「一人になりたい」と言わないと決めている父(2018/11/29(木)のメモ)
2018/11/29(木)のメモ
上飯田のバスターミナルにある果物屋さんで焼き芋を売っていたので、たまにはお土産をと思い最後の1つを購入し持っていった。
お土産の焼き芋はお母さんの今夜の晩御飯に。
息子が買ってきたお土産は嬉しいのかな?
今週の火曜日、妹が来てお母さんと大曽根のイオンで食事に行ったらしいが、
その時に「今、何月?」とたずねると「9月」と答えたらしい。
日付の感覚というか記憶が希薄みたい。
曜日感覚を忘れないように毎週木曜日と決めて実家には行っているが、多少の意味はあるのかな?
肌感覚でしか月を意識出来ないらしい。
その今週の火曜日はお父さんはNHKの歴史講習をおじさんと受けたとのこと。
「お父さんも大変だね」と言っても、お父さんは「1人になりたい」とはお母さんには絶対言わないと決めているらしい。
お母さんが甘えられるのはお父さんだけだからそれを拒絶するような言葉は言わないのかな?
優しいなぁ~、泣けてくるよ。
お母さんも心配だけど、お父さんの負担が増えるのも心配だな。
妹とも協力しないと。
そういえば、お母さんのウィッグの端から白髪がだいぶ出ていたので、妹に頼んで切ってもらわないと。
今日は、チャーハンを食べた。
店にいた客が「美味そうだな。メニューに載ってないな」と言っていたが、そういえば、チャーハンとかオムライスがメニューになかった。
昔から無かったかな?
お客として行ったことないから気づかなかったなぁ~。
非日常体験が少ないので、何かもっとイベントを考案しないと。
2024年1月の今、振り返って思うこと
お父さんの伝聞がかなりある。
この頃は閉店時間近くに実家に行っていたこともあって主にお父さんの話を聞く事が多かった。
愚痴を聞くことが僕の役目とは心得ていたところもあった。
介護年数の平均は約10年(症状により異なる)とも聞いていたのでこれからの10年はこういうことが続くのかぁ〜とこの頃はまだ漠然と考えていた時期だった。
今思えばまだこの頃は介護と言っても可愛い程度で定期的な見守りが主な役割だった。
だけど、母の認知症が確実に進行していたことだけはこのメモからも確かだ。
優しかった父
特に母に対しては優しくて、だから何の趣味もない母を一人にするような言葉は言わなかったんだと思う。
母にしてもそんなんだから近所の買い物の時でさえ「お父さんに」と言って食材をカゴに入れていた。
そんな父が後に母に対して声を荒げている姿を初めて見た時は驚いてしまった。
その時はあまりの驚きにお父さんを落ちつかせることができなかった。
驚きとその後の悲しみもあったかな。
老いと病は人をこんなにも変えるのかと。
記憶を呼び覚ます装置
noteって記憶を呼び覚ます装置だなって思う。
メモを元に記事を書いていると忘れていたことが不意に蘇ってくる感じがあってゾクッてする。
メモの日付の写真も併せて見ているから特になんだと思う。
文字+写真って強力だ。
メニューには載っていないチャーハン
写真はこの日実家で食べたチャーハンだ。
お客さんに言われるまでメニューに載っていないことに気づかなかった。
それくらい結構な頻度でお父さんに注文しては作ってもらっていた思い出の味。
写真の通り我が家では味噌汁が付いてくる。
僕にはこのセットで違和感はないけど人によってはチャーハンと味噌汁は受け入れがたいかも。
今の季節、陶器性のレンゲを持った瞬間わずかに冷たく感じたことを思い出した。
たまに金属性のスプーンの時があったけどその時は味噌汁をスプーンで飲んでとても熱かったなんてこともあったな。
そんなことも思い出した。
何もない一日
何もない一日。
何気ない一日。
メモに残されたそんな日々にこんなに愛着を感じるなんて思ってもいなかった。
自分自身を褒めることなんて滅多にしないが、このメモを残し続けたことは褒めてもいいかな。
誰かのためというより自分で書いたものが時を経て自分を癒してくれていることを実感している。
時間が経つということは人を弱くさせるものだな。
ということを実感したということで今日は終わり。
また、次回のメモで。