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冬至越えてインシネレイトしたい気持ちたち

湯たんぽの温かさは、カイロや電子機器より最高の温度を保ってくれるよ


本当に疲れたなのか、まだやれる疲れたなのか


気丈にふるまっているだけなのに、
「元気そうだね」と言われると、ちょっと何とも言えない気持ちになり、
そんな気持ちが心を占めてしまう面倒な自分が、理想と乖離しすぎていて落ち込む。

だからわかってくれよ、という訳ではなく、
あまり気に留めなかったあの頃の心が戻ってきてほしい。


いつにも増してを、いつもに増して、だとか
未だに、今だにとか、意外を以外だとか、
そういうのが目について気になってしまう。
でも結局そういうのを人類がみな完璧にできたとて何になるの?って言われたら答えられない。
そうだね、減らそう。


でもでもでもでも、だってだってだってだって


これだから若者はって目で見られたくなくて、踏ん張ってることもあるけど、
私なら慎むことをしている人が近くにいると私はそのことでかき乱されてしまう。
いったい何のための時間とエネルギーだったのか。


なんでもかんでも、自分中心になりすぎてしまうと、
責任の所在や頑張りに不公平が生じるというのに。

それは誰かがやること、その誰かから非難されるのも苦痛ですけれども。


自分を変えた方が早い、その次に環境を変える、なのかな。
息が詰まるのは、自分で自分の首を絞めてるからというのは自覚している。
もっと力まずに対処しなよ!しか解決方法が見当たらないことにも首が締まる。

どう捌けばいいのかなあ。
アジの開きにしておくれ。

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