1人になりたいと思うまで
散歩してると頭の中がこんがらがって、気づいたら石とか花壇とか下の方をみてる。
下の方を見ると犬がいてかわいい。
それで十分なのに、なぜだか満たされない気分になって、インスタで写真とひとことのせて、仲良しな人にハートを押してもらって、満たされたような気分になって寝る。
このような生活が続いている。
幸せなはずなのに、なにか欠けている感じがする。
今までもこういう違和感を覚えたことはあったけど、うまく忘れられたり、noteに書いているようなちょっとした気づきを誰かにもらって、なんとかやってきた。
最近特に喪失感?というか、寂しさが自分を覆っている感じがする。
こうやって言葉にするのはけっこうどきどきする。根底にある自分のゆがんだ部分とか、よく思われないであろう部分が知らぬ間に溢れ出てしまうから。
うむむ。でもなんかもやもやするんだよなぁ。
もう書いちゃえ。という感じではある。
気を抜くと「人間は」とか「他人は」とか主語の大きなことを言って満足してしまう、残念な人になってしまいそうなので、それだけは避けたい。
なのでお蕎麦の話からはじめてみよ。
お蕎麦食べたい気分になって、お蕎麦をスーパーに買いに行くと、案外いろんな種類のお蕎麦があることに気づく。乾麺とか冷凍とか流水麺とか。
おーすごい。想像を超えるお蕎麦バリエーション。と思いながら冷凍蕎麦を買ってもらい、家でお蕎麦をゆでて味付けして食べる。
こんな感じで、お蕎麦を食べたいという夢がその日のうちに叶うというありがたい、当たり前ではない日々が大半をしめている。
夢が叶ったあとってすごく不安な気持ちになってしまう。
なにかを失ったような。
次も何かを叶えたい!って強欲になってしまいそうで。
旅行もパッキングしている時が一番ワクワクする。旅行先でげらげら笑って、帰ってくると、やっぱり寂しい。
その寂しさがより濃くこころに残ってしまうんだろうな。
それだけ楽しいってことなのかな。
そういえばひとりでいる時は寂しさを強く感じるなぁ。
でも誰かといても、誰かに話を合わせようとしてしまう時は寂しく感じる。
いつでも寂しいじゃん。
このまえ本屋さんで立ち読みした時に見た言葉を思い出した。
「人は1人になりたいと思うまで、誰かといたい」
こんなようなことが書いてあった気がする。ちょっと違ったかもしれないけど。
あの本は誰が書いた本なんだろ、もう一回読みたいな。
立ち読みしたときはよくわからなかったけど、その言葉を何度も何度も思い出す。
わかる という表現はあまりに幼稚な気がするけど、わかるなぁと思った。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。
なんで読んでくれたの?
そこらへんに歩いてる犬をみてるほうが有意義だったかもしれないのに。
あなたは損とか徳とかで世界を見ていないんだろうね。
そうなりたい。