花ありし京都
夫が単身赴任で留守が続くなか
義両親を看おくり 二人の子供を育て
あげ やっと楽にという所で夫が定年を迎え 帰ってきた
そんな「友人」が
還暦を迎えるにあたり 家族以外との旅行がしたいという
「還暦旅行」
一つ上の私はすでに
同級生と予定があったけれど
「京都に旅行したい」という彼女の
言葉に 青春18きっぷの使える間に付き合うか・・
とスケジュールを組み始めたのが去年の暮れ
人混みを避けるため 桜の時期と春休みを外し
「桜は多分見れないかもしれないけど・・」と計画をたて始め
「哲学の道を歩きたい」
という要望に応えスケジュールをたてた
ところが3月の気温が低かったせいで
桜は咲くのをとめた
「もしかして見られるかも」
から
「桜見られるね」
になり
当日がやってきた
「どこで見ても桜は桜じゃん」
という人もいるけれど
京都に来て桜を見る「今」が心地いいのではないか・・そして
そのタイミングを掴めた「今」が
なんだか「いいものを手にできた」ような気がする
あと少しで散りゆくだろう桜に
感謝の気持ちがわく
友人は
「涙出そう・・」
と桜の下に立つ
桜並木を惜しむようにゆっくりと歩く彼女に私の足は合わせられず
進んでは待ち 進んでは待ち
彼女の頭のなかに思いを馳せることも忘れ 時計と次のスケジュールの相談をしていた
60年
私達が生まれたのは60年代半ば
身近で一番目まぐるしく変わったのは
「電話」の形態のような気がする
信じられない程の急速な変化の中を
生きてきた
子育て中のドラマやコマーシャルには
うとい 働きながら育てるのに必死
だった 子供が大きくなれば親の介護が始まる
気がつけば 60歳だ
私は卒婚依頼 自由に生きているが
彼女の主婦生活はまだ続いている
「京都の桜が見たい」
と言った彼女の気持ち
京都という地で桜を眺められる
そんな自分を見たい
ひたる彼女に気も回さず
立ち止まって待つ私の姿に
今 少し後悔している
また来年 あの桜を見えたら
いいね
と心から願っている
向かえてくれたかのように
桜の下を歩かせてくれた京都
時空の運びに「感謝」します