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【劇場アニメ『メイクアガール』】 ラストの0号は何者か? の考察と答え合わせ (ネタバレ)

先週、これから観る方のためのおすすめ記事を書きましたが、2度目を観ての考察は、既に観た方や、思い切りネタバレしてもOKという方むけに書いてみました。

前回のおすすめ用の紹介記事はこちら

⚫︎ラストの0号がどっちなのか? 気になるので2度目の観賞へ

公開初日に観た前回は、ラストの0号の中にいる人格は母の複製人格 (母人格) と、明に作られた0号としての人格 (0人格) のどちらなのか曖昧に見えて、どちらとも受け取れる、「視聴者のご想像におまかせします」という余韻を残したエンディングと受け取りました。

しかし、エンドロールで明の世話を焼いてきたクラスメート女子がバレンタインクッキーを明に渡しているシーンを入れたことで、母人格説が優勢かなとも思いました。

チラシ2裏面より クラスメート

普通のボーイ・ミーツ・ガール的な物語ですと、最後に残ったのが母人格であればバッドエンド (明は0人格と生きていこうと決めたのに消えてしまったから)、0人格であればハッピーエンド、と解釈できます。

こういった切ない感じで想起されるのは新海誠監督の初期作品、たとえば『秒速5センチメートル』などもそんな余韻を残す感じで人気がありますが、どことなく共通するのは、アニメ業界ではないところから出てきた映像作家的な性質です。安田現象監督もそういうテイストかなと思ったわけですが、2度目に観て、あ、その余韻とは違うなと思いました。(新海誠監督との共通性と差異についてはいろいろ書きたいことがありますが、話がそれるのでこのくらいにして)

⚫︎結論としては両方の人格がいるのでは?

パンフレットの監督インタビューのヒントでは、0号の瞳が黄色の時は母人格という話でした。その確認もあっての2度目でしたが、1度目観賞、瞳が黄色になるのは人を攻撃する行動を抑制する時のモード (生体制御) 発動の表現と思っていました。しかし2度目に観ると、夢の中の子供時代の明母の目にも黄色の瞳があり、生体制御の印でないことがわかりました。

肝心のラストで昏睡から目覚めた0号は、その様子や表情が母のようで、明もその幻影のような印象にハッとするわけですが、それでいて瞳が黄色ではないので母人格ではないことになります。しかし、研究者であった当時の母のように生態培養機に向かって研究を再開する姿は0人格ではない (0人格は研究者ではないので) と考えると、両方の人格が融合したか、随時切替が可能になったか、と考えられます。

パンフレット

⚫︎母人格はそもそも何なのか?

ここで、母人格はそもそも何なのか? という話ですが、天才科学者であった母は病で倒れる前に、自分の人格や記憶をデータ化したいわゆるデジタルツイン (詳しくは以下リンクなど) を作成しており、さらに息子の子供の頃の記憶人格も作成しています。

その記憶空間に明が夢で接続された際、明の瞳も黄色となり、そこに出てきた母は会話をしているうちに自分がリアル人格ではなく自ら作成したデジタルツインの人格であることを、自分が生きていないはずの未来の話題 (0号を明が作ったという話から) から推論・自覚しています。つまり、単なる記憶のコピーではなく、電子的に生きていて思考ができる人格であることを示しています。

チラシ2裏面より 黄色目になった例

⚫︎0号の体はどうやってできているのか?

実は最初は『攻殻機動隊』の少佐のように義体と人工皮膚なのかと思ってました。これは臓器など体の器官を機械的に作り出したサイボーグ技術でそこに人間の脳を繋げたり、脳すら電脳化して人格が入るという想定です。しかし、0号は普通に食事を楽しみ、トイレにも行きます。そしてラストでは大怪我して検査しまくっても体に異常なしという話が出たり、包帯だらけ、かつ点滴を受けています。

つまり機械ではなく、有機的な生体であると考えるのが自然です。確かに培養液の中で作られている場面が冒頭にあったので観察不足でした。(最初から高校生サイズだと、『攻殻機動隊』のように、擬態の人工皮膚の完成のためと解釈してしまい、生体だと、普通は赤ちゃん以下のサイズから高校生の大人のサイズに成長させるような描写がされる作品がこれまで多かったですが、どうも、最初から高校生サイズみたいな感じですので、思い込んでしまいました)

⚫︎0号の人工脳とクラウドネットワーク

そんな肉体をもった0号の人工脳には、AI的なプログラムである人格が格納されており、友人からの言葉で悩み考察し、明を愛しているという気持ちは、1) 明によって予めプログラムされた気持ちなのか、2) 後天的な好きでたまらない気持ちも含まれているのかの葛藤に苛まれます。

チラシ2裏面より 0号

0号と明が対決する場面の会話はまるで恋人同志や夫婦の喧嘩のようです。自分の気持ち (後天的な好きが存在する) をわかってほしいと訴える0号と、プログラムされた気持ちはありつつ後天的な気持ちの発生がある得るかもしれないまだ断言はできないという科学者としての論理的な明の返しが平行線となります。

そこまで人間的な人格を持ち、自己破壊的な衝動まで持つ0人格の思考空間に、母人格が出現し彼女を止めようとしますが、止めきれません。ここで問題なのは、母人格が最初から0人格の裏にいたのか、クラウドネットワーク経由で介入したのかです。この観点では生活支援ロボットソルトの変化が参考になりそうです。

