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未来の予知・予言 ~死海文書(3)~

イエスとヘロデ大王の予言

未来の予知・予言 ~死海文書(2)~のつづきです。
証言集(4Q175)では、4段落のうち最初の3段落には、「預言者」「イスラエルのメシア(王的メシア)」「アロンのメシア(祭司系メシア)」が書かれていました。
そして、最後の4段落目には、ヨシュア記の「エリコの呪い」に相当する部分が記載されていますが、死海文書ではヨシュア記と異なる、ヨシュア記アポクリフォン(4Q379)からの引用となります。

イエシュアは、彼の諸々の賛美で讃え、感謝し終えたとき、言った、
「この町を建てる人は詛(のろ)われよ。彼は自分の長子をもってその礎(いしずえ)を据え、自分の末子をもってその扉を構える」。
さて、見よ、詛われた人、ベリアルの一人が、立って、彼の民に対する鳥猟者の罠、彼の近隣の者たちすべてに対する脅威となる。
そして彼は立ち、彼らは立って、・・・彼ら二人は暴力の道具となる。
そして彼らはこの町を再び建て、それに壁と諸々の塔を構え、邪悪の要塞とする。
そして彼らはイスラエルにおける大いなる邪悪、エフライムとユダにおける恐怖とする。
・・・
そして彼らは地において不敬を、ヤコブの子らのあいだで大いなる冒瀆を為す。
そして彼らはシオンの娘の塁壁に、エルサレムの境内に、水のように血を流す。

証言集(4Q175) 死海文書III(ぷねうま舎)

エリコの呪い

ヨシュア記のエリコの呪いは、日本聖書協会の聖書では、以下のように記述されています。

ヨシュアは、その時、人々に誓いを立てて言った。
「おおよそ立って、このエリコの町を再建する人は、主の前にのろわれるであろう。
 その礎をすえる人は長子を失い、
 その門を建てる人は末の子を失うであろう」。

ヨシュア記 第7章26節

ヨシュアの部分は、「イェホシュア」となっていますが、死海文書の証言集/ヨシュア記アポクリフォンでは、「イェホシュア」を短くした「イエシュア」が用いられています。
「イエシュア」は、イエスのヘブライ語(アラム語)の読み方です。
第4段落の中で、預言者・イスラエルのメシア・アロンのメシア的な人物は、「イエシュア」しか出てこないので、「イエシュア=イエス」が、「預言者」であり、「イスラエルのメシア」であり、「アロンのメシア」であることが、わかります。

証言集の書かれた年代は、ハスモン朝の時代であり、ヘロデの時代の前ということがわかっています。炭素年代測定と筆跡から、死海文書のそれぞれの文書が書かれた年代は、それなりの確度でわかっています。
したがって、証言集(4Q175)は、「イエシュア(イエス)=預言者・メシアが、この町を再建する人物と、その2人の子を呪う」という未来の予知・予言となっていることがわかります。
ヨシュア記のエリコの呪いと違って、呪われているのは、長子・末子の親ではなく、町を再建する人物と、その長子・末子の3人の人物になります。

ヘロデ大王とその息子たち

証言集(4Q175)では、「この町」と書かれていますが、この町が「エリコ」であるとは、書かれていません。
「シオンの娘(=エルサレム)」という表現や、「と諸々のを構え、邪悪の要塞とする」などから、「この町」=エルサレム、「ベリアル」、「詛われた人」=ヘロデ大王とみるのが妥当かと思います。

イエスの時代のエルサレム

ヘロデ大王は、B.C.37-35に神殿の北西のバリス(堅牢な砦)と呼ばれる城砦を改築し、アントニア要塞(上図のアントニヤの塔)と名付けています。この四角形の高いには、多くの居室があることから、ヨセフスは、これを実際の宮殿とみなし、城壁内には、ハスモン家が保管した多くの祭服と儀式で用いる宝飾品の数々があったとされています。B.C.28-23に、上の町の宮殿(上図のヘロデの宮殿)が完成するまで、ヘロデ大王は、アントニア要塞に住んでいました。
ヘロデの宮殿について、ヨセフスは次のように記載しています。

彼(ヘロデ)は上の町に宮殿を建設した。そこには広大な広間が設けられ、金や大理石を用いた豪華な様式で飾られていた。それらの部屋はすべて、饗宴に来た多くの客を泊めるために寝台を備え、それにふさわしい規模で、カエサルの間、アグリッパの間などとなづけられていた。

『ユダヤ古代誌』

ヘロデの宮殿の全長は約330メートルで、高さ14メートルの城壁で囲まれていました。宮殿の北側は、ヒッピコス(37m)、ファサエル(42m)、マリアンメ(25m)と名づけられた三つの大きなで防御されていました。

ヘロデ大王は、エルサレム以外にも複数の王宮を所有しています。
その一つが、エリコにある王宮で、冬の宮殿としてハスモン朝、ヘロデ朝の王たちが使っていたとされるものです。
死海文書の研究者たちは、証言集(4Q175)を未来の予知・予言とみなさず、「この町」=エリコ、呪われた3人=証言集(4Q175)が書かれたハスモン朝の王たち、とみなしているようです。

B.C.125-115年頃に、ハスモン家の大祭司「ヨハネ・ヒルカノス1世」が、エリコにオアシス王宮を築かせています。
アレクサンドロス・ヤンナイオスの治世の始めに、王宮の東に二面の大きなプールが増設されています。(このプールが、ヘロデ大王の命令でマリアンメの弟アリストブロス3世が溺死させられた、とされています)
サロメ・アレクサンドラが摂政を務めていたB.C.76-67年の時期に、新たに2つの王宮が建設されています。
ヘロデ大王は、エリコに3つの王宮を建造させています。

