送別詩の評価について
送別詩の評価について
一 はじめに
送別詩に対する評価が全く反対になる場合がある。あるいは個人の中で評価が揺れ動く。もちろん、このようなことは送別詩に限らず、詩を読むときに普通にあることである。いわゆる解釈の違いと言われ、解釈の根拠を吟味することでどちらの評価が妥当であるか判定できるものである。しかし、送別詩の場合、普通に言う解釈の違いという範疇に入らないものもある。しかも、そのことについてほとんど意識されていない。解釈の問題と混同されている。
まず、一般的に評価が全く反対になるときのことを考えてみる。
1「Aは傑作である、それはBだからだ」という評価と、「Aは駄作である、それはBだからだ」という評価の二つがあるとき、それはAという作品のBという点に関して二つの説があるということである。
2「Aは傑作である、それはBだからだ」という評価と、「Aは駄作である、それはCだからだ」という評価の二つがあるとき、それはBとCのどちらを重視するかという違いがあるということである。
1・2とも解釈の違いと言えるものである。しかし、2はさらにBとCが作品の内部にある場合と外部にある場合が考えられるので、2を修正すると次のようになる。
2’「Aは傑作である、それはBだからだ」という評価と、「Aは駄作である、それはCだからだ」という評価の二つがあるとき、BとCが作品の内部にあれば、そのどちらを重視するかという違いがあるということである。
そして、BとCが作品の外部にある場合は次のように考えるべきだろう。
3「Aは傑作である、それはBだからだ」という評価と、「Aは駄作である、それはCだからだ」という評価の二つがあるとき、BとCが作品の内部になく、しかもBとCが同時に存在しない場合は、一つの作品についての二つの評価というよりも、二つの作品についてのそれぞれの評価である。
1と2の評価の違いはいわゆる解釈の違いだが、3はそう言い切れないものがある。[A]が[B(A)]と[C(A)]という二つの作品になった時点で、評価は解釈のレベルを離れているのである。つまり、二つの作品になるのは解釈の違いによるものだが、二つの作品になってからは評価が異なるのがむしろ当然のことであり、解釈によるものではないということなのである。しかし、この、一つの作品が二つになることは、ほとんどの場合意識されず、解釈の違いによる評価の対立だと考えられている。そして、確かにこの点については意識せずに、無視または同一視してもかまわないことが多い。
しかし、送別詩については無視できない場合が多い。「一つの作品についての二つの評価というよりも、二つの作品についてのそれぞれの評価である」と考えるべきだと思われる場合が多いのである。
では次に李白の送別詩を取り上げ、評価の違いをきっかけにして、一つの作品が二つの作品になることを具体的に見ることにする。
二 李白「黄鶴楼送孟浩然之広陵」詩について
黄鶴楼送孟浩然之広陵 黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る
李白
故人西辞黄鶴楼 故人 西のかた黄鶴楼を辞し
烟花三月下揚州 烟花三月 揚州に下る
孤帆遠影尽碧空 孤帆の遠影 碧空に尽き
唯見長江天際流 唯だ見る 長江の天際に流るるを
この人口に膾炙した詩について、伊藤直哉氏は次のように述べている。(注1)
……この作品(注2)が写実の作であり、実景の魅力にあふれていると感じざるをえまい。今回拙稿をまとめるに際して参照した注釈書・解説書類も、大半が写実説ないしは写実説に傾いた見方を採っている。
しかしながら、ここで、この詩の第一義的な読者は誰なのかという事を考えてみると、写実説には疑問を感じざるをえなくなる。この詩は古来数多くの読者を獲得してきたわけだが、そもそも、この詩の最初の読者、第一義的な読者は誰だったのだろうか。それは言うまでもなく、詩題に「黄鶴楼送孟浩然之広陵」とあるように、孟浩然その人に他ならない。この作品は孟浩然に対する送別の詩なのだから、孟浩然がそもそもの第一の読者でなければ話にならないはずである。また、孟浩然(六八九~七四〇)は李白(七〇一~七六二)の十二歳年上の先輩詩人であり、李白が「贈孟浩然(孟浩然に贈る)」の詩で、
吾愛孟夫子 吾は愛す 孟夫子
風流天下聞 風流 天下に聞こゆ
紅顔棄軒冕 紅顔 軒冕を棄て
白首臥松雲 白首 松雲に臥す
(以下省略)
