与していることが証明されるのだ。

*ここまでの情報のまとめ*
 ここまで集まった情報を整理すると『ニャンコ先生』には以下の要素が関与している。
1・『ダキニ天』であること:夏目礼子とニャンコ先生を
  合わせること。
2・『歌舞伎』の技(呪術)が作中に使用されている。
3・『シークバー(フックボルト)』の模様により、エジプトの
  要素を持つこと。
4・【招き猫】と【三毛猫】の逸話や要素を基に設定されている。

 これらの情報から『ニャンコ先生』のキャラクターデザインには、相当計算された呪術的要素が使用されており、その呪術は、古代エジプトにまで遡ることに繋がっている。
 では、どのようなエジプトとの関係性があるのか?
 その答えは【ダキニ天】の情報に記載されている、日本の稲荷信仰と混同された事実から稲荷信仰は、「豊穣」を意味することに繋がる。
 この【豊穣】がキーワードとなり、エジプト神話の「豊穣」に関わるものにヒントがあると考えられ、その答えが、【イシス】である。

〇【イシス】と【アヌビス】の正体
 古代エジプト神話には、イシスと言う女神が存在する。
 イシスの情報をまとめると以下のものになる。

【イシス(Isis)】


エジプト神話における古代エジプトの豊穣の女神。ヘリオポリス九柱神に数えられる。
大地の神ゲブを父に、天空の女神ヌトを母に持つ。二柱の間に生まれた四柱の神々の次姉。冥界の神オシリスは兄、戦いの神セトは弟、葬祭の女神ネフティスは妹である。
配偶神は兄オシリス。オシリスと習合した豊穣の神ミンも配偶神とすることがある。
オシリスとの間に天空の神ホルスを成し、オシリスとネフティスの間に生まれた不義の子アヌビスを養子として育てた。
また、息子ホルスを夫としたとする神話もあり、ホルスの4人の息子を成したとされる。
司る神性は豊穣のみならず、後の神話では玉座(王権)の守護神、魔術の女神の性格を持つようになり、ヌビアのフィラエ島やナイル河畔のサイスに大規模なイシス女神を祀るイシス神殿が造られるなど、古代エジプトで最も崇拝された女神となった。
イシスは、古王国時代(紀元前2686年頃~紀元前2181年頃)で、殺された兄であり夫である神聖な王オシリスを復活させ、彼の後継者であるホルスを生みだし守護するオシリス神話の主要人物の一人として初めて言及されました。

