負けて勝つ
僕が個人的に経験してきた話
幼い頃からサッカー漬けでそれ一筋と言えば聞こえがいいが
特に普通の暮らし
親はサラリーマン、母はパート、兄1人と僕という家族だった
田舎育ちだし兄が先にサッカーをしてた流れで僕がボールを蹴るようになる
めちゃくちゃ普通の流れ
僕の子供の頃は時代的にはサッカーより野球、親父も巨人と長嶋、その後は松井秀喜
僕ら兄弟にも野球をさせたかったに違いない
が、近所の子供達で集まって毎日遊ぶ中でサッカーも野球も自転車も悪戯も経験していく
たまたま仲の良い友達の中でこいつには敵わないって程の野球少年がいた
後にその友達は地元の高校の野球部のエースになる
すでにサッカー少年団に2年生から入ってた僕は野球の遊びでそいつに負けても悔しいとならない
畑が違うと子供ながらに思っていた、
逆にあいつはすげぇとリスペクトすらあった
僕は僕で小学6年で県大会の決勝へ行く事になった、TV中継もあった
当時はTV中継された事でちょっとチヤホヤ状態、親も鼻高々
何故だかVHSビデオテープで録画された決勝戦は天然な母親に消されていたw
決勝戦では残念ながら2-3で敗れた
悔しさで涙が出る予定だったが案外そうでもなかった
中学生でも県大会決勝に行き今度は優勝した、TV中継もあった
そのまま地方大会に進み勝ち抜けば全国大会だったがそこで負けた
悔しくて涙が出る予定だったがそうでもなかった
高校2年時にまた県の決勝に出た、TV中継もあった、残り5分前まで勝っていたが逆転され負けた
劇的過ぎる負け方、試合後のロッカールームは異常な現場だった
この試合は勝てば冬の選手権全国大会初出場だった、試合後のロッカールームはこの試合で引退する3年生が半狂乱状態になっていた
僕もピッチで手ごたえがあったし終始自分達のゲームだった
結果は2ー3の劇的過ぎる逆点負け
あれ以上に悲惨な経験はなかなか無い、3年生にしてみれば初の全国出場が残り5分で逆点され引退になったわけだ
壁を殴るもの、監督・コーチに謝るもの、うつむき動けないもの、僕も2年生ながら責任を感じて思考が停止し涙が溢れた
小学生では思考も努力の方向も意味もよくわかっていない、今考えても親から褒めて貰えるとか周りから認めて貰える事が嬉しかったと記憶している
中学生の頃は変な上下関係や勉強が出来ず面白くもなく素行が乱れサッカーに没頭出来ていなかった、今考えてもうわべだけの薄っぺらい状態
そして涙が流れた高校2年時は毎日毎日サッカーに没頭した、あれを努力といえるかはわからないし誰かと比べてどうとかはない
しかしながら引退をいきなり突きつけられた先輩達、その先輩達のお陰で決勝の舞台に立たせてもらいながら最大出力のプレイが出来なかった
自分の不甲斐なさ、経験不足からくる重圧、100%で取り組めなかった日々の練習、つまりは完全に実力不足
僕の不調が足を引っ張って負けた
先輩を引退させたのは相手チームではない、僕だ
来年こそは・・来年の選手権は俺が勝つ
そして、3年時
僕は秋口に国体の代表に選ばれた
徹底的にフィジカルを鍛えて当たり負け走り負けを克服した
そうする事でチームメイトにもコーチングができるようになりプレイにも自然と余裕がうまれた
が、選手権の準々決勝で優勝候補に
0ー1で敗れた
僕は攻められっ放しの試合の中、3本のシュートを放ったが相手チームとの力の差は歴然だった
泣けて、泣けて泣けてボロボロになった
誰もがこの試合の結果は分かり切っていた
それでも僕はどうにか、どうにか自分の力で勝ちたかった
負けたら引退、残酷に過ぎる時間に焦りと悔しさでボールを追いかけ回したがボールは僕のとこまでなかなかこなかった
今振り返っても出来る準備も練習の取り組みも弱点の克服も全てに妥協せず出来た
当時、よく言われた言葉がある
「自分の力を発揮すれば悔いは残らない」
申し訳ないが僕には当てはまらない、それの言葉は嘘だ
負けたらダメな時はダメだ
どんなに自分を発揮しても負けてはいけない時があって、あの試合の悔いは今でも残る
負けた試合の帰りは親ともいたくなくて電車で帰った、翌日は熱が出て学校を休んだ
その後何年かその試合の悪夢をみる事になる
力を発揮したらこの状態にならないなんてやはり嘘、僕は全部出し切って負けた
しかし、そこまでの道のりはその後の人生に多くを与えた
簡単に諦めない事、取り組みの姿勢や方向を見定める事、今何が必要か見極める事
仕事にも家庭にも通じる大事な事を高校の時に経験出来た事は何にも代え難い財産である
だから簡単には負けない
負けても学んで勝つ