弓と社会科学
えー、全く年末という気がしない、季節感が無くなった猫、ぽんニャンです🍊🐱
実は俺っち、弓をやってます。
弓道と言わないところがミソです。
詳しくは書きません。
ただし、コロナ禍で3年も行事はしていませんが。
んで、今社会科学から福祉を見つめているのですが、その弓と社会科学との共通点を見出したわけです。
弓というのは、とても単調な動作の連続です。
パッと見ると、誰でも出来そうな感じがすると思います。
しかし、単純だからこそ難しいのです。
弓を引く動作の一つ一つには意味があります。なぜこういう動作になるのか、射手は考えなくても出来る様に稽古を積みます。
しかし、そこには普遍的な考えがあるのです。
同時に弓を引くものは、日本の文化や考え方を継承します。
例えば、上座下座の考え方、物の取り扱い方、礼儀作法。
弓を引く時も全てが関係してきます。
「こうしなければいけない」という考えより、「こうすればこうなりますよね」という、物事の根本を大事にした考え方。結果は後からついてくる。
すべて理屈で考えるし、それらは普遍的なものです。
社会科学もそうしたもので、ヨーロッパが特に発達していると、評論家の中野剛志さんはおっしゃっています。
中野剛志さんの著書「奇跡の社会科学」を読んで思うのは、やはり普遍的な何かを社会科学が捉えていているということ。
それはとても哲学的だと思いますし、高尚な考え方と思われがちです。
しかし、最も基本的で当たり前な考え方だと思います。
それは、「こういうことをしたら、こうなるよね」ということで、弓の考え方と一緒だなと感じます。
そして、当たり前のことを当たり前にやるのは難しいということですね。
当たり前のことをやらないから、おかしくなる。弓も社会も同じ。
社会が当たり前のことをやらないから、貧困や環境破壊や戦争などを起こすんだと思います。
まあ、社会と呼んだらいいかはわかりませんが。
弓も、当たり前のことをやらないと中り続けることは出来ないです。また、根本を探り当ててずっと続けていくと、何歳になっても弓を引き続けることができます。
まとめると、物事の根本を見つめ、当たり前のことをやっていくということ。
それが弓と社会科学の共通点だと思います。