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無駄はロマンの種
明けましておめでとうございます。まずはこの、年始の私自身の実に無駄の多い動きを振り返る必要があります。
[元旦]
・筑波別邸→湯島天神→筑波パープルラインを経由して筑波山→筑波別邸→羽田ベースキャンプ(=穴守寮)
[2日]
・羽田→北九州→羽田→徳島
[3日]
・徳島→羽田→大分→羽田→筑波別邸→横浜
ここでいよいよ体力の枯渇を迎えた私は、3日夜、悪夢にうなされ絶叫して目を覚まします。隣で寝ていた人にとってこれほど恐ろしいことはありません。心臓が壊れそうなほどに脈撃ち、全身に一瞬で汗をかいていました。この悪夢、大した悪夢でもないというのがまた腹立たしいのです。ある大きな駅の構内にて、私の愛用しているカバンとスーツケースが少し目を離した隙に何者かに盗られそうになる。ハッと気付いて急いでカバンとスーツケースの方に体を向けると盗人は方向転換して何処かへ消えました。ところが、ホッとした隙にもう一人が仕掛けてきます。こいつはあと一歩のところで己のスマホを地面に落としたので僕はそれを踏んづけてやって、ふっ、と鼻で笑いました。これを見て男は怒ってしまってこちらへ向かってくる。喧嘩か、上等だ!そう思っていざ戦闘開始という段になって体が金縛りにあったかのように全く動かない。これはまずい!助けを呼ばなくてはと思って、私は憤怒と恐怖に混じったSOSを出したのです。まず、大切なことは規則正しい生活と十分な睡眠です。これが壊れた時、人間が壊れる方向に少し舵を切ったことになります。不健康な人ほど一般的生活の美しさに再び気付く必要があるのです。
しかしこんな恐ろしい話だけをしたかったわけではなく、特筆すべきはやはりあの列車旅です。伊豆といえば、踊り子号。東海道線から伊豆急行に入線してひたすら海沿い進んでいくこの贅沢な歴史ある観光列車。以前は国鉄マークの入った白い車体とスーパービュー踊り子という名を冠したこれまた贅沢な車両の二種類で運行しておりましたが、昨今、踊り子には他路線で使われていた少し新しいものが登用され、スーパービュー踊り子はサフィール踊り子という究極の観光列車にその座を譲りました。伊豆旅行の難点である”遠い”という問題を一手に解決してしまったこの電車。実は三ヶ月前に来た宿に再来した我々、前回はみどりたまさの長距離ドライブデビューということで慎重に走らせてきたのですが、渋滞していることもありやはり片道5時間ほど。今回は横浜に前泊したこともあって列車は2時間。天窓から覗く空の開放感に体を預け、ひと枠20分というなかなか手厳しい食堂車に足を運ぶなどしていると、本当に一瞬で伊豆熱川に着いてしまいました。食堂車、これは本当に夢のようなひと時でした。提供されるお料理は…何故か中華。しかしこれは本当に美味しいし、スパークリングワインとの相性も良く、流れる車窓を楽しみながら舌鼓を打つその時間は至高そのもの。サフィールよ、このまま僕を何処までも連れ去ってくれ。そんなことをぼそっと呟きながら降車して、その出発までしっかりと見送ったのです。それで、ちょっとすると伊豆急のリゾート21という車両が今度は入線してきました。途中、黒船電車にもすれ違いました。このように、特急電車一つ一つに別の名前と車両を用意するこだわりが私は大好きです。のぞみひかりこだまも昔は違う車両だったのが、今ではサイネージの文字をぴょっと変えるだけで同じ車両がのぞみにもこだまにもなります。世界はロマンを犠牲に効率化を進めている。実に退屈なことです。人の世の面白さは無駄に宿る。意味のわからないこだわりこそ、人間味というのではないでしょうか。私は特にそういう無駄なことが好きな類の人間です。こういうくだらない日記をつけたり、第一印象を犠牲にして髪を長くしていたり、夜の常磐道で法外な速度を出してみたり、着ている服の色味が気に食わなくなって突然家に帰ったり。食堂車とか寝台特急とか、そんなもの実際いらないのです。駅弁屋、キオスク、幾らでもあります。航空網も発達している今、わざわざガタゴト揺られながら眠る必要は何処にもない。必要性や理屈で割り切れないそういったものがまだこの世界に残っていることに触れた時、私は猛烈に嬉しくなります。最も、ビジネスと折り合いをつけぬわけにはいかないから今日はもう食堂車には20分しかいることができませんが、それでもいいのです。ロマンを守るために必要だったのがその時間制限です。今、問われています。いかに非効率を守るのか。サフィール踊り子はこうしてロマンを守ったのです。あっぱれ、素晴らしい列車でした。