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「ストップモーションの見え方」一歩目

みなさん、ストップモーション・アニメーション作品はお好きだろうか?
「そんなの知らないよ~」 って人も
「もちろんダイスキ!!」 って人も 居るだろう

同じくらいの歳の人に分かりやすく言うと「ニャッキ」や「ロボット パルタ」のような作品がソレにあたる。
人形や粘土のキャラクターを少し動かしては写真を撮る。また動かしては写真を撮る…これを繰り返して写真を繋げるとあら不思議!キャラクターが動いているように見えるアニメーションが完成する。

僕はこのストップモーション作品が大好きだ。日本ではコマ撮りアニメという名前で知られていて、子供の頃からずっと身近に感じてきた。だから大学の映像の講義でアニメーション作品を紹介するときに

「これは僕にしかできない分野だ!」

と意気込んで「コララインとボタンの魔女」を紹介した。これが残り半分を切った大学生活を180°一変させてしまうとは知らずに…

「ストップモーションの見え方」

発表はまずまずの評価。だが教授には若干ウケ、
「ストップモーションを一般大学でやる子は珍しいから簡単にでもまとめてみなさい」
という金言を頂くこととなった。さて、ここから今日のノートの本題である「ストップモーションの見え方」について少し語ってみたいと思う。
これから私が貼り付ける二万字くらいの文章は教授に諭されてのちに作った「ストップモーションの疑問点お手軽ノート(原題)」である。
一応教授に見てもらうということで論文形式、とりあげる作品も最近の物に絞って「昨今の日本作品から見るストップモーション表現の動き」なんてカッコいい題名まで付けた!(タイトルはいつでもカッコよくしたいものだ)

当時の自分がなんでだろ~?と思っていたストップモーションのぎこちなくてカワイイ動き、逆にぬるぬる動く所を解釈し考えてみたといった内容だ。論文と聞くと難しいように思えるがストップモーションを知らない人にもぜひ!という気持ちで作ったので注釈も頑張ったし難しい言葉もなるべく控えたつもりだ。長ったらしいので飛ばし飛ばしでも構わない。
ストップモーションに触れる機会としてのーんびり読んでいただけると幸いだ。


↑一応PDFも上げてみます、こっちの方が見やすいか…?

昨今の日本作品から見るストップモーション表現の動き



序章  はじめに
    0.1 ストップモーションという手法について
    0.2 研究対象の選定と流行
    0.3 ストップモーションアニメというけれど
 
第一章              手法の解体と仮説
    1.1 映像手法が与える感覚への影響
    1.2 ストップモーション作品の特徴の実証
 
第二章              現代日本作品との比較。解明
    2.1 作品分析と解説
    2.2 一作目研究対象 『【コマ撮り】鬼滅の刃のフィギュアで必殺技を再現した動画まとめ【炭治郎 善逸 伊之助】』より
    2.3 二作目研究対象『PUI PUIモルカー』より
    2.4 三作目研究対象『JUNK HEAD』より
 
第三章              分析から見るぎこちなさの正体
    3.1ここまでの作品研究から
 
第四章              結論
    4.1 アニメーションと実写動画の境界で
    4.2 今後の課題
 
あとがき

序章 はじめに

0.1ストップモーションという手法について

アニメーションとは様々な手法によって作られる動画表現の総称である。

アニメーションの歴史は古く、止まっているものを動かすために現在に至るまで数多くの手法[1]が試されている。アニメといえば一般的に絵が動いているように見える手書きアニメーションを指すが、他の手法も勿論れっきとしたアニメーションである。本文ではアニメーションの中の一つ、「ストップモーション・アニメーション」を中心にその独自性と性質をまとめていく。

 まず前提としてストップモーションとは何か。2次元の絵を動かすのではなく3次元の被写体[2]を1コマ[3]単位で撮影し制作する動画手法のことである。古い手法でありながら現在に至るまで多くの作品が制作されており、被写体の手作り感や動きのぎこちなさといった他のアニメーションにはない表現が特徴だ。一作品を作るために膨大な時間を要するためコストが高いとされるが、手法の持つ親しみやすさは他にはない特色とされ広告などに使用されている。作品によって被写体が人形や粘土、時には砂や黒板と多種多様に分かれるが一コマずつ撮影する方法はいずれも変わらない。本文ではこの手法の特徴を一つ一つ分解、そして見ている人の動きに関する受け取り方を解き明かしていく。

 本論に移る前に現在と過去のストップモーションの歴史と扱う作品群について少しだけ補足しておく。ストップモーションは本来実写作品にも使われていた手法だ、有名な作品では『キングコング』[4]やチャップリン[5]の作品にも使用されている。ストップモーションだけの作品も古来よりあるが、実写作品における動かしたいが動かせない怪物の人形や小人が歩くシーンなど今ならばCG(コンピューターグラフィックス)が使われる部分を昔はストップモーションが担っていることが多かった。CGが主流になってからは実写作品におけるストップモーションの役割は大きく減り、特殊撮影作品[6]でも最早ストップモーションを見ることは無くなっている。本論ではストップモーションをメインに制作された作品をストップモーション・アニメーションと定義し研究対象として取り扱うがストップモーションの手法が実体を撮影する手法であること、実写作品で使われていたこと、CGによって役割の一つを失ったことなどを基礎知識として覚えていて欲しい。

0.2研究対象の選定と流行

 昨今日本でストップモーションを使った作品『PUIPUIモルカー』が大きな反響を呼びインターネットを中心として話題を集めている。アニメ文化が多くの年齢層に浸透し一種のブーム状態とされる現代日本でも三分弱のストップモーションアニメが注目されることは珍しい。世界的に見るならば大ヒットやオスカー賞を獲得したストップモーション作品は数多くあるものの、アニメの飽和した現代日本でここまでのヒットを起こすことは特殊な状況だ。ギレルモ・デル・トロが評価したことで話題になった『JUNK HEAD』、YouTubeチャンネル登録者60万人を一年足らずで達したコマ撮りアニメーターの篠𠩤健太氏の台頭とこの数年間で日本にストップモーションアニメ文化体系に大きな変化が起きているといっても過言ではないだろう。

偶然にも同じ時期、同じ手法を扱うアニメーション作品。しかしこのすべてが全く違う特色を持って大きな反響を得ている。手法の持つ独自性や観客に与える効果を紐解くため今回はこの三人の作品を研究することから手法の独自性の一つ、動きのぎこちなさに注目し解き明かしていきたい。この手法における動きのぎこちなさとは最大の特徴であり最もイメージされやすい要素だ、一章では様々な要素を抜き出し手法の全体を包括するような仮説を立てるが結局この部分に帰結することも多い。なお現代日本の作品を取り上げる理由として、戦中発達したチェコを中心とするアート・アニメーション[7]などは現代人の感覚でとらえきることに限界があるのではないかという不安もあり却下とした。取り上げる三つの作品はここ数年のものであり、本論文はあくまで現代におけるストップモーション作品やアニメーション観に適用している。リミテッド・アニメーションのような日本的なアニメーションとの比較から内容を分かりやすくしたいといった意図も含んでいる。ストップモーションの基本的な表現については一章を中心にまとめるためそれを踏まえてストップモーションという手法についてともに切り込んでいって欲しい。

