原作改変がおきる仕組み
原作改変がおきる仕組み。
脚本家や原作者の責任だけに視点を置いているとどうにも原因が見えない。
じゃあ、どうして明らかに人気のある作品に対して粗雑な改悪がおきてしまうのか?
まず、ドラマってどうやって決まるかだよね。
テレビ局がまずあります。当たり前すぎてアホかと言われそうですがW
テレビ局によってドラマのカラーが違います。
NHKでテロリストを主人公にしたデスノートを実写ドラマかしないでしょう。
日テレは恋愛ドラマを作ってもどこか泥臭く作りますので、ちょっとぶっ飛んだ設定を足したがります。
フジはわかりやすい恋愛物か、爽やかなドラマを好む傾向にあって、深いテーマもごくたまにやりますが、反動なだけで本流にはなってこない気がします。いまのところ、突っ込んだテーマは少ない。
TBSは金八であじをしめているので過激なテーマを扱っても社会派で通してます。実際は原作者がそれを嫌って、逃げてますが。東芝日曜劇場のようないまだに高い視聴率をとれるドラマを作っているので、層が厚いです。
テレ東は安い制作費でどう作るかだけで、孤独なグルメがテレ東のドラマを体現してます。
朝日は刑事ドラマのみ。あとはドラマになってません。そもそもドラマを作る基盤が無いと思います。ごくたまに人が出ますが、そう言うこともあるかなってレベルです。
各自カラーがあって、そこに時間帯からドラマの傾向があります。
日曜のドラマと火曜のドラマではテーマや空気感が違うのは、見ていて感じると思いますよ。
何が言いたいのかというと、原作ありきでは無く「枠」がありきです。
テレビ局から各プロデューサーに「枠」にあったドラマが募集されます。
「枠」のカラーが決まると、スポンサーもつきやすいこともありますね。
Pはそのために山のような企画書を抱えています。
企画書はペラ数枚にかかれた、作品の面白さと内容とキャストが書かれたもの凄く簡単な物です。
これ、どういうことかというとたとえて言うならレンタルDVDでジャケットだけ見て借りることと同じです。
タイトルの良さ、キービジュアル、出演者、あらすじ、ジャンルなどで見てみようかなと思いますよね。
セクシー田中さんとタイトルがつけられていたら、地味なOLが実はエロい衣装を着たベリーダンサーで若いだけが取り柄のOLが憧れるんだけど、地味なOLはうとんじる。それが女の友情になっていくというもの凄くチープなコメディを想像します。
ところが、原作は全然違うくらいに深くてDEEPでコメディじゃ無い角度で面白い。
ここでボタンの掛け違いが出てきます。
「枠」にあってると思ってコメディ要素の高い作品を期待して、局が採用しちゃいましたと。
Pは「枠」からはみ出さないように作れと厳命されます。
強くてがちなPなら局を騙してもやりたいことをやりますし。原作を読み込んでます。
ところが、大量の企画書からなんか通っちゃったよこれ?みたいなかんじでラッキーだから進めようと。
それで、自分の使える役者をキャスティングします。
企画書に想定キャストもいれていることもいいので、キャストありきで通る場合もあって、のだめカンタービレのように当初は岡田准一がメインになるようなシナリオ改変が進んでしまい、原作者が白紙に戻した事件もある。
キャスト事務所が今度はシナリオにもクレームをつけてくる。
脚本家はその直しも通常よくある仕事なので、やります。
セクシー田中さんではよくみたしーんですけど、主人公の若い美人女優がクライマックスシーンで逆光でいいこというシーンになってます。
ダサいシーンですが、これやらないと下手くそな芝居がさらに下手に見えます。
こうして原作と違う作品ができていってしまうわけです。
原作をドラマ化したいと企画書を書いた人は、まず脚本を書かせてもらえません。
テレビ局は「枠」を埋めることしか考えてません。
大ヒット作を作れるとはそれほど期待してません。
数打ちゃ当たるです。
Pは数打ちます。
キャスト事務所はタレントの価値を上げたい。ドラマのテーマは関係ないです。逆光で決め台詞言えばいいんですw
脚本家がその状態でオーダーされたら、優先順位として著作権の同一性は最後の方になります。
デスノートTV実写版を見たとき、八神ライトがドルオタのアホ大学生になっていたときは、ずっこけましたよ。
著作権の同一性保持権はどうなってんだ?と。
このおかげでドラマの緊迫感がまったくなくなって、本来の頭脳戦が面白かったのに、なにもなくなった。
いろんな事情があって、脚本家が本を仕上げます。
そのあいだにプロットを何回も書き直し、シナリオ段階でも書き直します。当然、書き直して同一性がなくなってもその責任は書き直させた側にあります。
描き直しを支持できるのはPですが、Pがそもそも原作がなんで人気がるのか分析できていない人であれば、原作者と脚本家でシナリオを書かせればいいのですが、中途半端に口がうまいだけの人だとこれができない。
どこの会社でもいると思いますよ。
上司の覚えめでたいので出世したのですが、先方のお得意様との折衝が全くできていなくて、自分の部下にしわ寄せをおっかぶして手柄は自分のもの、失敗は部下のせいにする人。
これからの時代は著作権同一性保持権をいかに守らなければならないかがコンプライアンス遵守課題になってくる。
テレビ局は体質的にできないのは、権利問題をまったく意識していないからですね。
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