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いつでも心の中に海外ママを
※あくまで一個人の経験で対処法です。ノリとしては近況報告。
はじめに
いや~身内(親兄弟等近しい人物)からくる否定ほど心に来るものはないよね。
我が家は親子密着くらいに距離が近いので、近いからこその弊害というか・・・。
基本的にノーガードで会話をしています。
そのため、否定やディスり、ネガティブ要素はそのままダイレクトアタックなわけで・・・。
ダイレクトアタックした物事って実生活に多大な影響を、往々にして悪い方向に与えるよね。
以下はそんなこんなを書いているので支離滅裂だったり人によってはイライラしたり心にクるものもあるかもしれません。
最後にタイトル回収はします。ので自分語りはすっ飛ばしてスクロール下から読んでもらうと心にやさしいと思います。
試験的に目次を作ってみました。
過去回想ーーー(飛ばしてOK)
とっても愛情深い母とお坊ちゃん父の間で愛情をたっぷり注がれ大人の年齢を通り過ぎ、その両親の期待とは真逆に育った娘が生成されました。
結婚していないことも
化粧やファッションに一般的なセンスを持てていないらしいことも
人間関係が下手なことも
仕事がどうもうまくないらしいことも
すべて彼らの未来予想図にはなかったことです。
最近の彼らとの会話で、上記の話題が出ないことはありません。まぁ、ほぼ父発信の言葉たちですが。
できなかった過去をほじくり「あの時いう通りにしておけばよかったんだよ」「なぜやらなかった(できなかった)んだ」と変えられない過去にディスりとなぜなぜ攻撃をされ、答えたら答えたで「俺の言う通りだったろ」「そら見たことか」「あーあ」「だからなんでできなかったんだ(ループ)」という。何回繰り返されたか。
やりたいことはないのか、と聞かれ、言わないと話が終わらないので仕方なく「●●やりたい」というと「考えが浅い」「食えない」「甘え」「向いてない」と・・・。
いや、まあ昔から片鱗あったけどね。
父の口癖は「あ~あ、お終いだ」
何かミスをしたり、失敗したりすると飛び出してくるこの口癖。
本人は言ってきた覚えがないらしい。
それくらいに無意識の言葉。
あと、最近リアルにこれ言う人いるんだと思ったのが「どうしてこんな(子)になったんだ・・・」・・・本当に言う人いるんだ。
奮起させる言葉だとしても「どうして・・・」「お終いだ」は子供心に絶望感が酷かった。なんなら今でも傷付く。
All or nothingはいけないと思いつつ未だ治らないのはこういう原体験が刷り込まれているからなんだろうなぁと思いつつも変えられない過去なのであがいているわけで。
できない姿を認められることはなかったので、とうか茶化されまくったので嫌になった。ので練習姿を見せるとか、未完成品を見せるとかが極端に苦手になり、途中でみられるとその時点でやる気をなくす、投げやりになる、というのが常になった。
幼児向け番組で歯磨きや着替えで「仕上げはおかあさん」とか聞くヤツもそれって出来てないっていってるよね??だからやったことの上に誰かが手を加えるのよね??と。まあ、ねじくれた子供だったわけで・・・。
今でも身内からのちゃちゃは本当に覿面にむりで。途中で手を入れられると放り出したりしたくなる。いくつかは本当に放り投げた。就職内定とか、意思とか。
そもそも他人のアドバイスが入った時点でそれは自分の作品(自分の成果や実力、手柄)ではないという思考がある。
今は軽減したから身内以外に発動することはないんだけどね。
本当の意味で親離れできてないなぁとしみじみ感じてる。
そんなこんなの経験から、赤の他人でも誰かに見られながらの仕事や未完成の作業なんかを見られるのは苦手なのでロールプレイング研修とか背後張り付きOJTとかはすり減ってしょうがない。
「こんなこともできないのか」「はぁ・・・どうしたものか」「やる気、ある?」「話聞いてる?(理解できてますかー?)」「あ、こいつダメだ」
こんなことを思われてるのではないか、という恐怖が根底にある。
実際に言われたことがあるからなおのこと妄想の域で済ませることができないのが苦しい。
心の声って完全な妄想からくるものももちろんあるだろうけど、過去の実体験のフラッシュバックというのが結構な割合を占めると思う。だから心の声の当事者はそれを真実(ほんとう)のことだと思うし臨場感や危機感は事実としてその人に定着するんだろう。
定着しては繰り返し、また定着してより強固に・・・負のループや・・・
お前らのせいだ!!というには自分の性質も大きく関わってくるし、年齢も年齢だし、親のことは愛しているのでいうことはないが若い時に過去傷付いていたことを自覚できていたらまた違ったんだろうなとは思うね。
決して虐待を受けていたわけでも、愛情がなかったわけでも、愛情表現がなかったわけでもない家庭です。大人(親)は完璧じゃない。母は懐が深く広くその分自分を後回しにしがちな人、父は心配性でコントロールしたい人だけど、二人に愛されてる事実はひしひしと実感しています。
ただ、どんなに整った家庭でも十分な家庭でも、子供がその時その状況や感情を受け入れられているかは別問題でして。だから親の努力不足とかでは決してありません。両親や、もしかしたら自分自身ですら忘れているたったひとつの出来事や言葉が長々心に居座って影響することは珍しいことではありませんから。
ーーー回想終了
タイトル回収。
自家中毒的に苦しんで苦しんで生きづらい、言いたいことも言えないこんな世の中じゃ・・・失礼、脱線しました。
苦しいからね、最近海外ママを心中に住まわせています。
人によるのだろうけどイマジナリーは子供だけのものではないんだなと思います。
解像度が足りないのでyoutubeで海外子育てチアママ(白人系)を観て想像力を働かせます。
「愛してるわ」
「いつもあなたの味方よ」
「よくできたわね、最高よ」
「なんて素晴らしいの」
などなど、役者もかくやのオーバーアクションで子供に愛情(物理)をかます母に自分の心の中の幼女を育ててもらっています。
もしかしたら今後最強コンフィデンスママ(黒人系)がログインするかもしれませんが、今のところ金髪白い肌(爆乳)のママが幼女をぎゅっぎゅしています。
なんとなくですが、過去言われたかった言葉たちを言ってほしいタイミングで言ってくれてるような気がして癒されているようです。
心の中は自由なので、そこからCheer Upしてもらいつつ日々を乗り越えている今日この頃の話。
追伸
一点、このイマジナリーママはルー語です。ルー大柴言語での愛情表現はたまに笑ってしまいます。なのでたまに幼女が「こういうのよ」と訂正しています。それがまたおかしくて、1エピソードを文章で伝えようともなんだかおかしくなるのでまとまったらまたフィクションとして書くかもです。私的には大分面白いことになっているので。
イマジナリー同士会話が成立しているのもなんだかおもしろいのです。