0.3ストップモーションアニメというけれど

 いきなり本論に入りたいのは山々だが、その前にストップモーションを取り扱う時に絶対に避けては通れない問題について定義づけと議論をしておく。ストップモーションはアニメーションと定義するかという問題だ。3次元の被写体(立体物)を撮影している点でアニメーションといえるのか?という疑問に筆者はコマ撮りをしている以上アニメーションの区分であり、命のないものに動きを与えキャラクター化しているとしてこの手法のみで作られた映像作品をアニメーションであるとしてきた。しかしCGアニメーションの台頭によって、もはやコマ単位で制作されているからアニメーションの区分という意見は破綻してしまっている。むしろ自然によって意図せず作られる影が反映される等、画の中にコントロールが利かない部分が存在する点やその変遷からストップモーションには実写作品の面があるのでは?と考えることが出来るようになってしまった。人間など生き物を使ったストップモーション作品も存在しているため[8]何を持ってストップモーションをアニメーションと言えばよいのか、その議論に個人的な見解を述べることとする。実際にはありえない映像を表現するための方法の一つがアニメーションであるのでストップモーションも勿論アニメーションと言えるというのが個人の見解だ。ゴ―モーション[9]のように精巧に滑らかに見えるストップモーションの手法もあるが実写との一番の違いは連続する動きの間のコマがこの世に存在しないこと。実際にありえない映像表現をするための存在しないコマを視聴者の創造力で補完してもらうことで完成している。時代の変化によって新しい表現が生まれることは当たり前であるし実際にストップモーションも今ではCGに取って代わられている、しかし昔は想像も付かないような手法が開発され言葉の定義が揺らいだとしても古来の手法の分類や分類をわざわざ変える必要性も無いというのが私見だ。

第一章         手法の解体と仮説

1.1映像手法が与える感覚への影響

 閑話休題。本論文ではストップモーションなる手法を対象にして独自性の一つである「動きのぎこちなさ」をまとめることを目的としているがそのストップモーションの中にも多くの種類がある、よく見られるのは人形アニメーションとクレイ・アニメーション[10]だろう。この二つはキャラクターを現実にある造形物を使いキャラクター化することで見る人に感情移入をさせることが可能になっている。当論文でも対象作品がこの二つに分類されることからもこの二つの作品群を中心としていくこととする、理由としては「ストップモーションの中でも主要な作品群であること」「日本でのストップモーション作品を取り上げるうえで前述の作品群がこれらに該当している」からだ。砂や黒板を使った作品ではその被写体自体を立体的にキャラクター化しているわけではないため今回は見送る形とする。

 また、動きの研究をする際にぎこちない動きの反対語として滑らかな動きという表現をこの論文では多用する。動きのぎこちなさとはあくまでも主観による所がありアニメーションを見慣れている人間とそうでない人間の間には感覚や認識にずれが発生する場合があるが、ストップモーション作品の一種のイメージとして存在しているぎこちないと思う感性を解き明かすことが本論文のテーマである。そのため特定個人にしか適用できないものは基本的に第一章では除くこととする。

 研究対象の選定の次は研究方法としてストップモーション作品の独自性や制作法を分解、他のアニメーション作品との比較を行っていく。まず特徴として

1.       被写体を1コマずつ撮影する
   a.動きが他のアニメーションよりもぎこちない
   b.人形の調整が人力でやり直しが効きにくい

2.       被写体は人形など実体のある本物である
   c.身近に感じられる人形や粘土で出来たキャラクターがメインとなる    
   d.立体であるがゆえに影が出来る、照明による演出

3.       被写体が動いているように見える
   e.本来動くはずのないものが動く、動くことでキャラクター化する

4. 少数精鋭ゆえの監督のこだわり
   f.作風への影響

などが考えられる。

この特徴を生かされているシーンや制作風景をまみえ実際にどう視聴者に影響を与えているかを考えていく、いわば現代作品の研究に移る前の下準備だ。

1.2 ストップモーション作品の特徴の実証

まず「1.被写体を1コマずつ撮影する」から、その手法によって生み出されるa.とb.の効果について見ていく。アニメーションにおいて動きがぎこちなく見えるのはなぜか、それはコマ数の違いが生む見え方の違いから考えることが出来る。

 フル・アニメーション[11]作品は一秒間に24コマ、つまり24枚の絵を使い、リミテッド・アニメーション[12]は通常8~12コマとされる。それに対しストップモーション作品はひとくくりにすると8~24コマと幅が広い。リミテッド・アニメーションもアクションシーンなどで部分的にコマ数を多くすることがあるが、それでもストップモーション作品の作品ごとによる振れ幅は大きなものだろう。なぜストップモーション作品のコマ数に差が出るのか、ぎこちなく見えるはずのストップモーション作品のコマ数の方が多いのかこともあるのか、それは手法の特性に関わってくると言えよう。

 大前提としてコマ数が少なければパカパカしたぎこちない動画になってしまう。だがコマ数が多いからと言ってパカパカしないわけでは無い、もしそうであれば24コマのストップモーション作品にぎこちなさを感じることは無いからだ。コマ数と動きのぎこちなさは関係性があるもののリミテッド・アニメーションを違和感なく視聴できていることから特筆すべき点はそこではないだろう。動きのぎこちなさを生んでしまっているコマ数以外の要因、それが作品内にないのであればそれは視聴者の目の認識の方に要因があると考えられる。例としてストップモーション・アニメーションのキャラクターとリミテッド・アニメーションのキャラクターのワンシーンから抜き出してみよう。 

 どちらも食事の場面で会話をしており口を動かしている。だが後者は口を開ける絵と閉じる絵、そしてその中間の絵しかなく口以外の動きは主に無い。一方前者はフル・アニメーション規格の24コマで口のほかに手や目も細かく動いている、それなのにこちらの方がぎこちなさを感じるのはどうしてか。これはコマ数の少なさと簡略化された口の動きがリミテッド・アニメーションと認識し、作品になれた目と脳が間を補完することで違和感を無くし作品に没頭している状態を創り出しているのではないかと考えられる。現実的なリアルよりも滑らかに見えるリアリティに見える事が求められる作品で、アニメの中のリアリティとしては秒間8コマの口パクでも十分と言えるのだろう。しかしストップモーション・アニメーションではそうはいかない、実体を持つ被写体の存在感は自然と現実の動きと比べてしまい24コマでも動きを不自然と認識してしまう。あいうえおの発音を人間の口の動きに近づける精巧なストップモーションでは脳の比較対象が人間のそれと比べてしまう。後者の『ゆるキャン△』のシーンでは「口の中やけどした」と十文字の会話を口の動き三枚の画に簡略化しているのに対し、前者の『ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ!』では三枚の画で一単語を言えるかどうかだ。デフォルメされていない人間の口の動きに似せるほど実際の人間の口の動きとの差が気になってしまう。しかしそうなるとフル・アニメーションも24コマで精巧な人間の動きを表現しているではないか、これらの作品との比較ではぎこちなさの違いはどうか。次はフル・アニメーションとストップモーション作品の違いから手法の中に介在する動きのぎこちなさを探っていくこととする。
 完成した作品に違いが出るのであれば仮説として「ストップモーション作品の被写体を人間が見るときに脳がぎこちないと処理する」ことと「制作方法の違いが作品に出ている」ことの二点が立つ。前者は人形や粘土の立体物であることが影響してどうしても人間の目には動きがぎこちなく見えてしまっているのではないかという仮説だ、例えば、中村氏は次のように主張している。

