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☘️目的があれば大丈夫☘️

さて、高校でのスポーツ環境は、公立高校と言うこともあり、練習時間の制限や、部員不足などありましたが、春には高校の選抜の全国への切符をもぎ取りました!

その結果はさておき、練習自体は効率的ではありましたが、

きつい事はきつい

スタミナが必要な競技でもあるし、フィジカルも必要。
なので、練習はきつい。

でもなんで耐えれたかというと、

試合でのプレイが

楽しくて、楽しくて

自分たちの思った通りに、プレイがうまくくなので苦しい練習も耐えれるわけで。


そして、練習も強制される事なく、根性でのプレイなどなく、理論プレイだったのでどちらかというと考えながらの練習でした。

練習をすればするほど、結果に繋がる
やらされる練習ではなく、自主的に行う練習
根性論ではなく、理論的に目的を持って

だからこその、部員8人(競技人数は7人)での全国へ行けたのです。

その時代には珍しくはあったと思います。
根性だ!気合いだ!練習量だ!などが普通とされた時代に珍しい学校でした。

そんな高校から大学へ競技を続行するため、進学をしました。

☘️競技を断念した大学☘️

高校3年生のインターハイ予選前に私は前十字靭帯を断絶、競技続行が難しくなりました。その後は温存療法での競技を続けたものの怪我の前のようにプレイができることもなく、インハイ予選で敗退、全国へは行けませんでした。

そんなこともあり、不完全燃焼だった私は大学での競技を続けることを決意しました。

しかし、リハビリと同時に始まった大学での競技生活。
しかも、私を大学へ呼んでくれた顧問はいなく、新しい顧問が就任していました(びっくり!!!!)

そんなこともあり、一人別メニューでリハビリ室の籠る毎日でした。

大学での指導は、今まで自分が受けたものとは違い、ひと昔に戻ったかのようでした。
上下関係の変なルール、プレイがうまくいかなかった時の怒号や体罰(今考えると訴訟問題だよ)など驚くようなものがありました。
そして、全国からの先鋭たちの集まり、うまくいかないリハビリ。

本当に辛い期間でした。

☘️好きだった競技が嫌いになる☘️

そんな中で、今まで楽しさしかなかった競技が急に辛くなりました。
学校にもいきたくないし、部活なんて行きたくもない、部員と一緒にいることも苦痛になりどんどん自分の心が壊れていくことがわかりました。

このままでは無理だ、ここまでして今まで好きだったことを嫌いになるまでする必要はない。

と思い、退部を決意しました。

成人してまで、叩けれながらスポーツしたくないって思ったしね。

☘️だからワクワクすることだけをしたい☘️

競技を通して私が感じたことは、やっぱり楽しいこと、ワクワクすることこそが大事だと言うこと。

嫌なことを嫌と思いながら続けることなんてしたくなーい!
好きなことは仕事にしちゃダメとかゆうけど(誰が?)嫌いなことして過ごしたくない!

だから、好きなことで生きていく。
これが本当の自分らしい生き方だ。

あと、達成したいことがあるからこそ、辛いことだってできると言うこと。

生きていると、いろいろな役割が回ってくるけどその役割もどんな存在でいるかと言うのは自分次第。人らしくやっていくのでOK!!なのです。

世間の「〜らしく」なんて、

🎵右から左へ受け流す〜

で大丈夫。

と言うことを学んだ。


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