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「聖徳太子の法隆寺錦」の「サマルカンド壁画」からの解釈

見出し図(左)は、聖徳太子自身が御旗としたという伝説が残る法隆寺錦(四騎獅子狩文錦)と呼ばれるものです。7世紀前半の旗と思われます。
見出し図(右)は、古代サマルカンドの壁画の西壁に描かれた図で、サマルカンド王ワルフーマンに、スルハンダリヤ川流域のチャガニアンからきた使者が、貢物を届ける光景を描いたものです。(『古代サマルカンドの壁画』より)7世紀後半の壁画と思われます。

両者の共通点

連珠紋

見出し図(右)では、カフタンや右側の人物が持つ貢物は、法隆寺錦と同様の連珠紋で、ふんだんに飾られています。

(左上)法隆寺錦複製 右上馬 (右)古代サマルカンド壁画復元図
(左下)法隆寺錦複製 左下馬    『古代サマルカンドの壁画』

どちらも馬を神聖なものとして描かれているため翼がありますが、非常に似た翼となっています。
首の部分の連珠紋や尾のリボンが似通っています。

獅子(ライオン)

(左)法隆寺錦複製 右上獅子   (中央)法隆寺錦複製 左下獅子
(右)古代サマルカンド壁画復元図 『古代サマルカンドの壁画』

サマルカンド壁画は、翼をもった神聖なライオンに対し、法隆寺錦は、四騎獅子狩文錦という名が示すように、獅子を狩りの対象としています。
したがって、両者が似ているのは、「たてがみ」くらいです。
釈迦の説いた仏教では、無益な殺生をしないはずですが、この権力を誇示するためだけの獅子狩からは、聖徳太子が仏教に帰依している様子は、まったく感じることができません。

(左)法隆寺錦複製  (右)北壁、『古代サマルカンドの壁画』

法隆寺錦は、馬上の人物(聖徳太子とみなされる)が、ふり向きざまに矢を射る、パルティアン=ショットだという説明がよくされます。
時代はパルティアでなく、西突厥だと思います。
左右の画、両方とも、似たようにしなった弓と矢筒が描かれています。

三日月と星の紋章

法隆寺錦の兜にある「三日月と星」の紋章については、以下のWebサイトが参考になります。

サマルカンド壁画では、獅子(ライオン)の右図の、円形の連珠紋のつなぎ目に描かれています。三日月が上で、星が下に描かれていますが、法隆寺錦の騎士の兜のように、星が上で、三日月が下の壁画もあります。三日月だけの場合もあります。

三日月と星 『古代サマルカンドの壁画』

カニシカ王(クシャーナ朝)のコインの王冠にも「三日月と星」の紋章は描かれています。

カニシカ王のコイン

ちなみに、東トルキスタンとトルコの国旗は、以下のようになっていて、三日月が横向きとなり、丸い星が五芒星になっています。

東トルキスタンとトルコ国旗

法隆寺錦に固有な特徴

生命の樹

聖徳太子の剣として七星剣が伝わっていますが、数字の「7」は、大きな意味を持っています。
サマルカンドの壁画からは、「7」を意識した壁画は、見つけられませんでした。新羅の黄金の王冠の生命の樹と比較してみます。

(左)法隆寺錦複製 中央の樹 (右)新羅の金冠(側面)『ローマ文化王国-新羅』より

樹の幹が直線的なところが、両者が似ています。法隆寺錦の樹は、あまりに不自然です。ヤシの実を描いているのか、十字架を描いているのか、あるいは、、、

法隆寺錦に隠されていたもの

中学校の教科書にも載っていた法隆寺錦ですが、この絵が何に見えますか?

法隆寺錦複製

あわぬこが思ったのは、エリファス・レヴィが描いた両性具有のバフォメット。「山」と「𠮷」。ヤキ -> ヤギなのかなぁ、と。
あるいは、美少年「アッティス」。
たぶん、透かしなので、「聖徳太子さま」なのでしょう。

今、『オカマの日本史』(山口志穂著)を読んでいますが、世阿弥を足利義満が寵愛した、ということを知りました。
また、薩摩の西郷隆盛さんが、男同士の心中をしていることも知りました。

新羅の花郎の女装・男性愛文化が、薩摩の兵児二才の女装・男性愛文化に引き継がれた、そんな気がします。

最後に、サマルカンド壁画の新羅の使節団を紹介します。

北壁、『古代サマルカンドの壁画』(L・I・アリバウム著)
北壁、『古代サマルカンドの壁画』(L・I・アリバウム著)

『古代サマルカンドの壁画』では、全員女性とし、どこの国からの使節団か明示していません。
『ローマ文化王国-新羅』では、新羅使節としています。
新羅使節だとしたら芸能・舞踊にかかわるのは花郎となるわけで、全員、女装をした男性ということになります。

この船に乗った人たち、「女性」とみますか?
それとも、「男性」とみますか?


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