対象にあらかじめ輪郭が描かれていれば、背景とのコントラストが高い線分によって囲まれた対象を認識することになるため、その処理時間が短くなり、それがフレームとフレームの間の対象の対応関係を認識するうえで有利に働くことは十分考えられます。逆に、輪郭が明瞭に書かれていない実写動画ではその輪郭を検出するのに時間を要するため、フレーム間の対象の位置変化が大きいときに対応関係の形成に負担が生じ、滑らかな動きが知覚されにくくなることが考えられます。3Dアニメーションなどはフル・アニメーションとして作成されることが多いのですが、この場合、3Dにして立体感を強くするためには輪郭を明瞭に描かないほうが好ましく、そのため実写動画と同じように輪郭検出の作業に時間を要するものと考えられます。注1

ここからは人間の見え方に関する研究からストップモーション・アニメーションを見ていく。ストップモーション・アニメーションという手法は実体を持ち実写同様手書きアニメーションに比べ輪郭の概念が極めて低い。上記の引用から考えるにフル・アニメーション規格の24コマ作品であろうと、手書きアニメーションとは違いキャラクターの輪郭線がないストップモーションは認識に不利な点が発生していると考えられる。それがぎこちなさに繋がっている可能性は大いにあるだろう、立体感と影、さらに輪郭の無いキャラクターと情報の多さがストップモーション作品を見る我々の見え方に影響を与えていると考える仮説だ。しかしこれはCGアニメーションや実写動画にぎこちなさを感じないことから、あくまでぎこちなく見える要因の一つだと考えておきたい。

そして後者の仮説としてはこういった理由が推測される。制作風景は違ったものにはなるが両作品とも絵コンテを基にシーンを作り制作されていく点は同じ、しかし動かし方には多少の違いも見ることが出来る。まずアニメーションで人を歩かせる場合1秒を24コマに区切り一コマずつ作り出していくとする。その時手書きアニメーションは足の動きを「足を上げるタイミング」「地面につくタイミング」など動きの始点と終点を決め、その間を中割り[13]で埋めていく。しかしストップモーション作品はどうだろうか、もちろん歩く歩幅やタイミングは細かく決めていく。だが基本的に動きは一方通行の流れで撮影していく、間の中割りを後から加えていく方法ではない。また、手で被写体を調整するため多少の揺らぎもあり技術の進歩によって改善は進んでいるものの多少なりとも存在している。こうした部分がぎこちなさに繋がっていると考えられ、人形のアニメイト[14]が一方通行にしか進まないのだ。

 続いてbの人形の調整が人力で完成後のやり直しが効きにくい点について。これは先ほどのぎこちなさにも通ずるところがあるが、この手法は人形の動きを人力で操作することから多大な時間を要し同場面の撮影は並行して行えないという制限がある。そのため一度制作したものをやり直すことは大きなリスクを負い、同カット内の1コマの動きだけを後から取り直すことも難しいためワンシーン丸々をリテイクすることとなる。他のアニメーション制作との違いが大きく出ている点だろう。
 例に挙げると通常の週間放送のアニメの制作期間は30分×13話構成で二年ほど、それに比べ2分40秒×12話構成の『PUIPUIモルカー』の制作期間は約1年半となっているため週間放送のリミテッド・アニメーションと比べるとかなりの差が出ている。元来ストップモーション・アニメーションで計6時間半もの週間作品を作り上げることは現実的ではなく、作品のほとんどが大きなスタジオが主導する長編映画と規模を縮小した短編作品に分けられてしまっているのはこういった理由のためだ。

 次に「2.被写体は人形など実体のある本物である」のcより人形を使う事と人形や粘土によって形付けられるキャラクターたちについて作品を絡めながら特徴をまとめていく。ストップモーションの特徴を色濃く出す要因として被写体の人形の存在は大きな部分を占める。その存在感は、触ることの出来る実在感こそが引き起こしていると言えるだろう。今回は人形が持つ効果をアニミズムの観点とプレパレーションの観点から見ていこうと思う。まずアニミズムとは、

生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。19世紀後半、イギリスの人類学者、エドワード・バーネット・タイラーが著書『原始文化』(1871年)の中で使用し定着させた。日本語では「汎霊説」、「精霊信仰」「地霊信仰」などと訳されている。この語はラテン語のアニマ(anima)に由来し、「気息・霊魂・生命」といった意味である。注2

 と定義されている。日本では神道の影響のほか八百万の神[15]という形でも現代に影響を及ぼしているとされ、人形は人の形を模していることから魂が宿る対象として古来から呪術的な役割を担ってきた歴史もある。画面の中で動く人形たちはこのアニミズムのイメージをそのまま映しだしたものと言えるだろう。

次にプレパレーションについて。プレパレーションとは日本語で「心の準備」を意味し医療現場では苦痛を伴う処置(採血や点滴注射など)などを行う時、事前にわかりやすく状況を説明することで、処置を受ける子ども自身が先の見通しをつけ心の準備をするという意味合いで使われる。このプレパレーションの方法の一つに人形を使ったものがある。医療記事注3によると人形を患者である子供自身に見立て現在の病状などを説明、理解してもらうために利用されているようだ。 
 プレパレーションとアニミズム、どちらも人形に生の概念を与えるがストップモーション作品の被写体においては両方の性質が存在しているとここで仮定する。アニミズムは日本的解釈に乗っとるならば人形の内に魂、つまり自我と生を見出すがプレパレーションは自己の投影、外からの意思の同化を試みる。生があるという前提とないという前提がそれぞれ生み出す二つの概念がストップモーション作品における人形から感じ取ることが出来るのではないかと私は考える

しかしアニミズムについては今後も研究の余地があるものとする、ストップモーション作品は対象年齢が広い物もあるがアニミズム自体が幼児などに対して適応することが出来るのかという疑問があるからだ。大人と子供によって受け取り方が違うことは想像に難くないが手法の独自性の面から見て特定部分のみに適用すること出来るものを大きな主題として取り扱うことに危険性があると見ているからだ。

 最後にf作風への影響について。現在ストップモーション作品は数も少なくストップモーション・アニメーション専門のアニメーターの数も少ない、それによって起きる事象は作品の一本化といえるだろう。時として監督すらアニメーターとして参加するストップモーション作品は作品を構成する人間の少なさから意思疎通のぶれが少なく世界観やアニメーションがとても純粋に反映されると言える。作家性の強さが特徴のアートアニメーションとの関りも深いストップモーションならではの考えである。

二章 現代日本作品との比較。解明

 2.1作品分析と解説

本稿では前章の内容を基に現代日本での作品がどのようなストップモーション表現しているかを検討していく。ターゲットとなる層の違いなども簡単にまとめ、前章の中身と照らし合わせていくなかで現代日本作品の手法の独自性を紐解いていく。

2.2一作目研究対象 『【コマ撮り】鬼滅の刃のフィギュアで必殺技を再現した動画まとめ【炭治郎 善逸 伊之助】』より

一作目は篠𠩤健太氏の作品群から『【コマ撮り】鬼滅の刃のフィギュアで必殺技を再現した動画まとめ【炭治郎 善逸 伊之助】』(https://www.youtube.com/watch?v=Bl86ZnT9eyU

