何もないのではなく、何も見ようとしていなかった
つい最近まで
私は自分には
「何もない」
と思っていた。
トレーナーとして
勤務はしているが
(独立前の事)
時給の雇われトレーナーだ
プライベートは
専業主婦
フルタイムママと比べて
なんとぬるい生活をしているのだろう
と思っていた。
しかし、ずっと上がらない
時給に限界も感じながらも
独立したいが
資格もスキルも経験も知識も
足りない
と感じていた
ただの主婦に出来るのか
独立してやっていけるのか
どれだけ時間がかかるのか
と「出来ない」を並べていた
こじらせ女子に酔いしれてた
まじで酔いしれてた
でも、今思えばこじらせる環境であったのも事実
子供との時間がほとんどで、
その世界の中で留まっていたからだ
留まると
偏った情報しか入ってこないし
有益な情報もほとんどない
テレビからの一方的な情報が
ただただ流れてくるだけだ
この閉鎖的な環境では
自分がどういう人間で
何が出来るかなんて
わからない
いや、わかろうとなんてしなかった
ただ、
外の世界が羨ましくて
自分とは違う世界で
出来るはずもないと
諦めてた
何が私を動かしたのか
それは過去の自分だった
社会人の時は
全店舗で一番の利益を上げた
これは用意された立地
ブランド力
サービス精神
マニュアル
はあったものの
この用意されたものを
現場で調理して提供したのは
私だ
だからこその
出来るはずなのに
なんでここにいるのかという
葛藤だったのだと今なら思う
怖さばかり並べて、
働くつらさばかり思い出し、
マイナスの感情のみ思い出していた
しかし、今の環境にも違和感を感じたからこそ
環境を変える行動ができたのだと思う
とにかく私は
今とは違う、
私のことを全然知らない人の中に
飛び込んでみた
ほとんど直感だ
こんな人になりたい
この人に集まる人たちに会いたい
そんな思いで、
今までの環境と違うところへ飛び込んだ
その時はまだこじらせ女子を引きずりながら
でも、その環境に飛び込んだ自分を褒めて
今までその資金を貯めてた自分に感謝をしながら
だから、人の記憶には
負の感情の方が残りやす
まあ、生存本能の部分で
どうしても安心・安定を知らずのうちに選んでしまう
これは、本当に大人になってしまったことによる損失だ
子供の時には「楽しい」ことのみしかしない
といいうかしたくない
ワクワクすることなら
ずーっと続けられる
そんな感覚が鈍ってしまっている
母になる前の私は
自由に行動できていたのに
それが出来なくなった10年
使命を義務感で自分を置き去りにしてきた
それももちろん必要なことなのだが
それもはたしつつ
好きにすればいいじゃない
だって大人なんだもん
これまでの経験があるからこそ
より良く動けるスペックを私は持ち合わせた
自分+3人の子供のスケジューリングなんて
お茶の子さいさい
朝飯前さ
こんなマルチタスクをこなせる人なんて
そうそうにいないはず
だからこそ身についたスペシャルスキルなのだ
そう思うと私は
素晴らしいスキルの持ち主なんだ
そう感じることができた自分を愛おしく思う
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