と詠じているように、李白が心から尊敬する人物であった。従って、こういう相手に対して、その相手がもうとっくに出発してしまい舟が遠くに去ってから、ようやく送別の詩を作り上げましたというのでは、何とも間の抜けた話であり不自然極まりない事である。それゆえ、久保天随氏がこの詩に注して「孟浩然が広陵に赴くに就いて、黄鶴楼に於て、送別の筵を開き、その席上に於て作ったのである。」(注3)と述べ、また高島俊男氏がこの詩を論評した際に、「送別の詩は、ふつう送別会の席上で作られて披露されたうえで旅立つ人に贈られる。しかしその詩に、旅立つ人が去ったあとの情景や送った人の気持がよみこまれるのはよくあることである。詩はまだ送られる当人が目の前にいるうちに作られるのであるから、その部分は想像ということになる。」(注4)と述べているのは、まことに首肯すべき見解と言えよう。
つまり、孟浩然が旅立った後のみごとな情景描写、その言外に醸し出される無限の余韻、それら全ては眼前の事実を描出したものではなく、フィクションだったのである。しかし、フィクションである事が分ったからといって、それで興醒めするのは詩に対する正しい姿勢とは言えまい。詩とは、イマジネーションの飛翔によって、眼前の事実とは異次元の世界――美的真実の時空と言いかえても良い――を顕現させるものだからである。
伊藤氏は引用した最後のパラグラフで「つまり、孟浩然が旅立った後のみごとな情景描写、その言外に醸し出される無限の余韻、それら全ては眼前の事実を描出したものではなく、フィクションだったのである」と結論づけている。論文ではこの後、当時の黄鶴楼付近の自然や帆船の数などからも「フィクション」であることを補強しているが、この部分ではもっぱら孟浩然が「第一の読者」であるからということを根拠としている。そして、そのことは充分に説得力があると思われる。
しかし、それでは伊藤氏自身の言う「写実の作であり、実景の魅力にあふれていると感じざるをえ」ず、「注釈書・解説書類も、大半が写実説ないしは写実説に傾いた見方を採ってい」るのはなぜか。なぜ、「フィクション」だとしていないのか。それはもちろん李白の表現力によるわけだが、表現力を云々する以前に、「第一の読者」である孟浩然の立場となって詩を読んでいないからである。
孟浩然として読めばフィクションになり、そうでなければ実景となる。作品そのものは全く同じなのに、その違いが出てくる。そして評価はその違いに即してなされるわけである。フィクションとしては、旅立つ友人の後ろ姿を描く想像が友情を表現しているというふうに、伊藤氏の言う「イマジネーション」に重点を置いた評価が下され、実景としては、実際の景色を捉えた李白の「情景描写」の見事さと情景をえがくだけで惜別の情を表現する点に評価がなされるであろう。
このように作品の外部にある要素や条件によって評価が一変するとき、二つの別の作品になっていると考えられるのである。また、そう考えることによって、作品に対して新たなアプローチができるようになる。「黄鶴楼送孟浩然之広陵」詩で言えば、詩が作られた状況から考えれば写実の作品ではないわけだが、そう断定したときに抜け落ちる「実景の魅力にあふれていると感じ」る部分を矛盾することなく、きちんと扱うことができるのである。
三 李白「送友人」詩について
詩人がだれに読まれるために詩を作ったのか。読者はいったいだれなのか。このことを考えることによって一つの作品が二つの作品へと変わる例を見た。送別詩の場合、「第一義的な特定の読者」とは送られる人物に間違いなく、その場に存在しなかった「不特定多数の読者」とは質的に異なる。そのため、読者の設定によって評価が変わってくるのである。
次も、読者の設定によって評価が変わってくる例である。
送友人 友人を送る 李白
青山横北郭 青山 北郭に横たはり
白水遶東城 白水 東城を遶ぐる
此地一為別 此の地 一たび別れを為し
孤蓬万里征 孤蓬 万里に征く
浮雲遊子意 浮雲 遊子の意
落日故人情 落日 故人の情
揮手自茲去 手を揮つて 茲より去れば
蕭蕭班馬鳴 蕭蕭として 班馬鳴く
これもまた人口に膾炙した離別の詩である。高島俊男氏は詩の題にある「友人」こそが読者であるとし、次のような評価を下している。(注5)
この詩の題にいう「友人」は、李白のよく知らぬ人、少なくとも、それほど親しくはない人である。それはそうであろう。親しい友人であれば、当然題にその人の名が記されたはずだからである。そもそも、「送友人」というこの題がもともと李白自身によってつけられたものであるかどうか、甚だ疑わしい。むしろ李白の死後、遺稿の整理をした人が、どこで誰を送った時の作かわからぬのでこういうそっけない題をかりに附したと考えた方が理にちかい。