*イシス信仰の誕生と隆盛*
イシスの起源については定かではなく、イシス単体を祀った神殿や町は初期の頃には存在せず常に夫オシリス神の陪神として扱われた。
しかしながら、ピラミッド・テキストには既に何度も登場しているため古い起源を持つ女神である。また、古くはホルス神の母ではなかったとされ、その性格は女神ハトホルが担っていたとされる。
時代が下ってオシリスとイシスの伝説が生まれ、広まっていく事によってハトホルと共にホルス神の母という性格を持つようになる。
もっともホルス神も非常に古い起源を持つことから、大ホルスと小ホルスという出自や神性が異なるために便宜的に大ホルスの母が女神ハトホル、小ホルスの母が女神イシスという見方もできる。
次第にイシスとハトホルは習合・同一視され、イシス信仰は広がりを見せた。
紀元前1千年紀頃には地中海沿岸全域に広がり、ギリシャでは、デーメーテールと同一視され、共和政末期にはローマへも持ち込まれて発展し、200年頃にはほぼローマ帝国全域で信仰された。
紀元前1千年紀
オシリスとイシスはエジプトで最も広く崇拝される神々となり、イシスは他の多くの女神からの特徴を吸収した。
エジプトとその南隣のヌビアの支配者たちは、主にイシスに捧げられた神殿を建設し、フィラエの彼女の神殿はエジプト人とヌビア人の宗教的中心地でした。彼女の魔法の力は他のすべての神々よりも偉大であると評判で、王国を敵から守り、空と自然界を支配し、運命そのものを支配する力を振るうと言われていました。
ヘレニズム時代(紀元前323〜30年)にエジプトがギリシャ人によって支配され、定住した時、イシスはギリシャ人とエジプト人によって崇拝され、新しい『神セラピス』とともに崇拝される。
彼らの崇拝は、より広い地中海世界に広がり、イシスのギリシャの信奉者たちは、結婚の発明や海上での船の保護など、ギリシャの神々から受け継いだ彼女の特徴に帰し、彼女はエジプトや、オシリスやハルポクラテスなど、ヘレニズム世界で人気を博した他のエジプトの神々との強いつながりを保持していました。
紀元前1世紀にヘレニズム文化がローマに吸収されると、イシス崇拝はローマの宗教の一部となりました。彼女の信者はローマ帝国の人口のごく一部でしたが、その領土全体に見られました。彼女の信奉者は、ナヴィギウム・イシディスのような独特の祭りや、他のグレコローマンの神秘教団に似た入会式を発展させた。彼女の信者の中には、彼女が世界のすべての女性的な神聖な力を包含していると言った人もいます。
その後、イシスの崇拝は、西暦4世紀から6世紀にかけてのキリスト教の台頭によって終焉を迎えるが、イシス崇拝は、マリアの崇拝などのキリスト教の信仰や実践に影響を与えたかもしれませんが、この影響の証拠は曖昧で、しばしば物議を醸しています。

*魔法と知恵の女神*
イシスは、オシリスを蘇生させ、ホルスを守護し、癒すことができた魔法の力と、その狡猾さでも知られている。
その魔法の知識から、「百万の神々よりも賢い」と言われ、新王国時代の物語「ホルスとセトの争い」のいくつかのエピソードでは、イシスはこれらの能力を使用して、息子との対立中にセトを出し抜く。
ある時、彼女は若い女性に変身し、セトがオシリスの王冠を簒奪したのと同様の相続紛争に巻き込まれていることをセトに告げる。セトがこの状況を不当だと言うと、イシスは彼を嘲笑し、自分が間違っていると判断したと言いました。後の文献では、彼女は変身の力を使ってセトと彼の信者と戦い、破壊します。
イシスに関する多くの物語は、呪文が達成しようとする目標に関連する神話の出来事を説明する魔法のテキストのプロローグであるヒストリオラエとして登場します。
ある呪文で、イシスは自分よりも年上で体格の良いラーを噛む蛇を作り出し、その毒で彼を病気にする。彼女は、ラーが本当の秘密の名前を教えてくれるなら、ラーを治すと申し出る。このことからも、その知識には比類なき力が宿っていることが分かる。
多くの強制の後、ラーは彼女に彼の名前を告げ、彼女はそれをホルスに伝え、彼の王権を強化する。この物語は、イシスの魔法の能力が他の神々の能力を凌駕する理由を説明するための起源の物語として意図されているかもしれませんが、彼女が魔法を使ってラーを討伐するため、彼の名前を知る前から彼女をそのような能力を持っていると扱っているようです。

*外見*
「イシス」は、アセトと呼ばれ椅子を意味する。
つまり、名前に「椅子」という意味を持ち、「王座/玉座(現世の王権)」を神格化した女神ともされ、その場合は、頭頂に玉座を載せた姿で表される。
これは、夫オシリスや息子ホルスを守る者を意味する。
また、背中にトビの翼を持った女性として表され、その後、ハトホルに代わって信仰を集めるようになると豊穣の女神であった「ハトホル」から受け継ぎ、頭部に牛の角と太陽円盤
を持った女性としても表されるようになる。
そして、ギリシャ神話のデメテル(豊穣の女神)のシンボルである松明や麦の穂を持った姿で現れるようになる。