⚫︎ソルトの複数個体の進化伝達と明の正体

母の技術をベースに明が開発したソルトは、カーチェイス時に信号機などをハッキングしたり、変形機能を開発した実験室の個体ではない外にいたソルトの別個体も同様の機能が発動できたり、ハイタッチしたりハグしたりと0号と類似した感情的な表現も複数の個体が獲得しており、クラウド経由で獲得した能力や感情の転送、対話ができることを示しています。

先の母人格かどこにいるのかの疑問ですが、0号の首に下げた母のメモリーにいたけど、既に0号の中に干渉しており、既にクラウドネットワーク経由で明の端末での働きかけを示唆するシーンも踏まえると、既に偏在しているということかもしれません。

一方の明も、交通システムのハッキングをして車を止めたりと、ソルト同様のネットワーク経由の制御が可能であるように見え、母人格のいる記憶空間とも行き来していることから、実は明も人工的に作られた生体に電脳人格なのではないか、と思えてきます。腕はメカですが、これは怪我か何かで義手という設定なので良いとして。と考えると、人と関わる感情が希薄で、研究者として何かを成し遂げる焦燥感 (プログラムされている) に囚われてるのも納得できます。

チラシ2裏面より 明

そうなると、母人格の記憶空間にいる子供の頃の明は、母によって与えられた記憶にすぎず、先の考察のように、最初から高校生の生体のままという可能性も出てきます。そうであれば、明の瞳も黄色になることがあるのは説明できそうです。とすると、明は母が作ったのか? 映画冒頭の培養液のシーンは0号の生体を母が予め開発しており、明が作ったのは彼を愛する人格部分と予想してましたが、実は明を作っていた、ということになります。

⚫︎入場者プレゼント第2弾ブックレットによる答え合わせ

「メイク・ア・0」特製ブックレット

2/7 より配布の入場者プレゼント第2弾「メイク・ア・0」特製ブックレット(24P)”

ここまでの考察を映画を観た後に書いてから、帰宅して特製ブックレットを読んだらぶっ飛びました。ここまで種明かしされ、映画ではわからないであろう裏設定まで解説されていますので、これから観る方はここでやめておいてもいいと思います。以下はこれまでの考察の答え合わせと裏設定です。

母は死にゆく自分の体を入れるために明を作った (衝撃の事実ですね) ものの、愛情を持ってしまったので諦め、自分は死に明に改めて自分の体 (0号) を作らせようとメモリーに人格のコビーを残していたとのこと。

映画の中の銀杏並木のシーンでもこの子 (0人格) はあなたのために用意したと母が言っているので、実際のところ、明も0人格も母が用意したもののように思います。

最後に0号として、稲葉 (母) としてラストを迎える」(ブックレットの監督コメント) や「最後の最後に稲葉 (母) でも0号でもあるという立場を確立した状態」 (同) とのこと。やはり両方の人格が共存しているようですね。

⚫︎この後の明と母+0号はどうなる?

昨今の生成AIの発展で、今世紀中には人類の老化や死の回避が可能という話が出ています。

0人格と母人格が共存する一方で、明は永遠に生きる生命体の研究もしていたことからすると、明と0号の体は半永久的にあのまま生存する可能性があり、母は一生研究でき、明も同様。しかしクラスメートの彼女 (茜) とは将来的には年齢差や死別が生じてしまいます (彼女もAIによる技術の発展で長命になる可能性ありですが)。とすると0人格が明の相方かもと言えますが、彼が何度か否定しているように、そういう関係でもないと。

母人格の分化としての0号人格とどちらもが彼に安らぎと幸せを与えるとしたら、3人格で共生していくのが幸せということなのかもしれません。あるいは近いうちに母は新たな生体を作ってそちらに移れば良いので物理的には3人になるのかもしれません。

チラシ2裏面より 0号 (中期)

⚫︎最後に

最初に書いたハッピーエンドかバッドエンドかという意味では、研究者として物理的な死を乗り越えた母にとって研究の継続ができるハッピーエンド、研究からの解放と0号との幸せと母を得たという明のハッピーエンド (しかし研究ありきではなくなるという夢を諦めるのはハッピーではないという捉え方もありますが本人がハッピーなら良い) という二重の物語でありつつ、0人格は明にプログラムではない愛情の発生を認めてもらえたのかは (明から言葉にして伝える場面がなかったという意味で) 不明なままなので、彼女のハッピーエンドだけは不明瞭なままですが、そのひっかかりこそが物語としての魅力であり、愛らしいキャラクターの魅力なのかもしれません。

2027年劇場版プロジェクト第2弾始動とのティザー映像が映画ラストにありますが、どことなく0号に見えるのは気のせいかもしれませんが、もっとこの続きが観たいという気持ち (願望) が一層強まりました。安田現象監督の次回作が待ち遠しいです。

⚫︎リンク集 (インタビュー記事、他) (2025/2/11 追記)

Febri の監督インタビュー 1

Febri の監督インタビュー 2

監督とキャストによるトークショーレポート

(監督が新海誠監督に「次回作楽しみです」と言われて喜んでいます)

新海誠監督の感想


⚫︎あとがき
いかがでしたでしょうか? 至らぬ点、言い方がよくないという点があるもしれませんが、普段はテレビアニメ60作品くらい見ていて時間が全く足りず、この手の深堀をする余裕がないのですが、『メイクアガール』はとても好みで応援したい作品なので頑張ってしまいました。

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