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ちょっと未来の生き方vol.04「水曜日の苦悩」

 会社から「週四日勤務」の導入が告げられた時、健太は何も言えなかった。同期たちは大喜びだったが、健太の顔は引きつっていた。
 「給料はそのまま?ラッキー!」と誰かが叫び、周りもそれに続いた。だが   
健太は内心、絶望していたのだ。
 健太はワーカホリックだった。いや、正確には、"仕事以外に興味がない" というだけの男だった。週五日でさえ「土日なんてなければいいのに」と思っていたのに、今度は水曜日が完全に空くという。これは悲劇だった。そう、世間が羨望の眼差しを向けるその制度は、健太にとって「悪夢」でしかなかった。

 「何をすればいいんだ?」水曜日の朝、健太はカーテンを開けて思った。外は快晴、絶好の休日日和。しかし、外に出る理由がまるで思い浮かばない。何せ、これまでの人生、仕事以外の何を楽しんだ記憶もない。彼は一応、ネットで「休日の過ごし方」を検索した。筋トレ、ヨガ、旅行、料理、ゲーム、映画鑑賞…やることは山ほどあるじゃないか。とりあえずジムに行くことにした。
 ジムの会員カードを久々に引っ張り出し、足を踏み入れる。しかし、そこにいるのはキラキラした人々。筋肉を誇示するように汗を流す人たちに囲まれ、健太は早々に気後れした。「無理だな」と思い、5分で退出。その後も何度かチャレンジしてみたが、やはり長続きはしない。ヨガも同じだ。呼吸法に集中しようとした瞬間、頭には仕事のプロジェクトが浮かんできてしまう。ポーズを決めながらも、「この資料、来週の会議に間に合うか?」と考えている始末だ。
 旅行に行くことも考えたが、一人で行くのは気が引けた。しかも、行き先を決める段階で「そういえば、このプロジェクトの顧客先、旅行先のそばにあるな…ついでに訪問してみるか?」などと不純な動機が頭をよぎり、結局行く気が失せた。
 そう、健太にとって水曜日は "苦悩の日" だった。土日もまだしも、週の真ん中での休日は、まるでリズムが崩されるかのようだ。自分がこんなにも「働くこと」に依存していたとは。毎週水曜日が来るたびに、健太は重いため息をつくようになった。

 そんなある日、健太はふとした思いつきで「先人たちは、どうやって苦悩を鎮めていたのだろうか?」と考えた。そして検索する。「苦悩 解消」「ストレス 修行」。その結果、たどり着いたのは "お寺での修行" という古典的な解決策だった。
 次の水曜日、健太は一大決心をして近くの寺に修行体験を申し込んだ。そこでは、禅を組んで座禅をする時間が延々と続く。「まあ、座るくらいなら簡単だろう」と軽く見ていた健太だが、5分も経たないうちに足がしびれてきた。
 「これ、地味にしんどいな…」と思いながら、必死に目を閉じる。だが、そこでまた頭に浮かぶのは、やはり仕事のこと。「この座禅を終えた後、会社に戻ってみんなに報告しよう。いや、プレゼン資料にこの修行経験を追加して、顧客に禅の心を伝えようか…」と、考えは尽きない。だが、修行はその思考を沈める時間を与えてくれた。
 数週間も続けると、健太は徐々に "何もしない時間" に慣れ始めた。座禅の中で、少しずつ自分の心に向き合う時間が増えていったのだ。そして、ふと思った。「仕事って、そんなに大事なのか?」と。
 修行を続ける中で、健太は次第に "自分がしている仕事" についての疑念を抱き始めた。何時間も座り、何も考えず、ただ「今、ここ」にいることに集中する中で、今までの自分がどれほど仕事に取り憑かれていたかに気づく。
 
 「これって…ブルシットジョブじゃないか?」彼はそうつぶやいた。

 ブルシットジョブ、つまり意味のない仕事。健太が日々時間を費やしていたその仕事は、本当に価値があるのか?社会に貢献しているのか?修行を続けるうちに、健太の中でその疑念は確信に変わっていった。
 そして、ついに健太は転職を決意する。今度の仕事は、なんと「週四日勤務の推進コンサルタント」だ。これまでの修行で得た経験と、無駄に過ごしてきた水曜日が生んだ「仕事への疑念」を武器に、健太は企業に向かってこう説く。「週五日働くなんて、もう古いんです。もっと人生を楽しみましょう!」
 そして、彼は自信満々にこう続ける。「私が言うから間違いありません。週四日勤務が、あなたの人生を変えます。まさに私のように。」
 こうして、健太の新しい人生が始まった。彼は今や、仕事に取り憑かれていた過去の自分を笑い飛ばしながら、企業に向かって「仕事の虚しさ」を説き続ける。そして水曜日も、もう苦悩の日ではなくなったが、週4日勤務に慣れた新しいワーカホリックになっただけだということに健太が気づくのは、もう少し後になってからだった。

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