おそらく李白は、この町の有力者のもとに滞在中、ある官人の転任を送る宴席につらなり、そういう場でのならわしに従って詩を求められ、作って呈したのであろう。「白水」「孤蓬」「萬里」「浮雲」「蕭蕭」等々の典故や常套語を適当に配して、そつなくこしらえてある。誰がどこへ行くばあいであってもさしつかえなく使える詩である。漂泊、そして行く先々での押しかけ居候の暮らしをつづけた李白は、こういうどこでも誰にでも使える、そしてそれはそれなりにけっこうさまになっている詩を、なんなく作る技倆と習慣も身につけていた。身すぎ世すぎの手だてである。しかし、李白がその天才を傾けたのは、もとよりこのような詩ではなかった。
「常套的なことばを用いてそつなく作られた送別詩の見本のような作品で、李白の天才を傾けた作品とは言い難い」(注6)という評価は第一義的な読者を考慮すれば自然に導き出される結論のようである。しかし、この評価に異論を唱える人も多いはずである。評価の違いはどこから来るのか。それは、やはり「友人」を読者と考えずに読んでいるからである。高い評価を与える人は、高島氏のように宴席で典故や常套語を用いて作ったと考えて読んではいないのである。このように「第一義的な特定の読者」を考慮した評価と「不特定多数の読者」の目で見た評価には違いがあって当然である。
ところで、「送友人」詩の場合は「黄鶴楼送孟浩然之広陵」詩と違って、送られる人物と状況がはっきりしないので、「第一義的な特定の読者」として読むといっても想像の入る余地が大きく残されている。例えば、この送られる当人には「典故や常套語を適当に配し」たものであっても、非常に意味があるものであったかも知れないのである。内容や表現はともかく、李白に作ってもらうことに意味があるという状況も充分考えられる。例えば、詩が作られたのが宴席でなかったかも知れない。李白と「友人」が詩に詠まれた場所にいた時に作られたとしたら、どうであろうか。今、旅立つという時に、即興で李白が詠んだものだとしたら。空には雲が浮いていて、地面には蓬が転がっているような、現実が典故をなぞっているような場面だったら、送る方にも送られる方にも意義のある表現であると言えるだろう。このように読者をどう設定するかということで、作品に対するアプローチの可能性も広がってくるのである。
四 おわりに――読者論的アプローチについて
一つの作品が、作品の外部にある要素や条件によって複数の作品となるという考え方の一つの例として、今回は「読者」によって作品が二つになるという場合を取り上げた。この読者の設定によって作品を区別するという考え方は、俳諧研究者の復本一郎氏の「〈褻〉と〈晴〉」という概念が元になっている。復本氏の言葉を借りて簡単に説明すれば、「〈褻〉の作品」とは「作者が読者を予測し得るような状況、および、そこにおいて生まれた作品」のことであり、「〈晴〉の作品」とは「作者が読者を予測し得ないような状況、および、そのような状況下に呈示されている作品」のことである。(注7)このような、作者が読者をどのように想定していたかを考慮に入れた上で作品に迫っていく方法を仮に読者論的アプローチと名付けておく。
この読者論的アプローチは、送別詩だけにとどまらず、唐詩における行巻の意味を明らかにするといったことにも応用できるだろう。すなわち、行巻に用いられた贈答詩などを考えるとき、「〈褻〉の読者」と「〈晴〉の読者」との間に「行巻の読者」を想定するのである。行巻の相手は「第一義的な特定の読者」ではないが、「不特定多数の読者」でもなく、作者が具体的に想定できる読者である。時には、行巻に用いることを前提にして作っていることもあるだろう。贈答詩にもかかわらず、贈る相手のことを無視して政治的な意見を述べたり、文学的な主張をしているものがあるが、行巻の読者を意識して作られた可能性を考慮に入れれば、特に異常なものではないのである。
[注]
1 伊藤直哉「孤帆の幻影――李白詩ノート――」『櫻美林大学 中国文学論叢』第廿号(一九九五)
ただし、伊藤氏論文は「惜別の情が如何に表現されているか」「詩人のイマジネーションが如何に働いているか」を検証したものであり、読者の違いによって解釈が異なるという視点で述べられたものではない。もちろん読者の違いによって作品が二つになるといったことも述べられていない。
注2 「黄鶴楼送孟浩然之広陵」を指す。
注3 原注 続国訳漢文大成『李太白詩集』中巻、五五八頁。国民文庫刊行会、一九二八年。
注4 原注 『李白と杜甫――その行動と文学――』評論社、一九七二年、二九九頁。
注5 高島俊男『中国古典詩聚花 友情と別離』小学館(昭和六十年)
注6 小松英生「李白の『送友人』の詩について」漢文教育 第十七号(平成五年十二月)
引用した高島俊男氏の評をまとめたもの。
注7 復本一郎『笑いと謎―俳諧から俳句へ─』角川書店(昭和五十九年)
復本一郎『俳句読本』雄山閣出版(昭和六十三年)
復本一郎『俳句を楽しむ─ハレの俳句・ケの俳句─』雄山閣出版(平成二年)
初出 藤原尚教授 広島大学定年祝賀記念『中国学論集』 平成九年三月二十一日