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2nd Stage


僕は小学生の頃からドラムを始めた。

最初は練習台と呼ばれるドラムの偽物のようなパッドで練習していた。曲に合わせてポコポコ叩いて満足していた。頭の中ではステージの上で叩いている気分だった。今思い返すとまったく叩けていなかったのに誇らしげにしていた。


中学2年の頃に本物のドラムを購入した。

お年玉やお手伝いして貯めたお金を元手に探していたが、ドラムセットはお高い…なのでなかなか予算に合うのが見つからず途方にくれていた。しかしドラムセットが欲しいという情熱は無くならなかった。

そんなある日、松本にある管楽器などを扱うお店にふらりと立ち寄った。そこは吹奏楽部などの用品を扱うお店で、バリバリのロッケンローラーの僕とは感じの違うお店だった。他に来ていたお客もどこかの吹奏楽部の女子生徒で醸し出すオーラがお上品に見えた。場違いなお店に来てしまったと思いつつ、お店の入り口にディスプレイされていたドラムセットをぼんやり眺めていた。


「ドラム欲しいの?」

その声に振り返ると顎髭を生やした初老の男性が立っていた。

はい、と答えると手招きだけしてズンズン店の奥へ入っていく。僕は戸惑いながらその男性について行くと男性はスタッフオンリーと書かれた扉を押し開けさらに進んで行く。その先の階段を登ると広い倉庫のようになっていた。少し埃っぽく、薄暗い。初老の男性は奥の方にあるブルーシートがかけられた物の前で立ち止まる。僕は薄暗い部屋にやっと目が慣れてきて埃っぽい空気に耐えていた。

ガバっと男性はブルーシートをはぐとドラムセットが出てきた。キラキラのラメが施されたブルーのドラムセット。薄暗い部屋のはずがそのドラムセットが光り輝いて見えた。僕は未だにこの瞬間を覚えている。


男性はこの店の店長さんだった。

予算を聞かれて答えると

「このドラム欲しい?」

その問いに

「はい!」

と食い気味に返事をしてしまった。他人にそんな大きな声で返事をした事がとても恥ずかしくなり店長さんから目を逸らしていると

「君の予算で売ってあげよう。」

最初は店長さんの言っている意味がまったく理解できなかった。呆然と固まっていると店長さんはドラムの説明をしてくれた。

1970年に作られたということ。ビートルズのリンゴ・スターが使っていたドラムセットと同じシリーズだということ。古い物だからパーツの交換などが必要な事。僕は頷く事しか出来なかった。

お金をレジで支払い、自宅の住所を店長さんに伝え、気がついたらバスに乗って帰宅していた。


ドラムを買ったという実感がわかないままぼーっとしていると家のチャイムが鳴った。玄関に出てみると先程の店長さんが立っていた。

家の奥から父親が出てきて訳を話すとお礼を言って3人で僕の部屋にドラムセットを運んだ。

全て運び終えると店長さんは頑張ってねと僕に言うと颯爽と帰って言った。

勝手にドラムセットを買ってしかも無料で配送させてしまった事を父に叱られると思ったが、

父は大事にしなさいとだけ言ってあとは何も言わなかった。父は元々警察の音楽隊にいたので音楽に関する事には寛容だった。

その日の夕飯で店長さんに説明してもらった事を父に話すと何故か慌てて楽器屋さんに電話をかけて何やら話していた。僕がお風呂から出ると電話は終わっており、父から衝撃的な事を言われた。

あのドラムはとても高価な事。ヴィンテージ品であの年代のドラムはほとんど日本には残っていないこと。父いわく多分あの店長さんの自慢の一品だった事。しかしドラムセットを眺めていた僕に売ると決めた事。だから大切にして欲しいという事。僕はその話を聞きながら青ざめて泣いてしまった。父は運んでいる最中から安すぎると思ってはいたらしい。そんな高価なドラムセットをたったの4万円で買ってしまったのだ。今思い返すと4万と言った僕を追い返してもおかしくない金額である。そして4万円で買おうとしていた僕の馬鹿さ加減に悲しくなる。


それから毎日叩きまくった。初めて叩いた時の音色は忘れてはいない。幼なじみとバンドも組んで中学生でライブハウスにも出た。

地元のお祭りでもバンドで演奏した。叩きまくっていたらうるさくて近所から苦情もきた。でも叩いた。店長さんに頑張ってねと言われたから。勉強なんてそっちのけでドラムを叩いた。

鉛筆よりもスティックを握っている時間の方が長かった。高校でもバンドは続け、多い時は5つバンドを掛け持ちしていた。バイトで稼いだお金でドラムセットのパーツやシンバルも増やしていった。ブルーのドラムセットは僕の宝物だった。


それだけ大好きで、頑張っていたドラムを20歳で辞めた。働き出して結婚して家庭を持つと忙しくなった。バンドのメンバーやバンド繋がりの人もみんな社会人になり音楽を辞めた。

宝物だったドラムセットは後輩に全てあげた。

アパートではドラムは叩けないし、狭い部屋には置いておけないからだ。僕は強がっていた。

家庭を持てば仕方ないと諦めていた。店長さんとの約束も忘れていた。家庭のためと自分に言い聞かしていた。ドラムの事は考えないようにしていた。


それから20年。2025年元旦。初詣を終わらせ松本イオンに買い物へ。妻と娘が買い物をしている間島村楽器で電子ドラムをポコポコしていた。いつの間にか戻ってきていた妻が僕の横に立ちこう言った。

「買えば?欲しいんでしょ?」

まるで洋服を買うかのようなノリで言ってきたので冗談だと思い僕も

「買っちゃうかー!」

とふざける。しかも今買うとヘッドホンがついてくるならお得だな!とヘラヘラしていたら妻が店員さんを呼ぶ。

「これください。」

まるで八百屋の店先に並んだ大根を買うように店員さんに言う妻。もちろん店員さんはハイヨー!なんて八百屋さんのようには言わずに丁寧にではコチラへとレジカウンターに案内してくれた。まさかの展開にいいの?を100回くらい妻に連発していた。イオンを出てからもいいの?と聞いていた。もう買ってしまったのに。


4日の新年祝賀式から慌てて帰宅すると電子ドラムが組み立てられていた。器用な息子が説明書を見て組み立ててくれていた。不器用な僕なら丸1日はかかったであろう。息子にお年玉をはずんで良かった。


キラキラのブルーのドラムは黒い機械に変わり、近所迷惑も無い。久しぶりのドラムは上手く叩けない。でも楽しさは変わらない。そして今は家族でドラムを叩いている。


こうして僕のドラム人生the 2ndが始まった。



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