夜、座敷わらしが
夜中、古い温泉宿の部屋で眠っていると、私の布団の周りを、小さい子どもが走り回っている。時々止まって、飛び跳ねたりもする。足裏が畳にペッタンペッタンと着地するので、はだしなのだろう。だが、何の振動も伝わってこない。
私はいくらかうるさく感じ始めるものの、旅の疲れからくる重だるい眠気の底に沈み込んだまま、その音を聞くともなしに聞いている。
意識の隅で、(明日も朝から予定が詰まっているのだから勘弁してよ)と思い、一方では、(子どもだから仕方ないか)とあきらめる。
子どもは相変わらず布団の周りで走ったり跳んだりしている。
私を起こそうとしているのだろうか。うっすら目を開いたものの、真っ暗で何も見えず、重たいまぶたは自然に閉じてしまう。それを何度か繰り返しながら、再び眠りへと引きずりこまれていく途中で、楽しげな子どもの笑い声を遠くに聞いた。
朝になって、一緒に泊まった友人も同じ足音を聞いていたとわかった。私は、朝食のお膳を運んできた中年の仲居さんに、思いきって尋ねた。
「こちらの旅館では、座敷わらしの噂とか、聞いたことありますか?」
仲居さんはさっきまで愛想がよかったのに、
「えっ」
と小さく叫んで、怯えたような目をして私の顔を見つめたまま、固まってしまった。
ここは座敷わらし伝説のある東北ではなく、岡山の奥座敷と言われる温泉地である。不気味な質問だったのだろう。追及したい気持ちをこらえて、
「あ、何でもないです。忘れてください」
私はつとめて明るく濁して切り上げた。
仲居さんは硬い表情でお膳を並べると部屋を出て行った。
その夜から30年以上が経っている。宿の名前も思い出せないが、時々ふいに生々しくあの子どもの足音が耳に蘇ることがある。仲居さんの反応を思い出すと、当時は、座敷わらしは今ほど知られた存在ではなかったのかもしれない。
あの宿はコロナ禍を乗り切れただろうか。足音の主は、今もあの宿で遊んでいるだろうか。なんだか妙に懐かしい。