を参考にして作品の特徴と動きを見ていく。まず作品を分類したものが下の表2だ。

 この作品は漫画、『鬼滅の刃』に登場する「竈門炭治郎」「我妻善逸」「嘴原伊之助」の可動式フィギュア(ねんどろいど)[16]を使ったもので各キャラクター30秒ほどの映像によって成り立っている。
 この作品の特徴の一つに時間とメディアの点から「b.人形の調整が人力でやり直しが効きにくい」で説明した制作規模の話が合致するだろう。ストップモーション作品は小規模短編作品を作らざるを得ないことが多いがSNS[17]では短い動画だからこそ見やすく発表の場といて機能しやすい利点がある。ストップモーションの特性とネットワーク社会が思わぬ形で噛み合い、誰が見るか分からないSNSの世界で対象年齢の広いストップモーション作品群が受け入れられているようだ。
 次に「a.動きが他のアニメーションよりもぎこちない」の点からもこの作品を見ていく。ストップモーション作品におけるぎこちなさは作風の一つにもなるがこの作品では全くの逆を行く評価を得ている。動画のコメント機能には原作のキャラクターに触れたものが多いがその他に動きの滑らかさや生きているようなアニメイトに関するものが散見される。篠𠩤健太氏も自身が書き込んでいるサイトにて

「すごく滑らかな動きですね!」とか「コマ撮りとは思えないほどぬるぬる動いてる!」ってよく言われます。「どうやったらそんなに滑らかにコマ撮りができるんですか?」というようなことも聞かれます。皆さん驚かれるんですね。たぶんこの滑らかって言うのは自然に見えるってことだと思います。これがCGアニメーションなら「滑らかに動いてますね!」とは驚かれないと思います。皆さんはコマ撮りだから滑らかに動いていることに驚いているようです。注3

と語っていることから本人も意識しているようだ。第一章でも提唱したがコマ数が多い=なめらかであるとはいえない、逆にコマ数が少なくともデフォルメされた表現であれば滑らかに脳は処理を行うことが出来る。サイトにはその他にも

ただ僕の場合は1秒に12枚や8枚の場合でも「滑らかだ」と言われます。枚数を減らしても滑らかという印象を与えているようです。注4

という文言がある。文はその後、滑らかに見える工夫としてしっかりとしたコマ割りと軌道を丁寧に作ることが重要と続くが他のアニメーション手法との比較や篠𠩤氏の独自性を発揮するものではないとしてここでは割愛する。枚数の少なさ以外の視聴者の脳を納得させる一番の要因、それはなんなのか。ここに一つの仮説を立てさらなる研究を行うものとする。同サイトから篠𠩤氏の次の文言を引用したい。

キャラクターのフィギュアコマ撮りの場合は15fpsでコマ撮りすることが多いです。(場合による)

僕はフィギュアが実際に生きているように動くことや2Dアニメっぽさも取り入れたいので

・多少大きくて速い動きでもあまりパカパカしない最低限のフレームレート

・2Dアニメのリミテッド要素も残したい

と考え15fpsにしています。注4

上記の言葉から分かるように篠𠩤氏の作品はフル・アニメーションではなく日本のリミテッド・アニメーションを制作に取り入れている、動き方にもアニメっぽさを入れる他にもフレームレート[18]から徹底しているほどだ。視聴者の見慣れたリミテッド・アニメーションの要素を使い動きのぎこちなさを軽減した、いわばリミテッド・ストップモーション作品を完成させたのだろう。本来であればぎこちなく見える手法で滑らかな動きを表現すればそれは作品の強みとなる、イメージを逆手に取りfでいう所の作風への影響がここに表れているだろう。逆にこれが特徴になるという事はストップモーション自体にぎこちない動きをする手法と思われているとも言い換えることが出来る、イメージ先行であるとはいえ多くの作品がそういう風に見られているのだということは事実だ。現に篠𠩤氏もこれがCGアニメーションなら驚かれないと思いますと言っていることからも確かめることが出来る。反証ではあるがストップモーション作品の独自性として「動きがぎこちない」ということが間違っていないと言えそうだ。ならば篠𠩤氏のぎこちなさを取り除く手段に注目することでさらにぎこちなく見える原因に近づくこと出来そうといえる。上記の動画はアクションシーン(刀で切りつけるシーン以降)を除くと同じ画が一度続く2コマ打ち[19]のようだ。分かりやすく誰でも同じように見ることが出来るようYouTubeの機能の一つ「コマ送り(一秒30コマ)」で見ると分かりやすい、例えば炭治郎が刀を上げ振り下ろし前進するまでのシーン(動画時間にして5~6秒の時点、頭が動画内で大きく前に動く踏み込みのシーンまで)動きがあったコマから数えて49コマ18枚の画像が使われている。実際見ると基本二回コマを進ませると画像が少しだけ動くことが分かるだろう。しかし動画を進めキウイの顔が切られるシーンなどは一コマ進むだけで画像が変化している。シーンによってコマ割りを変えており下の画像(画像2-4及び画像2-5)では刀の動きが飛んでいるように感じられる。間が飛んでいるような画像でも効果音と動きで人間はなぜかスピード感を持って早く振り下ろされたかのように感じる、間を抜くことで瞬時に動いたのだと感じることが出来るのだ。他にも善逸が居合切りを行うシーン(画像2-6)では高速で動く物体を表現するためにオバケ[20]が使われている。リミテッド・アニメーションではよく見られる技法だがストップモーション作品で見ることは珍しい、これらが使われる理由は動きの元となっているテレビアニメの映像表現に寄せるためだと考えられるがそれが結果的に滑らかな動きを創り出しているのだろう。ぎこちない、滑らか、ぬるぬる動く、これらは全て人間が勝手に感じるイメージに過ぎない。リミテッド・アニメーションの表現が我々の脳をそういう作品を見る脳に変えてしまうのか表現自体に滑らかに見える秘訣があるのか、どちらにせよ篠𠩤氏がリミテッド・アニメーションらしさにこだわる理由がここにあるといえよう。つまりストップモーション作品の独自性の一つとして「ストップモーション作品を見るときには現実のものが動いているという認識があり、それらが動きの認識に影響を与えている」可能性があるということだ。これはバラバラに見えるストップモーションの特徴1.2.を補強する説と言えるだろう。


2.3  二作目研究対象『PUI PUIモルカー』より

次に『PUI PUIモルカー』から「c.身近に感じられる人形や粘土で出来たキャラクターがメインとなる」部分について考えをまとめていこう。

これがおおまかな情報であるが補足する点としてアニメーターが2人、美術が6人にアトリエKOCKA[21]が協力をする形になっている。前後に紹介する作品がアニメーターや美術、撮影を一人で行うものなのでその意味でこれは変わった立ち位置と言えるだろう。
 本作品にはメインキャラクターとして羊毛フェルトによって作られたモルカー[22]が登場し、それとは別にピクシレーション[23]によって動く人間の姿も確認できる。
 見里氏はインタビューにて

(中略)ストップモーションは素材によって作品の印象が決まる手法ですが、それゆえに大切なのは、素材がきちんと物語に対して必然性があるかどうかだと思うんです。注5

と話していることからも作品によって被写体を選ぶことをかなり重要視している。見里監督は学生時代に東京アニメアワードフェスティバル2016にて羊毛フェルトを使う必然性を問われていることもあり、作品と被写体の相性や必然性は制作の上で軸としている部分だろう。モルカーではキャラクターの可愛らしさや柔らかさを押し出す点でも羊毛フェルトはとても相性が良いがこの点も踏まえつつ被写体と動きについてこの作品をまとめていく、複数の被写体やピクシレーションがあるこの作品で、その役割を知ることから動きに繋がるヒントが見つけていくことが目標となる。