*神話*
セトと対峙した際に銛を投射し、ホルスに誤射した後、セトを瀕死の重傷にしている。
また、セトの陰謀でオシリスが行方不明になった時、ギリシアまで彼を探し、セトに殺されバラバラにされたオシリスの遺体を集めて(ただし男根は見つからなかった。魚に食べられたと言われる)繋ぎ合わせトトとアヌビスの協力を得て復活させるなど生と死を操る強大な魔力を持つ。
さらに息子ホルスに権力を与えるため、ラーの垂らした唾液を含んだ泥から毒蛇を作りラーの通る道に潜ませ、毒蛇に咬まれたラーを解毒する代わりに彼の魔力と支配権を得るなど陰謀を巡らす一面を持つ。
オシリスとイシスの伝説において、献身的な母や妻としての性格が強く描かれている。
しかし、他の神話的物語では、強力な魔術師的存在として描かれ、そのため魔術の女神ともされ、中世ヨーロッパではイシスは魔女の元祖とされることもある。

*他の神々との関係*
ヘレニズム時代とローマ時代には、エジプト国外で12体以上のエジプトの神々が、相互に関連する一連のカルトで崇拝されていましたが、その多くはかなりマイナーなものでした。
これらの神々の中で最も重要なのは、セラピスがイシスと密接に結びついており、しばしば彼女と一緒に芸術に登場したが、オシリスは彼女の神話の中心であり続け、彼女の儀式でも際立っていた。イシスとセラピスの神殿が隣り合って立っていることもありましたが、一つの神殿が両方に捧げられることは稀でした。
オシリスは、ギリシャの不死の神とは異なり、死んだ神として、ギリシャ人には奇妙に見え、ヘレニズム時代のエジプトのカルトでは小さな役割しか果たしていませんでした。
ローマ時代には、彼はディオニュソスのように、喜びに満ちた死後の世界の象徴となり、イシス崇拝はますます彼に焦点を合わせるようになった。
ホルスは、しばしばハルポクラテスという名前で、オシリスまたはセラピスによって彼女の息子としてイシスの神殿にも現れました。
彼はアポロンなどのギリシャの神々から特性を吸収し、太陽と作物の神として奉仕しました。
アヌビスは、ギリシャ神話の神ヘルメスと彼のギリシャ化された形のヘルマヌビスとリンクされる。
イシスは、ギリシャ・ローマ世界では『ヘルメス・トリスメギストス』として知られていたエジプトの文字と知識の神、トートから知恵を学んだ、あるいはその娘であるとされ、
『イシス』はまた、ギリシャやローマの神々、そして他の文化からのものとの広範なつながりのネットワークを持っていました。
彼女はギリシャのパンテオンに完全には統合されていませんでしたが、デメテル、アフロディーテ、または牛に変えられてギリシャからエジプトに女神ヘラに追われた人間の女性であるイオなど、さまざまなギリシャ神話の人物と同一視されていました。
デメテル崇拝は、ギリシャに到着した後のイシスの崇拝に特に重要な影響を与えました。イシスの女性との関係は、処女の女神と豊穣の促進者という二重の役割を担っていたアルテミスとの頻繁な方程式に影響されました。
イシスの運命を支配する力のために、彼女はギリシャとローマの幸運の擬人化、テュケーとフォルトゥナと結びつけられました。紀元前2千年紀のフェニキアのビブロスでは、ハトホルは地元の女神バーラト・ゲバルの形として崇拝されていました。
イシスは紀元前1千年紀の間に徐々にハトホルに取って代わり、この地域の別の女神アスタルテと融合するようになった。
中央ヨーロッパのノリクムでは、イシスは地元の守護神ノレイアと融合し、ペトラではアラブの女神アル・ウッザと結びついていた可能性がある。ローマの作家タキトゥスは、イシスは帝国の外に住むゲルマン人であるスエビによって崇拝されていたが、ゲルマンの女神をイシスと間違えたのかもしれない、なぜなら彼女と同じく、女神は船に象徴されていたからだ。

