
165回愛想笑い
僕は学生時代から、特に意識せずに笑顔でいることが多かったらしい。自分では笑っているつもりないのにニコニコしていたらしい。周りからは「笑顔が素敵ですね」と言われたこともあったけれど、正直その時の自分はただのへらへらした顔をしていただけだと思う。何かを感じて笑っているわけではなく、ただ無意識に顔が緩んでいただけ。でも、周りはそれを「素敵な笑顔」として受け取ってくれた。
大人になってからは、笑顔に対して少し違和感を感じるようになった。失敗により、苦笑いをすることが増えて、真面目に話している時はきちんとしなさいと注意されることもあった。「もっと落ち着いて」とか、「笑ってもいいけど、ちゃんとした顔をして」と言われて、なんだか窮屈な感じがした。
僕にとって、笑顔は当たり前のことであり、意識的に笑うことが自然にできる一方で、その笑顔に意味を見出せなくなってきた。最近、蜘蛛に挨拶したとき、無意識に笑っていた自分に気づいた。
今日、「笑えばいいと思うよ」
そう言ったシンジ君の言葉を思い出した。確かに、笑うことは悪いことではない。でも、それが本当に自分の感情に基づいているのか、それともただの習慣なのかが分からなくなる瞬間がある。
そんな中、お笑い番組を見てもほとんど笑わない自分に気づいた。笑うポイントが見つからないのだ。でも、時にはツボにはまる瞬間があって、思いっきり大笑いすることもある。そのギャップがまた不思議で、笑いが何かを考えさせられる。でも、結局、笑う理由がわからなくなる。笑顔を作ることは簡単でも、その笑顔が本当の自分を表しているのか、ただの社交辞令なのか、それを探している自分がいる。
今日の音楽どうぞ 愛想笑いは嫌いだ。いや、愛想笑いばかりしている自分が嫌いだ。自分自体は嫌いではないけれど、愛想笑いしている人は嫌いではない。なぜなら、似ているから。