恋と深空 セイヤ の考察
頑固に前に進むセイヤの姿は確かに眩しいが、その根源は主人公への愛と愛情であり、一方でその感情の源である主人公に限っては非常に脆弱な姿を見せるところが、彼を非常に人間らしく見せている。
セイヤは女主との平凡な日常を夢見る人物であり、大きな夢も野心もなく、主人公と一緒にささやかな日常を楽しむことで満足する人物であり、主人公が自分を王子や月影ハンターではなく「セイヤ」として見てほしいと願う人物である。彼はただ愛する人と普通の日常を過ごしたいだけだ。
セイヤは月影ハンターが受ける注目に嫉妬しているわけではない。セイヤはただ主人公の注目を浴びたいだけで、彼女がありのままの自分を愛してほしいだけで、実はセイヤは女主がありのままの姿ではなく、理想化された姿を好むことを心配しているように見えた。月影ハンターの時点ではまだキスすらしたことがない関係なので、女主が月影ハンターに夢中になっている姿を見て、セイヤは不安だったのだろう。主人公が「仮面」の裏側にある本当の自分を見分けることができず、理想化された姿だけを好きになることをセイヤは恐れていた。
冒頭の考えからすると、セイヤは女主を守りたい、所有したいと思っている。しかし、セイヤはそんなことはできないと自分に言い聞かせているようだ。 光の軌跡」を見ると、外的な要因もあるが、セイヤの不安は彼がコントロールできない状況から来ているようだ。セイヤが知らないのは女主の心であり、そのため女主の好みに合わせるために料理を趣味で習うなど(晴れやかな心シリーズ)努力している可愛い姿も見られるが、肝心の自分の心を露骨に表現することはできない。例えば、親密な心の中で「手をつなぐ意味」についての部分や、春の合図として「あいつが見たかったのはおやつ、俺が見たかったのは君だった」という台詞でニュアンスを出すだけで、脈ありのときは余裕を見せるような発言しかしない。 それだけセイヤの壁は高く、だからこそ、露骨に自分の気持ちを表現しなかったのだろう。それに対して女主人公も不安を感じたり、逆にセイヤに積極的にアプローチする場面もある。
幼い王子のモチーフを借りた「没落」を見ると、主人公はセイヤにバラの花をプレゼントし、「毎日適時に水を与えなければならない」と、バラを育てるためには地道な注意と努力が必要であるように、私たちの関係も同じだというメッセージを伝える。そして、セイヤはそんな女主人公の答えと同じように、バラを家に持ち帰ると答えます。これは、セイヤも主人公と一緒に日常を過ごしながら、主人公を大切にしているという意味に聞こえる。セイヤが「以前はそんなこと気にしたことがなかった」と言うシーンは、彼が以前は他者との関係において、些細なことを気にしたことがなかったことを示している。しかし、主人公との関係では些細なことも重要だと感じるようになり、これは彼が主人公に対する感情を認識するようになったことを示している。「俺にとって大切なのは、お前が俺の肩に抱きしめてくれた些細なことだ"というセリフは、主人公との小さな瞬間がいかに重要であるかを強調するセリフであり、セイヤが彼女と感情的に距離を置いたり、無関心で接するようになった変化を表している。
没落」とは、セイヤの内面で心理的な防衛線が崩壊し、主人公との関係を真剣に望むようになった変化を意味する。このストーリーを通して、セイヤはもう主人公を見守るだけではいけないことに気づき、積極的に感情を表現し、関係を発展させようとする姿勢を見せるようになる。
その後、このようなセイヤが当初は言葉だけで告白していたのに対し、「21日」では女主人に直接好きだと告白することになるのですが、面白いのは「21日」でセイヤに女主人との平凡な日常を夢見させ、その夢を壊してしまい、最終的にセイヤの口を開かせたという点です。失うまで知らなかった事実に少しずつ気づき、21日という時間の中で自分が夢見ていた生活を少しだけ体験した彼は、主人公への想いを抑えることができなくなったのだ。この時、主人公がソンフンに「今私に話しているセイヤはどんなセイヤなのか」と尋ねると、「ただのセイヤ」と答えたりする。しかし、主人公の前にどんなセイヤがいても、その全ては常に主人公のものだと言う。
同時に、セイヤは主人公がどんなイズミであろうと、彼女のすべてを手に入れたいと言う。実際、セイヤは主人公がどんな姿のイズミであろうと、彼女のすべてのバージョンを愛している。 また、彼が今まで出会ったすべての主人公を愛してきたように、彼女にも自分がどんな姿であろうと愛してほしいと願っている。それがソンフンの本当の願いである。
セイヤが主人公に「君がどんなイズミでも愛している」と言ったように、主人公も彼のすべての姿を受け入れ、愛していると言う。
花の願い」で、女主は見知らぬ時空に落ちて不安になり、それをセイヤに打ち明けると、セイヤは家が恋しくなると家が遠く感じられたと言う。それだけ、セイヤにとって所属感という言葉はとても神秘的な言葉なのだ。セイヤは孤独に慣れただけで、孤独を感じないわけではない。しかし、セイヤに所属感を与えてくれるのは家だけでなく、女主であり、未来への約束をしたことで、セイヤはより多くの欲望を抱くようになり、女主に近づく姿を見せるようになる。