【イシス】について、軽くまとめると以下のものになる。
・豊穣の女神
・魔法を使うことができる。
・【ラー】との神話で毒蛇を作り出して、病気にして、ラーが
 本当の秘密の名前を聞き出す=『夏目友人帳』のレイコが
 妖達から名前を奪い友人帳を作り出した時のエピソードと
 そっくりである。
 このように、【イシス】には、【ダキニ天】との共通する部分が多く存在する。
 そして、【イシス】には、【アヌビス】と呼ばれる冥界の神との関係性がある。
 【アヌビス】について、まとめると以下のものになる。

【アヌビス(Anubis)】


 古代エジプトの冥界の神。生者より死者に関わる神。黒い犬神の信仰であり、アヌビス神はエジプトやインドでは、ジャッカル(黒い)の姿をしている。
 リコポリスの守護神。「聖地の主人」(nb-ta-djsr)、「自らの山に居る者」(tpi-dju=f)、「ミイラを布で包む者」(imiut)などの異名を持つ。
 古代エジプトの宗教では、葬儀の神、墓の守護者、冥界への案内人であり、通常は犬や犬の頭を持つ男性として描かれる。
アヌビスの女性の相手はアンプートです。彼の娘は蛇の女神ケベチェ。
別名:ハーデス
星:「シリウス」
冬の夜空に輝く星。エジプトで重視され、「アヌビス神の星」として
神格化されていた。
「大犬座」でDog Starと呼ばれ、アヌビス神のジャッカルの頭は
星座に由来し、シリウスの叡知の象徴であった。

*名前*
「アヌビス」は、この神のエジプト語の名前をギリシャ語で表現したもの。
ギリシア人がエジプトに到着する前、紀元前7世紀頃、その神はアンプまたはインプとして知られており、古代エジプト語での名前の語源は「王室の子供」を意味している。
インプには「inp」に語根があり、「朽ちる」という意味。
この神は、「西洋人の最初」、「聖地の主」、「彼の聖なる山にいる者」、「九つの弓の支配者」、「数百万を飲み込む犬」、「秘密の達人」、「防腐処理の場所にいる者」、「神聖なブースの第一人者」とも呼ばれ、彼が持っていた地位は、「彼の山にいる者」、「聖地の主」、「西洋人の第一人者」、「防腐処理の場所にいる者」などの彼が持っていた称号にも反映された。
古王国時代(紀元前2686年頃 ~ 紀元前2181年頃)では、象形文字で彼の名前を標準的な方法で書く方法は、音記号inpwとそれに続くḥtp記号の上にジャッカルで構成されていた。

*外見
エジプトの中でも比較的に古い時期から崇拝されていたミイラづくりの神であり、アフリカンゴールデンウルフの頭部を持つ半獣もしくはオオカミそのものの姿で描かれる。
これは古代エジプトにおいて、墓場の周囲を徘徊する犬またはオオカミの様子を見て、死者を守ってくれているのだと考えられたからであり、また、そもそもアヌビスはセトのモデルとなった動物と同じく、オオカミや犬と似てはいるが現在は絶滅してしまった別のイヌ科の動物や想像上の動物がモデルであるとする説もある。
その身体はミイラ製造時に防腐処理のために遺体にタールを塗りこみ黒くなるのに関連して真っ黒だった。
または、再生、生命、ナイル川の土壌、防腐処理後の死体の変色を象徴する色が「黒」であったために、黒で描かれた。
アヌビスは、犬の頭または犬の形で描かれているが、灰色または白い毛皮で描かれている別のエジプトの神である兄のウェプワウェトに関連付けられており、歴史家は、この2つの人物は最終的に組み合わされたと仮定している。
 
