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縄文の血の記憶

ペンキ画家のSHOGENさんの『今日、誰のために生きる?②』が発売されました。以下、紹介動画になります。

藤堂ヒロミさんの『潜在意識3.0』や、はせくらみゆきさんの『縄文からまなぶ33の知恵』を読んでいるので、読み終わった後に、特別大きな発見はありませんでした。

ただ、気になったSHOGENさんの言葉が、2つあります。

本来、人は・・・
生きとし生けるすべてのいのちに対して、祝福の言葉をかけ続けるために生まれてきたんだよ。

『今日、誰のために生きる?②』(SHOGEN他著)

村長は、日本人が血の記憶を思い出すことが、この地球のために今いちばん必要なことだといって、日本人に期待していました。

『今日、誰のために生きる?②』(SHOGEN他著)

この2つの言葉は、最初の『今日、誰のために生きる?』でも語られていたのですが、縄文人の生き方や感じ方を、村長は血の記憶と言っているのに対し、藤堂ヒロミさんも、はせくらみゆきさんもDNAが記憶しているという言い方をしているのが、気になったわけです。

血の中の赤血球には、細胞核がありません。したがって、赤血球はDNAを持っていません。
それでは、赤血球は記憶を持っていないのでしょうか?
村長の語った「生きとし生けるすべてのいのち」に、血液の中の赤血球やソマチッドは含まれないのでしょうか?

祝福の言葉を唱えた後に、血液がどうなるかのYoutube動画を紹介します。

この実験では、祝福の言葉を唱えた後に、採血して観察しています。

祝福の言葉
(ありがとう+笑い)を唱えると、赤血球が丸くなります。
祝福の言葉(幸せになれ)を唱えると、ソマチッドが活発に活動し始めます。

次の動画は、採血した後の顕微鏡台の上に載った赤血球に、祝福の言葉を直接かけた動画です。

祝福の言葉(ありがとうね)に対して、赤血球が動きます。
祝福の言葉(かわいいね)に対して、赤血球が跳ねました(跳ねて喜びました)。
動画では、『言葉』だけではダメで、『思い』がないとダメと語っています。

この2つの動画を見ると、「生きとし生けるすべてのいのち」に、赤血球やソマチッドが含まれるどころか、ソマチッドそのものが、生命の源と思わざる負えなくなります。

ガストン・ネサンは『完全なる治癒』(クリストファー・バード著)の中で、次のように語っています。

この新しい微生物学的現象を説明するビデオカセットが用意されている。ビデオには、血液を洗滌(せんじょう)して、赤血球の外にあるソマチッドをすべて取り除いてから血液を熱すると、赤血球の中に液体の状態で潜伏していたソマチッドが具体的な形を帯びて、十六の形態に次々に変化していく様子が示されている。「これは免疫機構が不安定になった時に起こる現象だ」とネサンは言う。ソマチッドがどのようにして、なぜ、あるいは何から生じるのかはまだ正確にはわかっていない。赤血球細胞の中にある約百四十種類のタンパク質の多くが、その過程で作用するとも考えられる。赤血球細胞の中にソマチッドが出現することは、生命そのものの起源と同様に、不可解な謎である。「ソマチッドがなければ、生命体は存在しないのですか」と尋ねると、ネサンは「私はそう確信している」と答えた。

『完全なる治癒』(クリストファー・バード著)

上記の文章を読むと、「ソマチッドは、液体の状態で赤血球の原形質に溶け込んでいる」ということになります。

千島喜久男氏の千島学説では、「小腸で赤血球が造られ、赤血球が白血球となり、白血球が体細胞になる」としています。
『血液と健康の知恵』(千島喜久男著)の「血液と遺伝、血という文字」という節の中で、次のように記載しています。

血という文字は中国から伝わったものであるが、試みに日本や中国の辞書を見れば、血は血液を意味すると同時に血統、血、血のつながり、血すじ、血族、血は水より濃しなどと云って血は遺伝と同義語のようになっている。
血液と遺伝とを同義語に用いるのは中国や日本だけでなく、世界共通的である。
 Blood(英) Blut(独) Sang(仏)・・・
 ・・・
 Kan(トルコ) サンスクリット語では、rakta rudhita Sadita Johita, Asraなどと云われている。いずれも血と遺伝の両方の意味がある。これは古代人の優れた直観によって血液が親子の関係を結ぶものであることを洞察したためであろう。

『血液と健康の知恵』(千島喜久男著)

ブンジュ村の村長さんが、血の記憶と言っているのは、まさしく血が遺伝の担い手であるという意味で使っているわけです。

千島氏は、さらに次のように述べています。

・・・親から子への遺伝質があるとすれば人間の場合赤血球の原形質(細胞質)の中にその素質が含まれ、それを母体として核酸DNAができることになる。だから遺伝の本体と考えられている遺伝子は、血液の中、特に赤血球に存在するものと云われなければならぬ。古代人が血液を遺伝と同義語として使った事は正しかったわけである。だから健全な子供をうむためには血液、血球を健全、清浄にすることが先決問題である。

『血液と健康の知恵』(千島喜久男著)

この赤血球の原形質に溶け込んだ、遺伝の本体と考えられている遺伝子は、ソマチッドなんだろう、と思ったわけです。
それは、「ありがとう」や「幸せになれ」、「かわいいね」といった祝福の言葉、人の思いを記憶しているんだろう、、、と。


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