夫から見た出産④(予定日だけど産まれない)
↓前回からの続きです。
入院2日目。出産予定日当日。
朝起きて「今子宮口3センチ」と妻からLINE。
どんな段階なのか正直よく分からないが、あんまり開いてない状態らしい。
点滴による陣痛促進剤の投与と、子宮頸管を物理的に広げるプロペウスとラミナリア(何度聞いても慣れない言葉だ)を併用しても、あまり捗っていない状態だ。
これらがどのような具合でどのように使われるのか、私にはただ想像することしかできない。
午後に面会の許可が下りたので、ノンカフェインの飲み物やゼリー飲料を用意して病院へ向かう。ゼリー飲料はNGだった。血糖値も管理されているので食べ物系はダメだという。
陣痛室の妻は消耗していた。前駆陣痛という陣痛の先駆けのような痛みが既に来ていて、多い時は5分ごとに痛みの波が来るらしい。
そして、容赦なく手を突っ込まれる内診グリグリの恐怖。担当医や他の医師たちが定期的に代わる代わるやって来て、身体の内側を強烈に圧迫しては去っていく。
妻の子宮口は狭いらしく、位置も結構うしろの方にあるとのことで、触診する医師たちも文字通りの手さぐりで子宮口を探しまくるので、激しいグリグリは避けられないのだ。
結局この日は産まれる見込みが無く、夫は帰ってよし!となった。
つらさを代わってあげられないのは仕方ないが、ほとんど何も出来ることもなくアホヅラ下げて帰るのは何とも情けない。
本屋に寄り、和山やまの新刊『ファミレス行こ。』を買う。
前作『カラオケ行こ!』が面白かったので続編は素直に嬉しかった。実写版も良かったですね。綾野剛が綾野剛らしい役をやっていると私は嬉しくなる。
妻はこの後も定期的な内診グリグリを喰らって苦しんだり、お産を促すために廊下をウォーキングしたりと、消耗に消耗を重ねていた。
私と言えば『ファミレス行こ。』を読んで「聡実くん……お前……やりやがったなお前……!」とか考えてるだけだ。なんという不均衡。
不均衡を埋めるべく、明日は妻の好物でも何か買っていこうかと思うが例の糖質制限でダメだ。お産が終わった後にポンデリングやおまんじゅうをたくさん買っていってあげようと心に決める。
自分で書いててなんだけど、ポンデリングやおまんじゅうごときで、出産にともなう苦痛の不均衡の埋め合わせをしようなどとほざいているのだから、おめでたいものだ。
ドラえもんの「ケロンパス」というひみつ道具を思い出した。
体に貼ることで疲れを全て吸い取ってくれる湿布みたいな道具なのだが、疲れを吸ったそれを別の人に貼ることで、疲れを移すことができる。
子どもの頃(まだ声が大山のぶ代だった時)この話を観たが、オチがめちゃくちゃ怖かった。のび太が街中の人の疲れを取っていくのだが、最終的に、蓄積された大量の疲れが一気にのび太に移されてしまうというオチだ。
何十人分もの疲労を一度に喰らったのび太が疲れで動けなくなるオチを見て、「これ使い方間違えたら死ぬやつでは?」と思ってしまい、テレビの前で一人戦慄した記憶がある。まぁドラえもんの道具なんて下手したら死ぬやつばっかりか。
これを使って、間延びした陣痛の苦痛を引き受けることができたら、多分のび太と同じように動けなくなると思う。その代わり妻はいくらか楽になるはずだ。
しかし、仮に一時的な痛みを引き受けたとしても、「10ヶ月間にわたってお腹の赤ちゃんの命を守りながら生活するきつさ」には到底及ばない。
この数ヶ月、妊娠した妻のそばにいて思い知ったのは、妊娠がもたらす肉体的・精神的な負担の多彩さである。
痛い、重い、気持ち悪い、食べたいものが食べられない、眠れない、怖い、悲しい、苛立つ、そういったあらゆる不快と不安がメンタルとフィジカル両面からやって来て、何ヶ月間も囚われてしまう現象が妊娠なのだ。
たまにテレビで、妊婦体験コーナー的なものに参加した男性が「重かったです笑」みたいなコメントをする光景を見るが、ああいう反応に以前からなんとなく違和感があった。その違和感について、今なら言葉で表現することができる。
ああいう妊婦体験コーナーには「時間」的な発想がない。それと、お腹の中に小さくて脆い命があり、転ぶだけでそれが死ぬ可能性があるという「恐怖」がない。その絶え間なく続く緊張感を知ろうとしなければ妊婦体験とは言えないだろう。
こんなことを書いている私も出産の当事者ではないし、肉体的に男性でしかないのだから、あまり偉そうな口は叩けない。ポンデリングとおまんじゅうでお茶を濁そうとするデクノボーであるという自戒は忘れないようにしたい。
グループ魂の『君にジュースを買ってあげる』みたいだな。
今日はここまで。次の日にようやく産まれます。