*エジプト神話*
アヌビスは、セトの妻にして妹であるネフティス(この女神も死者やミイラとの関連が深い)が、兄のオシリスとの不倫によって身篭もった子で、セトが敵視していたオシリスの子であるから誕生後はすぐにネフティスによって葦の茂みに隠された。
オシリスがセトに殺された時、オシリスの遺体に防腐処理を施してミイラにしたとされ、そのためアヌビスはミイラ作りの監督官とされ、実際にミイラを作ったり死者を冥界へと導く祝詞をあげたりする際にアヌビスの仮面を被って作業が行われた(このミイラ製造に携わる仮面をかぶった職人ないし神官はストゥムと呼ばれた)。
ひいては医学の神ともされている。また死んだ人間の魂(バー)を速やかに冥界へと運ぶために足がとても速いとされる。
また、オシリスが冥界アアルの王となる以前の冥界を支配、管理しており、オシリスが冥界の王となった後も彼を補佐してラーの天秤を用いて死者の罪を量る役目を担い、その様子は『死者の書』や墓の壁面などに描かれている。

*歴史*
エジプトの初期王朝時代(紀元前3100年頃 ~紀元前2686年頃)には、アヌビスは「ジャッカル」の頭と体を持つ完全な動物の姿で描かれていた。
ジャッカルの神、おそらくアヌビスは、ホル・アハ、ジェル、および第一王朝の他のファラオの治世からの石の碑文に描かれており、先王朝時代のエジプト以来、死者が浅い墓に埋葬されていたジャッカルは、人間の体を掘り起こしてその肉を食べる腐肉食動物であったため、墓地と強く関連付けられていました。
「同類と同類の戦い」の精神で、ジャッカルが死者を守るために選ばれたのは、「埋葬後すぐに、耕作地の周辺に生息するジャッカルや他の野生の犬が遺体を掘り起こすことが共通の問題(そして懸念の原因)であったに違いない」からである。
古王国では、アヌビスは死者の最も重要な神でした。
彼は中王国時代(紀元前2000年~紀元前1700年)にオシリスにその役割を交代させられ、紀元前30年に始まったローマ時代には、彼が故人の手を握ってオシリスに導いた様子が描かれている。
アヌビスの親子関係は、神話、時代、情報源によって異なりました。
初期の神話では、彼はラーの息子として描かれ、最初の中間期(紀元前2181年から2055年頃)に書かれた棺桶の記述では、アヌビスは牛の女神ヘサトまたは猫の頭のバステトの息子とされる。
別の伝統では、彼をラーとネフティスの息子として描いている。
ギリシアのプルタルコス(紀元40年頃~紀元120年頃)は、アヌビスは、ネフティスとオシリスの非嫡出子であり、オシリスの妻イシスの養子であったという伝承が存在する。
イシスが、オシリスが姉を愛し、姉を自分と間違えて彼女と関係を持っていたことを知った時、彼がネフティスに残したクローバーの花輪の形でその証拠を見たとき、彼女は赤ん坊を探していた、なぜならネフティスは、夫であるセトを恐れて生まれた後、すぐに、赤ん坊を捨てることになる。
その時、犬たちに導かれたイシスが赤ん坊を見つけ、彼女はこの赤ん坊を育て、成長した赤ん坊はアヌビスという名でイシスの護衛となって味方になる。
ジョージ・ハートは、この物語を「独立した神アヌビスをオシリスのパンテオンに組み込もうとする試み」と見ている。
ローマ時代(西暦30〜380年)のエジプトのパピルスは、単にアヌビスを「イシスの息子」と呼んでいました。ヌビアでは、アヌビスは母親のネフティスの夫と見なされていました。
プトレマイオス朝時代(紀元前350〜30年)に、エジプトがギリシャのファラオによって支配されたヘレニズム王国になった時、アヌビスはギリシャの神ヘルメスと合併し、ヘルマヌビスになりました。
2つの神は、どちらも魂を来世に導いたため、似ていると考えられていました。
このカルトの中心は、ギリシャ語で「犬の街」を意味する場所であるウテンハ/サカ/キュノポリスにあり、アプレイウスの『黄金のロバ』の第11巻には、この神への崇拝が少なくとも2世紀を通じてローマで続けられたという証拠がある。
また、実際、ヘルマヌビスは中世とルネサンスの錬金術とヘルメスの文献にも登場する。
ギリシャ人とローマ人は一般的にエジプトの動物頭の神々を奇妙で原始的であると軽蔑していましたが(アヌビスはギリシャ人から嘲笑的に「バーカー」と呼ばれていました)、アヌビスは天空のシリウスや冥界のケルベロスとハデスに関連付けられることがありました。プラトンは対話篇の中で、ソクラテスに「犬にかけて」(ギリシア語: kai me ton kuna)、「エジプトの犬にかけて」、「エジプト人の神である犬にかけて」の誓いを立てさせることがよくありますが、これは強調するためであり、またアヌビスが冥界における真実の調停者としてアピールするためでもあります。