まず特筆すべき点はこの被写体がかなり動きに融通が利く素材であるということだ。伸縮性があり体の動きや表情を、直接被写体に手を加えることで変形させ表現することが出来る。ペーパークラフトのような作品の街並にマッチする触れられそうな優しいイメージを与えることが出来るのも羊毛フェルトならではだ。しかし動きという点で注目しておきたいのは被写体を細かく動かすことと被写体を変形させて動かすことはイコールではないということ。動物的なモティーフを表現するうえで形状が可変であることはある種生き物らしさを際立たせるのに役立ち、これが結果的に生き物らしさと滑らかな動きを表現しているのではないかと考えられる。

動物的と滑らかな動きの視点ではこの作品の人間をはじめとする他の生き物たちはモルカーたちと一線を画すものとなっている。モルカーの中にいる人間の動きはモルカーと比べるとどうしてもぎこちない動きに見えてしまう、その理由としてはコマ数が少ない他に動きの変形が大きい点を挙げられるがそれだけではない。羊毛フェルトで出来たモルカーたちとピクシレーションで撮影された人間たち、二つの被写体を上手く使い分ける事で表現に幅を持たせているのではないか。モルカーと人間の二つの差から、被写体の違うことで生じるイメージの差を下の表から見ていくこととする。

 まずはモルカーの特徴として細かく動いていることがあげられる、イメージしやすく言い換えるならば常に震えるように小刻みに1コマや2コマ単位で動いている状態だ。モルカーはモルモットと車の合体したような生き物だがあくまで生き物、動きを止めず一匹一匹に個性を持たせることで無機質的なものではないと表現をしている。それに対してぎこちなさを感じる人間側はどうか、人間はモルカーの中の描写などカメラが接近する場面ではピクシレーションを用いており街並みの俯瞰する状態では人間を簡易化したミニチュアを使ったストップモーションになっている。ミニチュア側は足の関節などが動かず歩くだけでも全身が傾くように動いておりとても滑らかな動きと感じることは出来ない、ピクシレーション側では単純にコマ数が多いことから滑らかには見えない。と言いたいがピクシレーション側に関してはもう少し考察の余地があるだろう。この作品で最もぎこちなく見える部分、人間のピクシレーションからモルカーの動きの滑らかさを確定していく。

人間のピクシレーションがぎこちなく見える要因の仮説は三つ
1.      人間であるから現実の人間の動きとの差が目立つ
2.      他の被写体とのコマ数の差がぎこちなさを目立たせる
3.      動きや身振りがぎこちなく見える

これらから考えをまとめていく。1はそのままの意味であり普段日常生活で視覚している人間の動きが脳に情報として存在するため、それらと見比べるとどうしてもぎこちなく見えるということだ。また、映像作品と比べても映画の動きが24コマであることから半分のコマ数ではどうしてもぎこちなく見えてしまうのは仕方のない事ともいえる。またCGの合成による車内の背景にも現実性は無い。2は同じ映像の中に違うコマ数のものが存在することで、そちらと見比べてしまいコマ数の多さで劣っている方がぎこちなく見えるということだ、1コマのモルカーの動きを見た後に2コマの人間の動きを見るとどうしても見比べてしまうものと考えられる。3は動きを見せるうえで中割りの枚数が減ると飛んだように見えてしまうがその間が大きければ大きいほどぎこちなく見える、このピクシレーションでも同様のことが起きているのではないかということだ。

(【公式】PUI PUI モルカー 第1話「渋滞はだれのせい?」https://www.youtube.com/watch?v=L_o2VrBJQPQ&t=93s より)

 上記の画像のシーンは時計を持ち上げている最中の三枚の画であり計6コマのアニメーションになる。一見変哲は無いが動画にしてみると少しぎこちない、全身が映ることの多いモルカーと違い上半身のみしか映らないほどにカメラの寄る人間のアニメーションでは時計を持ち上げるだけの動作も画面の三分の一以上を占めてしまう。アニメーションは通常キャラクターを少しずつ動かして動きを表現する、逆に言えば今映っているコマと次のコマの差がなければないほど動きとしては緻密になるはずだ。画面の真ん中を独占する大きなキャラクターは動きも大きなものとなり、コマの差が大きくなってしまうのでぎこちない動きに見えてしまうのではないかということだ。
 他にも身振りではモルカーがせわしなく細かく動いているのに対し人間側は動かない完全な静止画の状態が見られることもぎこちなさに拍車をかけているのではないかと考えられる。特に常に動いているモルカーとの対比は表現として大きな影響力を持っているだろう。

 人間の動きはこの三つが合わさりぎこちなさを生んでいると思われるが、しかし逆にいうなれば主役であるモルカーにはぎこちなさを感じない。あえて人間のピクシレーションなる異質でぎこちないものを投入することで、メインであるモルカーの存在を大きく映し出し動きを滑らかに見せているのではないか。前述の篠𠩤氏の作品の際にも書いたことだがあくまで動きの認識は視聴者の頭が処理している情報に過ぎない、滑らかに見せるためにぎこちないものを入れる。逆効果にも見えそうな発想から動きの認識を変える見事な設計。手書きアニメーションでも使う事の出来る方法だが被写体の違いを上手く利用できる点はストップモーション特有のものだろう。

2.4 三作目研究対象『JUNK HEAD』より

  最後に『JUNK HEAD』よりf.作風への影響から映像の動きを見ていく。

 この作品は映画ながらに大部分を監督の堀貴秀氏が7年の月日をかけて制作したもので長編映像作品としてはかなり異例な部類と言える。さらに堀貴秀氏は映像を独学で学んでおりそのためコマ数も長編作品であるのに24コマと個人作品でもかなりの異例となっている。この作品が大きな評価を集めたのはその世界観や被写体の緻密さから来ているものでストップモーションの動きに関してはあまり評判を聞くことは無い。しかしストップモーションをほとんど知らない状態で撮り始めたことで本職ではないからこその表現もあることだろう。24コマであるもののぎこちなさやらしさを失わないのは何処にあるのか、それは作品とキャラクターの動きの中にある。この作品はとても滑らかに動くがそれはあくまで動いている時の話であり、この作品の動きの特徴は「動きの中割りや認識の補完を考慮していない」ことだ。一つのシーンを例に挙げ作品の特徴を見ていこう。

『【公式】期間限定「JUNKHEAD」本編映像 冒頭10分超 解禁!』(https://www.youtube.com/watch?v=T2tFGeLvPW4)より話しながら歩いている三人シーン(7:20~7:41)より

 ただ歩いているだけに見えるがなぜかぎこちない、24コマであったとしてもそう知覚するのだからこれこそがストップモーション作品のぎこちなさを生んでいる要因だろう。理由は様々考えられるがまずはこのフィギュアの可動域で二足歩行をアニメーションに落とし込めるかが一番の問題だ。三人が横並びに歩き真ん中の一人が一輪車を押している、足元が映っていないため背景の壁が後ろに流れていくことで前に進んでいると解釈できるのだがカメラの揺れとキャラクターの細かなブレはいわゆるリミテッド・アニメーションらしくない。その他にインタビューには

(中略)映画も1枚の絵なので、画面の構図は常に意識しています。どこでとめても絵になるように撮影しました。注6

と語っていることからも連続して再生される映像としての動きは重要であるが止まった際の一枚の絵としての力強さをこの作品で意識しており、通常アニメーションにおける動きを出すための中割などが散見されていないのが特徴だ。

