夫から見た出産①(産院探しと無痛分娩)
今年の一月、第一子が産まれた。
立ち会い出産だった。立ち会うことを強く希望したわけではなかったが、立ち会い可能と聞いて「だったら当然立ち会うもんだろう」といった軽いノリで決めた。妻も私の立ち会いを当然のものとして受け入れた。
立ち会い可能と言われて「あえて立ち会わない」選択をする人はもちろんいると思う。仕事が忙しい等の外的要因だったり、「血を見たくない」などといった理由で拒否する人もいるのだろう。
妻側が「来ないでほしい」と言うケースもありそうだ。恥ずかしいから、といった理由ならまだいいが、不仲による拒絶の場合もあるかもしれない。
病院側が立ち会い出産を認めない場合もあるだろう。産院を決める際に複数の候補を調べたが、病院ごとの「思想」の違いが肌に感じられて面白かった。私立の学校みたいだ。
妻の出産は「計画無痛分娩」だった。
簡単に説明すると、出産予定日の直前に入院し、陣痛促進剤を投与しながら、ある段階で麻酔を入れて、痛みを軽減しつつ出産するやり方である。
妻には持病があり、肉体的負担を減らすため無痛分娩をはじめから希望していた。そのため、産院選びの段階から「無痛分娩ができる病院」に絞って探さなければならなかった。
この病院探しが結構な苦労だった。
第一に、自宅からそんなに遠くないことが前提(不意の破水や早産に対応するため)。この時点でかなり選択肢が狭まる。
その上で「無痛分娩ができる病院」を探す。調べてみて分かったが、無痛分娩をやってる産科は割と少ない。町の小さな助産院には、無痛分娩に対応できる医療設備が無いからだ。
さらに妻の場合は、出産に伴う持病の悪化(の可能性)に対応できる医師がいる病院でないと駄目だった。つまり産婦人科だけ設置されている所は駄目ということだ。
この「持病が悪化した時に適切な処置ができない」という理由で、いくつかの病院から入院を断られた。ただでさえ少ない候補がさらに少なくなる。
必然的に、大きめの総合病院という選択肢が残された。自宅から車で30分(渋滞してたら1時間)に良さげな所があった。距離的な不安はあったが、ギリギリの許容範囲だった。
「家から遠すぎない」
「無痛分娩可能」
「持病の悪化に対応できる」
これらの縛りさえなければ、
「入院食がおいしい」
「個別部屋が保証されている」
「産後ケアが豊富」
などの観点で産院を探すこともできたが、こればっかりは仕方ない。
さて候補は決まった。問題はちゃんと予約が取れるかどうかだ。
計画無痛分娩の予約はすぐ埋まる。国内で使用できる麻酔の数や、麻酔科医の人数、ベッドの数や設備が足りていないのだ。
これはもう少し後の話だが、出産予定日を決める段階で「この日は麻酔科医がいないので出産(無痛分娩)できません」と担当医に言われたことがあった。麻酔科医がいるかいないかで赤ちゃんの誕生日が左右されるなんて変な話だ。これが「計画分娩」ということか。
日本の無痛分娩の普及率は欧米のそれと比べて低い。「お腹を痛めて産むべきだ」という古風な精神論を唱える人は時代と共に減ってるだろうけど、そもそも物理的なキャパが限界なのだ。
無痛分娩関係学会・団体連絡協議会のサイトによると、2020年の国内における無痛分娩取扱施設の割合は、分娩施設全体の26パーセントだったという。
日本中のすべての妊婦が無痛分娩を希望しても、全員の希望は叶わないのが現実である。医師の判断で格付けされ、出産リスクが高い人が優先される。当然と言えば当然だ。
しかし、たとえリスクが低いと診断されても、出産に命の危険が伴うことに変わりはない。
無痛分娩にすることで取り除ける肉体的・精神的負担は計り知れない。もっと普及すべきだし、無痛分娩の有益性が世間に広まるべきだと思う。
無痛分娩を選択することで得られるのは、麻酔による痛みの軽減というケミカルな効能だけではない。
無痛分娩は「これで少しはマシになるかも」という一抹の安堵感をもたらしてくれる。これが案外バカにできない。事前に絶望するより、少しでも心の余裕があった方が予後がいい。
事実、無痛分娩は産後の回復が早いという(もちろん個人差はある)。これは非常に重要なことだ。
出産は危険を伴う大きなイベントだが、出産した後もめちゃくちゃ大変なのだ。回復は早い方が絶対にいい。これについては機を改めて書きたい。
体質や病気の問題で無痛分娩ができない妊婦さんもいるだろうけど、できるんだったら無痛の方がいいよ、と私は何度でも言いたい。長くなったので今日はここまで。
2024年11月9日