悩むっていうことは暇だってこと。
最近、すっと受け入れられないことばに出会った。
「悩むってことは、暇だっていうことだ。
悩めるって贅沢なことだ。」
このことばは、私にとって、ちょっと水分の少ないかぼちゃの煮物だった。
のどに「んぐっ」ってつかえた。
ちょっと箸を置いてブレイクタイムをとりたくなった。
このことばを聞いて正直、たしかにって思った。
あらゆることで悩みがちな私は、悩んでいる自分をたまに客観視する時がある。
その時に、たしかに思ったことがある。
あ、暇なのかも、この時間って贅沢なのかもって。
学校を辞める前、あわただしかった時、毎日繰り返される時間割に自分を無理やり押し込んでいた時、歯磨きの時間が30秒だった時、常にやるべきことに追われていた時、がむしゃらにただ毎日をこなしていた時、自分の人生のことだけをぼーっと考える時間は、なかった。と言ってもいい。
それが幸せだったと、ないものねだりしちゃう自分、のことを考え続ける自分。
間違いなく、暇ではある。
行動で頭がいっぱいだったけど、今は頭の中に、行動が占領されている感じがする。
悩むことは、比較すること、
悩むことは、立ち止まること、
悩むことは、まわりをみわたすこと、
悩むことは、まわりは関係ないこと、
悩むことは、自分の中にあるもの、
悩むことは、省みること、
悩むことは、進むこと、
悩むことは、悔いなく生きるため、
悩むことは、人のため、
悩むことは、結局は自分のため。
贅沢なのか。
暇で贅沢、か。
そうかな。
そうかもな。
いや、そうじゃなくありたいな。
こうして、暇で贅沢な時間を少し苦しく過ごしている。
生きることに一生懸命な人をみた。
その人は悩んでいるのか。
ただ生きるために生きているのか。
生きるために悩んでいるのか。
少なくとも悩むために悩んではいない。
悩んでいるうちに、どこかにいってしまわないようにしよう。贅沢したいわけじゃなくて、心を豊かに、暮らしたい。
そう思うことで、かぼちゃを飲み込もうと咀嚼してるけど、まだ口がぱさぱさしてる。
「んぐっ」ってのどにつっかえちゃったのは、そんな自分が浮かんできて、見ていられなくなったからなのかもしれない。