 この作品は映像技術を独学で学んだことからグリーンバックによる合成やCGによる映像効果の付与こそ技術として盛り込まれているがアニメーターとしての自然な生き物の動き等を表現してはいない。アニメーションを手で描けば手書きアニメーション、CGで作ればCGアニメーション、被写体を一コマずつ撮影すればストップモーション・アニメーション。手書きなら原画がCGならモーションデザイナーがストップモーションならアニメーターが滑らかに動いて見えるようそれぞれの手法のルールにのっとって作品を作る。ストップモーションには元々ぎこちなく見える要素が介在しており、普通にストップモーションを撮ればこういったぎこちない映像が生まれるのだとも言える。アニメーターとは動きを滑らかに見せ、魅力的にキャラクターを表現する人たちだ。この作品は素晴らしい映画であるがアニメーターとしての技能が作品に追い付かずぎこちない動きになってしまっているのではないかと考えられる。

第三章 分析から見るぎこちなさの正体

3.1ここまでの作品研究から

 ここまで三作品を動きの観点で見てきた。二章で分析を行った三作品を順に分類するならば前から
・コマ数が少ないながらも滑らかに見えるリミテッド・アニメーションの表現を用いる
・被写体によるぎこちなさの差を活用し主役の動きを滑らかに見せる
・動きにストップモーション・アニメーションの表現技法を用いず人形をそのまま撮影する
といったところだろう。前二つは特にぎこちなさを感じることはなかったがそれは滑らかに見せるための工夫があったからこそできたことだ、ではそこから逆説的に元々ストップモーションにはぎこちなく見える要素があるのだと言い切ることが出来るだろうか?その答えをYesと言う事は出来ない。なぜならこれらは滑らかに見せる技法であって他のアニメーションにも使うことは可能であるし、この手法の独自性の一つであるぎこちなく見えるという当初の目的に直接迫っていないからだ。制作時の動きの誤差や被写体の持つ存在感、輪郭の有無を始めとする視覚機能に影響する部分、ぎこちない動きの認識を誘発する要因は多くとも正しい見聞を持ってそれらから証明することは難しい。しかしながら実写動画とも手書きアニメーションとも違うこのぎこちない動きはどこからやってくるのだろうか、しっかりとした答えを本論文内で提示することは出来ないが二章までの内容で見えてきたのはどうやら脳の認識に影響を与える何かがこの手法にはあるようだ。仮説はすべて正しいとも間違っているともいえない、最後に結論としての「動きのぎこちなさ」を第四章にてまとめるものとする。

第四章 結論

4.1 アニメーションと実写動画の境界で

 本論文はストップモーション作品における動きのぎこちなさとは何かを知るために歴史から他のアニメーション作品との違い、作品分析を行ってきた。「ストップモーション作品がぎこちない動きに見える」とはあくまで過去作品などから来るイメージ的なものにすぎなかったのか、実際に人間の脳がそう認識しているのか。後者の場合は何が要因になっているのかを調べることが論文のテーマであった。

 結論から言おう、ストップモーション作品に「ぎこちない動き」を視認させる要素はある。それらを感じさせないように発展したリミテッド・アニメーションなどの技法が結果的に滑らかに見せてくれることもあるし、人間側がストップモーション作品を見続けることで慣れから滑らかに見えてくることもあるだろう。しかしそれらは後から付け加えられた物で元を正せばやはりぎこちなく見える要素はある、絵に描かれたアニメーションの世界より普段我々が見ている世界に限りなく近いストップモーションという手法に違和感、ぎこちなさがあることこそが本来おかしいはずだ。では我々の知覚している世界とアニメーションの中に存在する世界の差はどこまで脳に影響を与えるだろうか。アニメーション作品では本物の動物のような動きや物理法則に乗っ取った動きをリアリティ[24]がある動きだと評されることがある。しかしリアリティとは一体何なのか、作品の中の世界のリアルを映しているからなのか我々の世界のリアルに基づいているからなのか。ここで本論文の序盤に振り返っていただきたい。ストップモーションとはもともと実写映画にも使われている手法で、巨大な怪物などの人形を少しずつ動かすことで生き物の動きを表現した手法だ。この時代でもすでに動きは精巧なものであったがそれはどちらのリアリティを求めていたのだろうか?答えは作品の中のリアリティであると私は考える。しかしそのリアリティは実際に生きている演者達の持つ我々の世界のリアリティに押され浮いてしまうこともあった。人間は脳に物差しを持って作品を見ている、それは見ているものが何かを頭が認識して処理してくれているということだ。ストップモーション作品は被写体がアニメーション世界のリアリティに乗っ取ってコミカルに動き出す、しかし我々の頭の中はまだ対応できていない。物差しは依然として三次元の我々が住む世界のリアリティを求めている、なぜなら動いている人形たちやセットを見てよく出来ていると思っていてもそれが紙や布や粘土で出来た我々の世界のものだといとも簡単に見抜いてしまうからだ。我々の世界のリアルを持つ人形がアニメーション世界のリアル基準で動き出す、これに違和感がないのも変な話かもしれない。慣れは頭の物差しをアニメーションの世界に少しずつ切り替えてくれる機能で、アニメーターの工夫もそれの補助に過ぎないということも十分考えられる。繰り返すがぎこちなく見えることや滑らかに見えるというのはあくまで人間の脳が勝手に認識していることに過ぎない。主観でありそれが全てである、ストップモーション作品におけるぎこちない動きの正体は脳の認識の齟齬でありアニメーションと実写動画との境に存在しているものとしてこの論文を締めくくる。

4.2 今後の課題

 本論文では仮説の多さからそれらすべてを検証することが出来ず文字通りの課題を残してしまうこととなった。これらもどこまでが正しいと証明できるのかすら不明であるのが本当に無念でならない。しかし先行研究や本から映像における脳の認識は解明されているものがあり本論文でも引用の形で顔を見せているためストップモーション作品の研究を主にする者が現れれば加速度的に解き明かされていくことだろう。ストップモーションは実写動画とアニメーションの両面を持っていると感じており、だからこそ身近に感じ楽しむことの出来る手法だと思う。今回は昨今の日本ストップモーション作品群を取り上げることで本論文を進める事が出来たが、日本で複数の作品が一度に注目を浴びる事はかなり珍しい。もうひとつの課題として過去に渡り作品を選定することで新たな発見を生むことが急務となるだろう、本論文がリミテッド・アニメーションといった日本で一般的な作品を比較に使ったため理解に躓くことは無かったがフル・アニメーションやCGアニメーションとの比較に深く関われなかった点で今後に持ち越しとなってしまった。

あとがき

 答えも見つからず前も見えない中で突拍子もなくストップモーション作品をテーマにしたいと言い出した時の自分に右ストレートを打ち込みたい所でしたがなんとか形らしい物にはすることが出来ました。ストップモーション作品におけるぎこちなさの軽減というタイトルならば手書きアニメーションやCGアニメーションへの流用も検討出来ますと社会貢献の価値を見出せたのですが一作目の鬼滅の刃コマ撮りの表現がリミテッド・アニメーションからの輸入っぽかったのですぐ辞めました。周りの方からも支えられ特に講師の先生には頭が上がりません、図書館などで10冊ほどストップモーション作品とアニメーション表現の本を借りましたが先生に借りたやつが一番大正義でした、かなりドンピシャだったので助かりました。結局数字とかアンケート結果とかの確証何もないじゃねえかこの論文と思われた方も多いでしょう、しかしこれはチャンスです。この論文を読んで疑問点を見つけあなたが次のストップモーション論文を書けば問題はありません。私も謎が解けてwinwinです。最後になりましたが本論文で引用させていただいた本並びに先行研究、そして作品には感謝してもしきれません。こんな論文ではありましたが何かの参考になれば幸いです。長時間読んでいただき本当にありがとうございました。


