死海文書を書いたとされるエッセネ派は、ヨセフスの『ユダヤ戦記』によれば、予言がはずれることが極めて稀であると述べられています。
死海文書では、この予言能力のことを、「起こるべきことの秘儀」(ラズ・ニフヤ)と呼んでいます。
磔刑
旧約聖書では、イスラエルで磔刑はないとされていました。
この申命記では、「殺された」後に、「木の上にかけらる」時の話で、磔刑では、ありません。ただ、死体が木にかけられた時は、死体をその日のうち(=日没まで)に、埋めなければならない、と書かれています。
ヨハネによる福音書では、翌日(=日没後)が安息日だから、死体を十字架の上に残しておくまいとしたと書かれていますが、安息日にかかわらず、木の上に留めておくことは、できなかったものと思われます。
一方、死海文書では、磔刑そのものについて記載されています。
これを読んで、イエスの磔刑、十字架に架けられることの意味を、考えさせられることになります。
十字架に架けられ、磔刑にされるべきは、イエスではなく、ファリサイ派やヘロデと思えてならないのです。
ファリサイ派は、死海文書の中では、「滑らかに話す解釈者たち」と呼ばれています。「滑らかに」と訳されたヘブライ語(ハラコート)が、ファリサイ的な、後のラビの法的伝承や規則を意味する語ハラホートと語呂合わせになっていると指摘する研究者もいます。
Wikipediaでは、ファリサイ派が、現代では「ラビ的ユダヤ教」、「ユダヤ教正統派」と呼ばれているとしています。
さらに、死海文書では、このファリサイ派が磔刑にされたことが書かれています。
怒れる若獅子とは、ハスモン朝の王で大祭司を兼ねたアレクサンドロス・ヤンナイオスとみなされています。
これを、神殿の巻物の磔刑で解釈すると、以下のようになるのでしょう。
せっかく、マカバイ戦争で、セレウコス朝シリアからの独立を勝ち取ったのに、ファリサイ派は、セレウコス朝シリアのデメトリオス3世に軍事支援を求めて、ヤンナイオスと戦ったわけです。
ファリサイ派を含んだヤンナイオスの反対派約800人の磔刑は、エッセネ派の観点からみると、正しいように思えます。
死海文書のナホム書ペシェルでは、この後、終末の時にファリサイ派が何をするかの予言(預言)が、語られています。
つづく。