*役割*
多くの古代エジプトの神々と同様に、アヌビスはさまざまな状況でさまざまな役割を果たしている。早くも第一王朝(紀元前3100年頃〜紀元前2890年頃)に墓の守護者として描かれたアヌビスは、防腐処理業者でもありました。
中王国時代(紀元前2055年頃-紀元前1650年)までに、彼はオシリスに取って代わられ、冥界の支配者としての役割を担った。
彼の顕著な役割の一つは、魂を死後の世界へと導く神としての役割であり、
彼は、魂が死者の領域に入ることを許されるか、どうかを決定する「心の重さを量る」天秤を所持していた。

・『防腐処理』
「エンバーマー(jmy-wt)(イミウトまたはイミウトフェティッシュ)」
「防腐処理の場所にいる者」として、アヌビスはミイラ化と関連付けられる。
彼はまた、「神のブースを主宰する者」と呼ばれ、そこでは「ブース」は防腐処理が行われた場所またはファラオの埋葬室を指していた。
オシリスの神話では、アヌビスはイシスがオシリスを防腐処理するのを助け、実際、オシリスの神話が浮上した時、オシリスがセトに殺された後、オシリスの臓器はアヌビスに贈り物として与えられたと言われている。
このつながりにより、アヌビスは防腐処理業者の守護神になり、ミイラ化の儀式の間、死者の書のイラストは、直立したミイラを支えるオオカミのマスクをかぶった司祭を示すことがよくある。

・『墓の保護者』
アヌビスは墓や墓地の守護者であり、エジプトの文献や碑文で彼の名前に付けられたいくつかの形容詞は、その役割を指している。
「西洋人の第一人者」を意味し、別の犬の葬祭神の名前でもあったケンティ・アメンティウは、死者が通常ナイル川の西岸に埋葬されるため、彼の守護機能をほのめかしました。
彼は葬儀の役割に関連して、tpy-ḏw.f(Tepy-djuef)「彼の山にいる者」(つまり、上から墓を見守る)や、彼を砂漠のネクロポリスの神として指定するnb-t3-ḏsr(Neb-ta-djeser)「聖地の主」など、他の名前を名乗った。
ユミルハックのパピルスは、アヌビスがオシリスの遺体をセトから守った別の物語を語っており、セトはヒョウに変身してオシリスの体を攻撃しようと試みたが、アヌビスは立ち止まってセトを制圧し、熱い鉄の棒でセトの肌に焼き印を押した。
その後、アヌビスはセトを剥がし、死者の墓を冒涜する悪人に対する警告として彼の肌を身に着けました。
死者に付き添う司祭たちは、アヌビスがセトに勝利したことを記念して、ヒョウの皮を身に着けるようになり、アヌビスがヒョウの形をしたセットの皮をブランド化した伝説は、ヒョウがどのようにしてその斑点を得たかを説明するために使用されました。
また、ほとんどの古代の墓には、アヌビスへの祈りが刻まれている。

