あざとさと計算だかさと心強さと
いつも感じているあなたへと向かって
あやまちは恐れずに進むあなたを涙を見せないで見つめていたいよ
あざとい
計算高い
小室哲哉さんプロデュース、篠原涼子さんのヒット曲です。(そんな歌じゃない!!)
あざとさの中に実は愛しさもあり、計算高さの裏には切なさがある。だからやっぱりあざとさと計算だかさと心強さとでいいんじゃないかとさえ思う。
何を言っているのか自分でもよく分かりませんが、わけが分からない時は、逆の意味で考えると分かりやすくなる時があります。
控えめと無策さと心強さと
控えめ
無策
控えめと無策さでは、やはり心強さは生まれません。「もっと考えてくれー!!」と心細くなります。
計算高い君のうたをー無策なやつが笑うだろー
ファイト!
中島みゆきさんの名曲「ファイト!」
(そんな歌じゃないよ。ファンの皆さま申し訳ありません。無策なたぬきの戯れ事と捨ておいてください)
計算高さの中には戦い、戦略があります。それを笑うのはいつも無策な人々です。
控えめさに美しさを感じるのが日本人ですが、いつまでも控えめであれば、それは無策と同様、戦いを放棄しています。
またわけがわからなくなってきました。
たぬきちは井上ひさしの傑作「吉里吉里人」が好きです。井上氏が家庭内で壮絶な暴力を奮っていたと聞いてからは、好きだと公言しなくなり、久しいですが。
このユートピアファンタジーは終始、延々と長々と「ボケ」の応酬が続きます。でもその中にはピリッとした真実と、泣きたくなるような「日本語」の美しさが散りばめられています。
久しぶりに本棚から取り出して、少し目を通しましたが、すぐに閉じました。文庫本のフォントはあまりに小さく、行間も狭いので、読めませんでした。
あー目が見える若いうちに読んでおいて良かったと思いました。眼科に行ってメガネを作り替えたらまた読んでみようかと思います。
高校時代、現国の教科書で寺山修司の
に出会いました。
教科書に載っている短歌のうち自分が面白いと思ったものを選び、なぜ面白いと感じたのか順に発言するよう先生が言いました。
当時、クラスの生徒の多くがこの歌を選んでいましたが、みな本音を言うのが照れくさかったのか「モカ珈琲と訛りの対比が面白い」と答えていました。
たぬきちは自分の番で「悲しいから」と答えました。すると先生は「君はどこの大学を志望している?」と聞きました。皆の前でいきなり進路を聞かれて固まってしまいました。たぬきちの通っていた高校には優秀な人が多く、そんな人たちの前で自分の進路を口にすることはできなかったことを覚えています。
言葉のもつ情緒と言えばいいのか?今のたぬきはまだ、表現する術を持っていませんが、「言葉」それ自体が無性に好きなんです。
今日はタイトルだけ決めて書き始めたらこんな展開になりました。あれだけ冒頭で無策を非難しながら、自身は無策でここまで筆を進めるという。
でもなんだか楽しくできました。もしここまで読んで下さった方がいらっしゃいましたら、戯言にお付き合い頂いたこと感謝します。
あなたの「言葉」への思いも教えてください。それではまたお会いしましょう。