星の手紙」を皮切りに、女主はすでにその前から、セイヤがこの時空の人物ではないことをうっすらと感じている。このような心配と不安から、主人公はセイヤを抱きしめたいが、このような自分がセイヤの自由を奪うことになるのではないかと躊躇しながらも(セイヤとの過去を知らないため)、過去、現在、未来のセイヤに花を贈り、彼がどこへ行っても誰かがセイヤを心配し、記憶しているという気持ちで、ただ「ただのセイヤ」に花を贈ります。
もしかしたら、愛の種を植えただけで、セイヤは本当の自由を手に入れたのかもしれません。
星の花が咲いた瞬間、遠く離れていた彼(=セイヤ)が故郷(=ヒロイン)に戻ったように。レジェンド」指先の流星、予告セリフ参照
だから、嫉妬するセイヤの姿がより愛らしく見えるのかもしれない。セイヤは恋人に愛情を表現することに躊躇しない男だが、VIPの手紙で「『会いたいんだけど、会いに行ってもいいかな』という言葉は、たぶんもう飽きただろうから、俺が書いても変わらないだろうけど ....」 と、彼女が飽きないかと躊躇したり、「視界~風景」イベントでは彼女の遊び心についていけないのではないかと心配したりする。
セイヤもまた、主人公の気持ちに常に不安を感じ、時には幼稚な態度を取ることもある。主人公が他の男性と会話しているのを見て、街灯を消して男性との会話を止めさせたように。
しかし、主人公はそんな考えを払拭するために、彼を安心させようとする姿を何度も見せる。セイヤも同様に、どんなことがあっても彼女を離れないという意志を明らかにする。
このようなセイヤの弱さや不安感は、セイヤをより強くし、二人の関係をより強固なものにしている。
特に、今回の「銀色のソナタ」を見ると、それがより明白になる。
今回の銀色のソナタの後日談を書いてみよう、
(銀色のソナタ後日談+注意深く見たポイント)
1.セイヤは電子機器に興味が多いが、実はロボット掃除機がやっているのは古いピアノの表面を掃除することだ。→ピアノを大事にしている。
2.幼い頃から好奇心が強い。
3.7号禁猟区19号塔の頂上に「テレポート」してストーリー展開開始、
ワンダラーは「塔」の中心に集まっているが、中心自体には何の異常エネルギーも検出されなかった。
→ セイヤは地図の位置を見てすぐに場所を推測した。地球に長く住んでいた分、裂空災変を経験した後、さらに7号禁猟区を歩き回り、何かを探していたセイヤである以上、禁猟区の地理は大体知っているはずであり、どこかにセイヤの痕跡があるのは当然のことである。
→ 何らかの理由で引きずり込まれたワンダラーたち: ほとんどの、特に7号禁猟区のワンダラーはディープスペースから来たのだろう。ワンダラーが逃げる「磁場」には、ピロス星の印があると推定される。だから、ワンダラーがピロス星から来たと思われる何かに惹かれるのも当然かもしれない。
塔」は宇宙の信号を受け取ることができる。
セイヤが言うように、厳密には電子の振動を人間の耳に聞こえる音に変換したものだが、前述したようにセイヤは電子機器に興味があり、好奇心旺盛で、機械に対する理解度も高い。
また、タワーに初めて来た人とは思えないほど、操作に長けている。
ストーリーを追っていくと、この信号はセイヤが誰かを忘れないために「信号」を送ろうとしたものだった。 また、セイヤが7号禁猟区に目を向けず、再びピアノに没頭するようになったのは、7号禁猟区のことが女主を脅かすものではないと確信したからであり、信号の原因はセイヤにあったと推測できるだろう。
そして、再びピアノに熱中するようになったのは、もはや過去の女主が自分が星のように見守る存在ではないことを知っているからだろう...。
最初は女主は「未知の世界」に対する本能的な恐怖を抱いていたが、果てしない闇を感じたが、それはセイヤの孤独を意味していたのだろう。
しかし、セイヤはそれに対して別の方法で信号にアプローチできることを教えてくれる。
かつてのセイヤは自分の内心を伝えるのが苦手だった。自分の闇や孤独など、自分の心の奥底にあるものを素直に言いにくかったのなら、今のセイヤがあるまでのセイヤは、女主をただ見守るだけでは不可能であることに気づき、もう女主に対する気持ちを抑えることができないことに気づき、また、女主がどんな人であろうと関係なく、彼女のすべてを所有したい、愛している。そして、女主も自分のすべての姿を愛してほしいと思った。 そして、女主もシム・ソンフンをどんな姿でも、過去、現在、未来のシム・ソンフンまで愛していると安心させ、シム・ソンフンの率直な内面まで打ち明けさせた。
今やセイヤは、どんな姿でも自分を愛してくれる彼女に、自分の孤独を自分なりのシグナルとして、彼女が理解できるように、素直に、慎重に、率直に打ち明ける。
そしてセイヤは女主を自分の「音楽会」に招待し、演奏した曲を「星の響き」と紹介する。
エコーとは、ある物体にぶつかって反射され、聴き手に再伝達される現象を意味する。
セイヤの立場で考えると、彼は今まで自分が発する音しか届いていなかったということだ。そんな彼に返事を届けてくれる人ができたこと、何億光年、何十年も離れた場所にいる人ではなく、すぐそばにいる彼女であること。
セイヤが愛おしいのは、寂しいという感情も感じないほど孤独だった時代、
女主に向かって送ったその信号さえも、女主に見せたかった風景だったということだろう。
そんな過去のシム・ソンフンも、セイヤは女主と一緒にいられることを嬉しく思っている。
今のセイヤも、過去のセイヤも、もはや孤独ではないだろう。彼女と同じ感覚を共有し、同じ感情を共有するのだから。