北京留学日記 其の十一
1995年7月、上海から北京に移り住んだが、まだ新学期まで大学は夏休みだったので、予てから行ってみたかったモンゴルの大草原へ向かうべく内モンゴルへと旅した。
まだ飛行機や列車の運賃に外国人料金が設定されていて、ホテルは予約不可の時代だった。
まずフフホトまで飛行機で行って、草原へは現地ツアーを利用することにした。
フフホト到着後ホテル探しをしたが、なかなか料金的に納得できる所がなく、何軒か回ったのち、最初に行ったホテルへ戻った。なぜか最初聞いたときより料金が安くなっており、そこに決めた。当時の中国では聞くたびにホテルの料金が変わるのはよくあることだった。
夕食はやっぱり羊肉だろうと食堂へ。店の裏ででも捌いているのか、だんだん店内に生臭いにおいが立ち込めてきて、料理が出てくるころには食欲がなくなっていた。
翌日、青年旅行社で一泊二日の草原ツアーを申し込んで、出発した。友人と二人だけだったので、ジープで迎えに来て、フフホト市内の観光名所にも連れて行ってくれた。
待望の大草原に到着したが、思ったより感動しなくて、年を重ねて経験値が増すと、感動しにくくなるのかとちょっと自分にがっかりした。
馬に乗ってそこら辺を散歩するというのがあったので、乗馬を初体験した。途中でこぶし大ぐらいの雹が降ってきて、危険なので民家に避難し、バター茶をごちそうになってやり過ごした。その分遠回りになったからと追加料金を取られ、ちゃっかりしてるなと思った。
パオで一泊、シャワーはパオの持ち主の家で借りた。
満天の夜空の星は素晴らしい光景だった。星が近い!
トイレはトイレというより便所という感じで、強烈なアンモニア臭で目が痛くなるほどだった。もちろん便器はなく穴が開いているだけ。夜中、トイレに起きたら、真っ暗で何も見えなくて、マッチを擦って穴の場所を確認して使用した。マッチをすると臭いが緩和された。
帰りは飛行機も列車も取れなかったので、青年旅行社に依頼することに。今日のが取れるかどうかわからないということで、安宿にチェックインさせられた。しばらく休憩していると、寝台列車が取れたと言って、駅まで送って行かれた。出発寸前に切符を渡され、列車に乗り込んだ。一般の中国の人々が利用する硬卧という三段ベッドの寝台席だった。外国人料金を支払っているからそんなはずはないと思うので、旅行社の人に騙されたのか、駅でその値段でしか売ってくれなかったのか、その辺はわからない。当時は列車の料金も駅員の気分で変わることがままあった。
一番上の段に寝ていたのだが、夜中に目を覚ますと、目の前鼻先すれすれに中国の乗客の顔があって、物珍しそうに私の顔を覗き込んでいた。びっくりして叫びそうになった。
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