見出し画像

そして根に持っているのは母だけだった

息子こだぬきが1年生の頃、休み時間に運動場に行けなくなった時期があった。

ドッジボール大好き少年で、休み時間の1分、1秒を惜しんでチャイムと共に運動場に飛び出して行く1人だった。

確か、息子の告白で知ったんだと思う。「俺はもう運動場行かへんねん」と。

なんで?と尋ね続けて、ある時やっと「A(仮称)に、ドッジボールにこだぬきは入れない」と言われたと話してくれた。

Aは保育園が一緒で、2人が対のように仲良く遊んでいた時期もあった。親の目から見たAのイメージは快活で正義感の強いリーダータイプ。

そんな風に思っていたもんだから、とても驚いた。大人が見る顔と子どもの見る顔は違うものだ。

別に運動場でドッジボールをしているのはAだけじゃなし、他の子たちとやればいいのだが、息子は繊細で、対人関係で萎縮してしまうタイプ。

そうとは思えず、運動場自体に行くことができなくなった。

1年時の担任の先生は、体育専攻で教師になったに違いない「ザ体育会系」という雰囲気の女性の先生だった。

誰に対してもクラブの顧問のような雰囲気で対応しており、たぬきちは先生を信頼していたが、一点この先生の相槌がいつも「うん」であることだけが心をザワつかせていた。

余談だが、義母が外を歩いていた時、保護者と話し込んでいる先生らしき人が、「うん、うん」と相槌を打っているのを聞いて、これが孫の担任だなとピンと来たと話したことがある。(なんのはなしですか‼︎)

休み時間になれば、生徒と一緒に運動場へ飛び出して、鬼ごっこや球技をしている先生なので、息子の異変にもすぐ気づいていた。

運動場に行けなくても、同じように教室に残る生徒はおり、その子らと一緒に粘土をしたり、絵を描いたりして過ごしていると、懇談で教えてくれた。

そうこうしているうちに、2年生に上がる少し前だったろうか、息子の傷も癒えたのか、また運動場に行くようになり、今に至るまで、運動場で大暴れしている。

当時はまだ、ブログ(noteの前にやってた)を始めておらず、「心が動いた瞬間」を書き出し、手放す、ということができなかったし、後にも書かずにいた。

自分が散々味わい尽くした辛酸については、時が経っても忘れられず、「これを書いてみようか」そう思っては、大昔の記憶と感情を引きずり出して、SNSの大海に垂れ流してきた。

しかし、この件については、息子自身が乗り越えた時点で、たぬきちも書くことなしに手放していたようだ。と思っていたが、否、手放していなかったと最近わかった。

5年生になって再び、息子はAと同じクラスになった。1年生以来、疎遠になっていた2人だったが、クラスメイトとして再び交流が始まった。

皆さんは、今若い世代で大人気の交流型オンラインゲームをご存知だろうか?(唐突になんのはなしですか!?)

我々の世代が親しんでいたファミコンや、ゲームボーイのように各人がゲームカセットを購入し、自分のゲーム機で個人で遊ぶ。一緒に遊ぶには、物理的に同じ場所に集まる必要があるという、それとは全く遊び方が違っている。

オンライン上のゲームを、友人同士で同時にプレイし、ゲーム中は、「音声チャット」と言われる機能で、各人がそれぞれの家に居ながら、友だちと話しながら遊べるのだ。そのおかげで門限などという概念はぶっ飛んでいる。

世の中の進化はすごい。我が家では息子にスマホを持たせていないこともあってか、友人とボイスチャットしながら、一緒にゲームができることにすぐ夢中になった。
(なんのはなしですか‼︎)

その一緒になって遊んでいるメンバーの名前の中にAを見つけた、たぬきちは「Aや。よくも息子を苦しめたな」などと思ったのだ。

2人にとっては、もう、数年も前のこと。とっくに2人は成長し、忘れてさえいるかもしれない。

1年生の小さな少年の小さな意地悪をまだ根に持っていたとは!?と自分の陰惨さに驚いた。

また、別の日、用事で早く帰宅したたぬきちと子どもらの下校時間がバッティングしたことがあった。

前から歩いてくるAを見つけ、勝手に気まずくなっているたぬきちに、Aは可愛らしい笑顔で「こんにちは!」と挨拶してくれた。

なんだか、恥ずかしかった。

そして、その後さらに、たぬきちにとって衝撃的な出来事があった。

日課のように、息子がクラスメイト達とオンラインゲームを楽しんでいると、どうやらいざこざが発生したようだった。

Aと別の友人がゲームの仕方を巡って喧嘩になり、周りの者も一緒になって、口汚く罵り合う展開に(ボイスチャットはたぬきちには聞こえていません。息子からの後の情報提供です)。

すると、しばらくして、息子がAと喧嘩していた友人に、「Aのことどうする?仲直りする?」と聞いている。しばらくして、今度はAに向かって、「さっきのはアクシデントやからまたやろう」と仲裁しているではないか‼︎

仲間はずれにされれば萎縮して、その場を去る幼い息子の姿はもう、そこにはなかった。

事情をよく知らないおばさんが、一方的な情報を聞きかじっていつまでも、いつまでも尾を引くように根に持っていたことの恥ずかしさよ。

今回は、とても長くなってしまいましたが、要はたぬきちは根に持ちやすい陰惨な生き物というお話でした。

(長い話のツッコミ手としてとても有能な#なんのはなしですか ムーブメントです。この度は創作大賞も本当におめでとうございました)
#なんのはなしですか

いいなと思ったら応援しよう!

はたらくたぬきち
サポートは活動の励みになります!ありがとうございます😊いただいたサポートは恩返しではなく恩送りとして循環させていただきます〜✌️