不美人の記憶
たぬきちの通っていた中学校には当時カースト制があり、頂点はヤンキー、その次の階層は見た目の美しい人々であった。
その他の詳しい階層の区分はわからないが、たぬきちは最下層であったと思う。
ずいぶん生きづらかった記憶がある。
酷い癖毛で、それが嫌でベリーショートにして帰宅した娘の顔を見て母は「森昌子になった」と言っていた。
同級生は、たぬきちを森昌子だとは思わずに、「大仏」と陰口を叩いていたことを認識している。それはさておき、当時はブスとして通っており、そのような扱いを受けていた。
そのほかブスと言われた記憶を辿ると、思い起こされるのは父方の伯父さんに「中の妹も、末の妹も別嬪やのに、たぬきちだけなんでブスなの」と言われていたことだ。なんでと言われても。
ここだけを見るとなんと酷い人物かと思われるだろうが、当のたぬきちは、この伯父があまりにも個性的な人物であることを知っているし、思春期になっても話しかければ、ちゃんと応える姪っ子に対して、親愛の気持ちで言っているであろうことがなんとなくわかっていたので、特に何も思っていなかった。
父もその様子を知っているが、きっと同じ考えであったと思う。ただし、母だけは悔しい思いをしていたかもしれないなと今になると思う。
これはブスというほどではないかもしれないが、たぬきちが結婚して後、義理の母親に、2人の妹が美形だと褒められた後で、「たぬきちちゃんもいい顔している」と言われた。これは優しいバージョンのブスということかなとその時思った。
自分でこれは酷いと思ったのは、結婚式の写真で、和装でカツラを被ったたぬきちの横顔が河童のようだと思ったことがある。そのことを中の妹に伝えると「私河童の顔知らん」と言っていた。うまいこと論点を変えたなと、感心した記憶がある。
確かに伝説上の生き物の確固たる顔はわからないが、なんとなくわかるはずだと思う。
大人になるにつれ、ブスと面と向かって言われることも無くなっていったし、今はブスよりデブという印象が強いのだと思う。
でもやっぱり1番強烈に覚えている「ブス」は、初めて母とフェイシャルのエステに行き、そこで初めて化粧をしてもらった大学生の時。初めての経験に、リラックスするどころか、強烈に疲れたたぬきちは、施された全く似合っていない化粧を落とさず自室で横になっていた。そこに仕事から帰って来た父に話しかけられて、顔を向けた時に、父が第一声
「あ、ホワイトブス」と言ったのだ。
実はたぬきちも初めて化粧をしてどんなに良くなるのかと期待していたのに、いつもより白塗りのブスになっただけだと思っていたが、化粧を施したお姉さんが「綺麗ですよ」と必死でいうもんだから、これが普通なのか、そうなのか?とよくわからなくなっていた。
恐らく母も内心、これは失敗だと思っていたであろうが、「いいやん」と取り繕っていた。
父の簡潔で明確な一言に「やっぱりか」と凄く納得したことをもう20年も前のことなのに、時々思い出しては、父が言った言葉の中で1番的をいた表現だとも思い返しては笑っている。
これからさらに歳を重ねればまた、ブスエピソードが増えるかもしれない。
父のホワイトブスを超えるものがあるのか、死ぬ直前にもう一度確かめたいと思う。
今日はそんなことを考えた。
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