エリコの王宮が城壁で囲まれていたのか、塔があり要塞と呼べるようになっていたかは、不明です。ただ、呪われた3人をハスモン朝の王たちとみなした場合、メシアに相当する人物を特定することができません。
(イエシュア=メシアと書かれているので、ハスモン朝の王を呪われた3人と解釈するのは、時代的に無理があります)

ヘロデ大王は、ヘロディオンの要塞、マサダの宮殿(要塞)など、「邪悪の要塞」と呼べるものを作っています。

以上の考察から、ベリアルの1人とも呼ばれた呪われた人物は、ヘロデ大王=「ヘロデ大魔王」、長子=「アルケラオス」、末子=「ヘロデ・アンティパス」とみなすのが、妥当かと思っています。

本投稿のヘロデ王の記載においては、以下の書籍を参考にしています。
『ヘロデ大王』C.G.シュウェンツェル著(教文館)

「シオンの娘(エルサレム)の塁壁に、エルサレムの境内に、水のように血を流す」についていは、上記、書籍を読んでいただくのが良いかと思います。

エッセネ派のもう1つのヘロデ大王予言

ヨセフスの『ユダヤ古代誌』で、エッセネ派のメナヘムによるヘロデ大王の予知・予言が知られています。

エッセネ派の一人でその名をメナヘムという人物がおり、彼は、他のさまざまな点においても、その生き方が善美に従うものであることが証言されていたが、とりわけ将来の事柄を予知する能力を神から与えられていることが認められていた。
この人は、ヘロデがまだ子どもだった頃に先生の(家へ)行くところを見て、「ユダヤ人の王」と呼びかけた。
彼(ヘロデ)は、彼(メナヘム)が無知であるかあるいは冗談を言っているものと思って、自分は一私人に過ぎないことを思い起こさせた。
これに対して、メナヘムは、穏やかにほほえみ、片手で彼(ヘロデ)の背中をたたいて、こう言った。
「しかし、確かに、あなたは王になるでしょう。そして幸福に支配なさるでしょう。というのも、あなたは神によってそれにふさわしいものとみなされたのです。そして、メナヘムによって(背中を)たたかれたことを、覚えていなさい、このことが、あなたにとって運命が転変するものであることのしるしとなるように。もしもあなたが正義を愛し、神に対しては敬虔を、市民たちに対しては穏やかさを(愛する)ならば、このような分別こそが最も優れたものとなるでしょう。しかし、私はすべて理解しているので、あなたがこのような者とはならないであろうということを、知っています。あなたは、幸運の点では、他の何人にもまさり、永遠の栄誉を手に入れるでしょうが、敬虔と正義とを忘れるでしょう。これらのことは神の眼を逃れることはないでしょう。あなたの生涯の終わりには、これらの事柄に対する怒りが(神に)思い起こされることになるのです」。
その時には、ヘロデはそのようなこと(王位や栄誉)に対する望みを持っていなかったので、ほとんど気にかけなかったが、少しずつ、王位と幸運への道を進み、(やがて)支配の頂点に達した際に、彼はメナヘムに使者を遣わして呼び出し、彼の支配がどれくらいの期間続くのかとたずねた。
これに対して、メナヘムはまったく一言も答えなかった。彼が黙っているので、彼(ヘロデ)は自分の支配は10年続くのかとのみたずねたところ、彼(メナヘム)は「20年か30年」と答え、定められた期間の終わりが(正確に)いつなのかは提示しなかった。ヘロデはこれらの言葉に満足して、メナヘムを丁重にもてなしてから帰し、それ以降、エッセネ派全員を尊敬し続けた。

ヨセフス『ユダヤ古代誌』の引用部、『死海写本』土岐健治著(講談社学術文庫)

ヘロデ大王の誕生がB.C.73年であり、メナヘムにあったのはB.C.60年代で、アリストブロス2世かヨハネ・ヒルカノス2世の時代にあたります。ちょうど証言集(4Q175)が書かれた時代に思えます。
ヘロデ大王が現れることは、エッセネ派の中では明らかになっていたということです。死海文書の共同体規則によれば、「正義を愛し、神に対し敬虔」の反対は、「不義を愛し、ベリアルに対し敬虔」ということになり、メナヘムは、少年ヘロデに対し、「あなたはエッセネ派の人々が、最も嫌う人物になる」と言っているようなものです。
また、「幸運の点では、他の何人にもまさる」というのも、ヘロデ大王がローマの支配者からの支援を得続けることができた強運を、見事に言い当てています。

まとめ ~死海文書 証言集(4Q175)~

  • 証言集(4Q175)は、ハスモン朝時代に書かれた未来の予知・予言である

  • 終末時に現れる、「モーセのような預言者」「イスラエルのメシア(王的メシア)」「アロンのメシア(祭司系メシア)」は、3人ではなく、イエシュア(イエス)とよばれる1人の人物である

  • 終末時にベリアル(のちにサタンと呼ばれる)の1人が現れ、その人物はヘロデ大王である

  • ヘロデ大王とその息子たちは、イスラエルとエルサレムの町に恐怖と災いをもたらし、イエシュアはその3人を呪う

  • 死海文書を書いたとされるエッセネ派にとって、終末とは、イエスとヘロデ(大王とその息子)の時代であった


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