参考文献・引用一覧

注1日本心理学会心理学叢書『アニメーションの心理学 第4章視覚機能から見たアニメーションの特徴【中村 浩】』(誠信書房、2019年9月15日、p109 10^16行目)

注2『アニミズム 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』』(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%83%A0

アクセス日時2021年12月01日現在)

注3『プレパレーションって、なに? ~小児看護学領域~』(駒沢女子短期大学 - 学校法人駒澤学園、https://www.komajo.ac.jp/uni/window/nursing/nursing_voice_18003.html

更新日時2018年09月19日)

注3 篠𠩤健太 Animist『滑らかに動く秘密【ストップモーション】』 (https://note.com/kentanima/n/n45ea683ccc58 更新日時2020年06月06日現在)

注4 篠𠩤健太 Animist『フレームレートはどう選ぶか?【コマ撮り】』 (https://note.com/kentanima/n/n0f8125939f10 更新日時2020年01月31日現在)

注5『MOE2021年9月号[最新決定版 怖い絵本 | 特別ふろく MOEオリジナル「モチモチの木」 クリアファイル]話題沸騰の大人気作「PUI PUI モルカー」』(白泉社、2021年8月3日、p84)

注6『MOE2021年9月号[最新決定版 怖い絵本 | 特別ふろく MOEオリジナル「モチモチの木」 クリアファイル]圧倒的世界観の超大作「JUNK HEAD」』(白泉社、2021年8月3日、p87)

作品一覧(五十音順)

『ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ!(原題:The Wrong Trousers)』(監督 ニック・パーク、スタジオ アードマン、公開 1993年)

『鬼滅の刃』(漫画原作 吾峠呼世晴、監督 外崎春雄、スタジオufotable 、公開 2019年)

『キングコング』(監督 メリアン・C・クーパー,アーネスト・B・シュードサック、スタジオ RKOピクチャーズ、公開1993年)

『【コマ撮り】鬼滅の刃のフィギュアで必殺技を再現した動画まとめ【炭治郎 善逸 伊之助】』(監督 篠𠩤健太、スタジオ Animist、公開2021年)

『JUNK HEAD』(監督 堀貴秀、スタジオ MAGNET、公開2021年)

『PUI PUIモルカー』(監督 見里朝希、スタジオ シンエイ動画,ジャパングリーンハーツ、公開2021年)

『ゆるキャン△』(漫画原作 あfろ、監督 京極義昭、スタジオ C-Station、公開2018年)


[1] 芸術作品の表現の方法などを指す言葉だが、この論文ではもっぱらストップモーション作品のことを指す。

[2] カメラなどによって撮影される対象物。ストップモーション作品では人形や粘土によって作られたキャラクターのことを指すことが多い。

[3] ここでの1コマとは映像作品の最小単位のこと。連続する画によって構成される映像作品において、1秒間を24枚の画で作られている場合は24コマの映像、12枚の画で作られている場合は12コマの映像と言う

[4] 1933年に公開された映画作品。作中に登場する巨大な猿であるキングコングはストップモーションによって動かされている。

[5] サー・チャールズ・スペンサー・チャップリンが主演の作品群のこと。一部の作品でストップモーション・アニメーションが使われている。

[6] 実際には撮影不可能な映像を撮るために特殊な機器による映像効果を付けたものや、ミニチュアなどを使用した作品群のこと。日本では特撮作品と呼ばれ怪獣映画やSF映画のことを指すことが多い。

[7] 確定した定義はないが個人制作のアニメーション、商業的なアニメーション作品以外の物を指す際に使われる言葉。その他に作家性の強い作品やチェコで制作されたアニメーションを中心にこの言葉が使われる。

[8] ピクシレーションなど。ピクシレーションとは人間を被写体としたストップモーション作品を指す

[9] 低速度のカメラで撮影し被写体がぶれるような写真を撮ることで自然な動きを表現するストップモーションの一種

[10] 人形を使ったストップモーション・アニメーションと粘土を使ったストップモーション・アニメーションのこと

[11] 普段目にする映画作品と同じく一秒間を24回に分けたリアルな動きと細かさを持つアニメーション。動きの滑らかさが特徴で海外を中心にディズニー長編作品などが有名

[12] 動きを簡略化しコマ数を減らすなどしながらもアニメーションとして成立させる表現手法。日本で週間放送されているほとんどのアニメーションがこれに属する。

[13] 原画と原画の間の画のこと。この間の画によって手書きアニメーションは動いているように見える

[14] 元は命を吹き込むという意味でアニメーションにおいてはキャラクターに動きを与えることを指す。アニメグッズの専門店のことではない

[15] ありとあらゆるものに神が宿っているという考え方。自然界に存在するものから人工的なものに至るまで幅広く、神道のすべての物に精神的なものが存在する考え方に通ずる。

[16] GOODSMILECOMPANYより商品展開されている可動式フィギュア。デフォルメされた2.5頭身のものが多い。

[17] ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略。TwitterやFacebookといったインターネットを経由した対人コミュニケーションサービスのことを指す。

[18] fpsとも呼ばれる単位の一つ。アニメーションでは一秒間に何枚の画を使うかという意味。

[19] 24コマのアニメーションである場合一秒間に全て違う画を24枚使い動画にするが、12コマのアニメーションのような場合は12枚の画を二回使い24枚に倍増させることで一秒24コマ12枚の動画を完成させている。二コマ打ちとは後者のように同じ画を二回使っている12枚で作られたアニメーションのこと。三コマ打ちの場合は8枚で作られている。

[20] アニメーション作品で見られる高速で動く物体などを表現するために一コマだけ挿入される残像のような物。姿かたちが不明瞭なものが多いことからオバケと呼ばれるようになった。

[21] アニメ作家の宮島由布子と造形師の池田恵二のアニメーションユニット、「KOCKAが担当させていただいたのは、主に美術セットの美術セットのベース部分・建物や信号機・街灯などになります。」と会社の運営するホームページ(http://atelier-kocka.com/%e3%83%86%e3%83%ac%e3%83%93%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%80%80%e8%a6%8b%e9%87%8c%e6%9c%9d%e5%b8%8c%e7%9b%a3%e7%9d%a3%e3%80%8cpui-pui-%e3%83%a2%e3%83%ab%e3%82%ab%e3%83%bc%e3%80%8d%e7%be%8e%e8%a1%93%e5%88%b6/)に記載されている。

[22] 『PUIPUIモルカー』に登場する架空の生き物であり作品のメインキャラクター。モルモットと車を合わせたような生き物。

[23] 人間を被写体としたストップモーション作品のこと

[24] 現実、本質といった意味の英単語。ここでは現実らしいもの、それらを想起させるもの。現実世界でこれらを求められることは無いので創作物に使われることが主、作品の受け手に対して説得力があるかという意味合いでも使われる。



本題の本題

さて、ここまで長ったらしい文を読んできた猛者はいかほどいるのだろうか…というかかなり酷い文であると打ち込みながら再認識している。(これを見て悪いようにはしなかった教授には頭が上がらない...)
突貫工事とはいえもう少し練り上げたい所のこの駄文を元に、ストップモーションの見え方を少し振り返っていこう。