・「魂の導き」
ファラオ時代後期(紀元前664〜332年)までに、アヌビスはしばしば、生者の世界から来世への敷居を越えて個人を導くものとして描かれました。
牛の頭のハトホルでも同様の役割が演じられることもありましたが、その役割を果たすためにアヌビスがより一般的に選ばれ、エジプト史のローマ時代のギリシャの作家たちは、その役割を「サイコポンプ」、ギリシャ語で「魂の導き」を意味する用語と指定し、ギリシャの宗教でもその役割を果たした自分たちの神ヘルメスを指すために使用しました。
その時代の葬儀芸術は、アヌビスがギリシャの服を着た男性または女性をオシリスの前に導き、オシリスはそれまでに長い間アヌビスに取って代わって地下世界の支配者になっていたことを示している。

・「アヌビスの天秤計」
 天秤は、正邪を計る神の道具とされ、冥界の王オシリスの審判の広間で罪業を天秤で測り比べる様子が絵が描かれている。
アヌビスの役割の1つは、「天秤の守護者」である。
死者の書で心臓の重さを描いた重要なシーンでは、アヌビスがその人が死者の領域(ドゥアトとして知られる冥界)に入る価値があるかどうかを判断する測定を行っていることを示している。
亡くなった人の心と、ダチョウの羽としてしばしば表現されたマアトを天秤にかけることで、アヌビスは魂の運命を決定づけ、羽根よりも重い魂はアミットに食い尽くされ、羽根よりも軽い魂は天国の存在に昇るとされていた。

紀元前5000年の古代エジプト、国王ファラオは死を迎えると裁判を受けました。
裁判官オシリスの前で正直に生前の罪を打ち明け、反省すれば再生と王位の再即位が約束されました。 オシリスは死者の心臓(心)を取り出し、検事アヌビスの天秤皿に置き、片方の天秤皿には世界で一番軽い鳥の羽根を置いてファラオの審判を行いました。
もしファラオが罪を隠そうとすれば天秤が傾き心臓は地面に転がり、アヌビスのペット、アメニドに食べられてしまいます。そうなるとファラオは二度と蘇れません。

つまり、これらの情報をまとめると、
・生と死に関わる神
・頭部がジャッカル
・イシスによって育てられた養子。
 と言う情報が得られる。
 これらの情報をまとめると、多くの神話に登場する豊穣の女神が、国境を越えて、国を超えるたびに姿かたちを変えて、最終的に、日本に来た時に、【稲荷】に統合され、その事実を知っていた原作者の手により、『ニャンコ先生』と『夏目レイコ』と言う形に集約されたと考えられる。
 要するに、同一神である可能性が高いと言うことだ。


*まとめ*
『夏目レイコ』が、【ダキニ天】の魔女であり、古代エジプトの女神「イシス」であるよするならば、『ニャンコ先生』は、白いキツネ=「アヌビス」が正体であると言うことになる。
『ニャンコ先生』が、他の妖怪と別格な理由は、【ダキニ天】であり、他の国から来た異教徒の神であるとするならば、辻褄があうのだ。
 このように、「ニャンコ先生」の正体は、『ダキニ天』であり、この作者はこれらの情報(真実)を知っていたからこそ作ることができたと言うことになる。
 アニメや漫画やゲームなどの作品は、それだけ知らなければ作れないものであり、これらの【本質的側面】を知ることができて、初めて作品を作ることができるのだ。
 それを知らずして、作家にはなれない世界があると言うことを私達は理解しなければいけない。
 今後、このような作品分析の情報を上げて行く予定である。
 私達は、いい加減大人になり、作品の本質を見抜かなければいけない。
 そして、政治、経済、歴史の本質について学び続けて行かなければいけない。
 それが彼らDS側からアニメや漫画やゲームを解放するために必要なことなのである。

ここまで読んでい頂きありがとうございました。

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