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出雲口伝と秘密結社(4)

今回は、石人について思うことを書いてみます。

蘇我オホド王(継体大王)の像

『上宮太子と法隆寺』(斎木雲州著)では、見出し図中央の継体大王像(福井県)を載せ、蘇我オホド王という言い方をしています。
この像を見るたびに、頭に浮かんでくるのが、新羅の元聖王陵にある武人石像(見出し図左)と文人石像(見出し図右)です。
似てますよね。頭部と体のバランスといい、顔や指の描き方といい、そっくりだと思うのです。
高麗美術館研究室長の金巴望氏は「胸に手を付けた武人は忠誠を誓う姿態である。卦陵武人は長い巻き毛をヘアバンドで止めている。その風貌は西域でも中国最西部に近い西パキスタンのラホール辺りの民俗を思わせるものである。」と記しています。
現パキスタンのラホール辺りで5世紀と言えば、エフタルが活動した地域です。

飛鳥石上遺跡の石人像

『上宮太子と法隆寺』(斎木雲州著)に、飛鳥石上遺跡の石人像が掲載されています。

石人像(石上遺跡)

一般に、石神遺跡(迎賓館)の庭に置かれていたものと推定されているようです。
石人像は、鼻の高いソグド人風の顔をしており、盃をすする男性の右腕に女性が抱きついている像となっています。
『古代サマルカンドの壁画』(L・I・アリバウム著)では、バラルィク・テペ(サマルカンド南方)壁画の花嫁と花婿の図の解釈として、以下のように述べています。

中央アジア(とりわけフェルガナ)では最近まで、新婚夫婦に、彼らの人生が甘くて幸せであるように、1つの盃から甘い水を飲ませる習慣があった。

『古代サマルカンドの壁画』(L・I・アリバウム著)

おそらく、この習慣をバルバル(石人像)として、描いたものと思われます。

バルバル、『古代サマルカンドの壁画』(L・I・アリバウム著)

バルバルとは、『古代サマルカンドの壁画』では、次のように説明されています。

それ(バルバル)はモンゴリア、トゥーバ、南アルタイ、カザフスタン、キルギジアなど、内陸アジアの広大な山地・ステップ地域、つまりチュルク諸部族の居住地に分布している。
・・・
チュルクの石人にみられる右開きおよび両開きの三角襟のついたハラート、装飾的な帯、それに吊り下げられた短剣、容器、小さな袋など、上述のアフラシャブ壁画の人物像との間に多くの共通点がみられる。長い辮髪も多くの石像に見られる。これらすべては、石像と壁画にチュルクの人々自身が描かれているとの考えにみちびくのである。

『古代サマルカンドの壁画』(L・I・アリバウム著)

アフラシャブ壁画(サマルカンド壁画)の辮髪のチュルク人は、例えば、次のような壁画になります。

西壁、チュルク人『古代サマルカンドの壁画』(L・I・アリバウム著)

ふと、思ったのは、この長い髪を左右にまとめて、お団子にすると、美豆良(ミズラ)になるんだぁ、と。
最近、TOLAND VLOGのマサキさんが、長い髪をミズラにして、そんなことを思いました。

TOLAND VLOGのマサキさんのミズラ(Xに流れていた画像)

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