ストップモーション作品の特徴はぎこちない動きとその愛嬌にある。〇か×か。
うーん、難しい問題だ。個人的にはNoなのだが、ネットのストップモーションの良さって記事で大々的に書かれてるのを見たことあるし多くの人がそうやって楽しんでくれているならYesでもいいのか...?
凄いストップモーション作品に滑らかでスゴイって書かれてるけどそれはぎこちないイメージが前提にあるからなりたってるのか...?
と、色々考えてしまうのがオタクの悪い性だ。今回の論文モドキはそういった所を中心に、自分が思ってることを発散している。少しでもこのもやもやに共感できるならぜひ面白がってここからの文も読んでいただきたい。

実際のとこ実写と手書きアニメ、どっちと比較した方がええねん問題

論文の最初と最後にも書いてあるけれどこれは結構深刻で、ストップモーションのルーツとかみんなに分かりやすく理解してもらうためにはとか考えるといきなりぶち当たる壁。
コマ撮りといえば?と聞くと「映画!(特殊撮影的な意味で)」と「アニメ!」って人でぱっくり分かれちゃうから悩みの種は尽きない。コマ撮り関連の書籍はたくさんあるものの論文は数が少なく、手法というよりは作品単体についての研究が盛んだと感じる。(あと日本語の物が少ない…)

かつて押井守監督が
「すべての映画はアニメになる」
と言ったらしいけれど、実際映画にどんどんCGアニメーションが増えて行って今やどこまでが現実か分からない。その非現実の部分を担っていたストップモーションはCGに居場所を奪われ、今現在単品のアニメ作品として多くの人に受け入れられ愛されている。
かつて非現実を演出し、(手書き)アニメよりもまるで手が届きそうな現実の暖かみを届けてくれるこの手法に、僕はどっちと比べてどう特徴的なんだといえばよかったのだろう。

うま~く騙してね?

見え方についてもここで少し考えてみよう。まずストップモーション作品には現実の被写体が持つ立体感やリアリティがあるから没入感が比較的高い(強引)。
でもある時目が覚める、いや、元から知っている。これは作り物で現実にあるものだけど、魔法のように動いているわけでは無い。見えないだけで上から糸で吊るしたり、編集で消してるけど支えがあったり。そして何より一枚の写真の連続であることを、じゃないと脳がバグを起こす。現実でありえない人形や粘土の動き方に、リアルだけどこれは現実じゃないんだ…。
とまあ普通の見慣れた手書きアニメじゃ感じないようなことを回りくどく人間の頭は処理するケがある。昔ウルトラマンの円谷英二さんが

「戦闘機は上から糸で吊るすんじゃなくて下に糸を付けて逆さに吊るす。カメラも逆さにして撮る。みんな上から糸かなんかで吊るしてるんじゃないかって上ばっかり見るからこうすれば意外とバレないんだ」(意訳)

みたいなことを言っていて、うわぁすげえ!と素直に感動したのだが、人間の思い込みやそうだろうという考えが意外と映像作品を見るときには作用しているらしい。手書きアニメにもオバケやコマのタメといった技法で脳の処理をサポートしてあげたり勢いがあるように見せたりする。なんにせよみんなうま~く騙して映像を滑らかに違和感なく見せているのだ。ストップモーションも同じ、でもなぜかストップモーション作品だけぎこちないとイメージが付いてしまっている。その割に最近の作品は滑らかでスゴイとの意見が良く見られる。昔は単純にそういった技術を使っていなかったから?いや、それは違うだろう。
滑らかに見せる技術<立体感やリアリティ
という図式が元々あったとして、立体感やリアリティが頭にバグを起こしてなんとなくぎこちない風に見えると仮定してみる。
技術の進歩と他のアニメーションでも使われる技術の併用などによって、いつも見ているリミテッドアニメーションっぽい方向に頭の中の見え方がシフト。これによって違和感なく楽しめているのかな~と考えてみる。実際論文にするときにはアンケートや感想を集めることが必須だが、今はこんな考え方を持ってる人がいるんだよ。と思っていて欲しい。

この分野はストップモーションを知らない人に研究して欲しい!

研究をしたことがある人、卒論で頭を抱えた人ならば分かるかもしれない...。自分の分野について同じ穴の狢と話すことは大変参考になるし捗る。
でも往々にして私はこう思っている…。

「違う分野の人からの視点や感想が欲しい!」

映像に関して言えば、フルアニメーションを研究している人はそれに該当する作品をDVDに穴が開くまで見る。ディズニーの白雪姫とかそういうのだ。
私ももちろん白雪姫は好きだ、だけど何回も見るのは正直辛い…。なんせ描写もコマも細かくて頭が痛くなってきてしまう(多分3、4回が限界だ)
それに目が慣れてきてしまう、フルアニメーションの24コマが頭に染み付いてきてしまう。そんな状態で昔のストップモーション作品を見ようものならいつもより動きが遅く見えてしまうだろう。
逆もまた然り、ストップモーション作品をずっと見ているとそれに慣れてきてしまって他の人が感じる違和感が次第になくなってきてしまう。これは研究を行う立場からすると見落としに繋がるのでかなりやっかいだ。なのでコマの数やタメツメなどゆるぎない部分で差別化や比較を行うのだが…正直申すと私の目はもう
「このストップモーション作品ぎこちないなあ」と思う脳がずいぶん劣化してきている。正直慣れた。
違う分野の人の視点が欲しいと言ったのはこういう理由である。まっさらななんのバイアスもかかっていない目で研究をして欲しいのだ、アンケートだのを論文に組み込むのは結局そういう所から来ている。映像作品は特に初見の時に感じるイメージが大事だ。
「ストップモーション作品なんて普段見てないし…」と思ってるくらいが丁度いい。

私の論文モドキのように稚拙でいい、感想文でもいい。自分の見たものを素直に表現して、気が向いたらぜひ文に起こしてみてほしい。研究者はいつだってそういった情報のリソースを欲しがっているのだから。

最後に

だいぶ長々と話してしまったけれどこの文を読んでくれてありがとう。
文をまとめるのは苦手だし論文モドキを久しぶりに見た時は嗚咽が漏れた。それでも勇気を出して投稿したのは、ストップモーション作品についてもっと知りたいとか、こんな考えを持ってる人が世界のすみっこにはいるんだとか思って欲しかったからだ。論文を最初に書こうとしたときに書籍はあるけど論文や先行研究が無くて私は大変困った(あと日本語に訳す作業が地獄だった)
だからストップモーションについてこれから好きになってくれた人、知りたくなった人が出てきたときに暇つぶしやきっかけになって欲しくて投稿を決意した。

ストップモーションはアニメーションの中だとマイナーってほどじゃないがめっちゃ主流ってわけでもない。だけど素敵な作品ばかりでスマホと人形さえあれば作ることも出来る。(そらいきなりプロみたいなのは難しいが…)
作るハードルの低さに比べて研究や勉強するハードルが高すぎるんじゃないか?と思っている。
だからもしこれから研究したいと思った人がほんの少しでも居るなら、文にしたり声に出してみてほしい。ちゃんとした研究論文ならダメなんだけど感想くらいなら間違っていても全然OKだ。
ストップモーション作品はとても素晴らしいし面白い!
だから君もぜひ、ちょっと頭をこねくり回していろんな好きの形を創り出してほしい!!

しがないストップモーション好きの戯言でした。

次回「掲示板上等 助演ウマ娘賞」

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