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見栄なし投資法:[オトンの遺言と遺産]

これまでのブログに、ちょくちょく出てくるサンカラゴおばちゃんのオトン。もうちょっと話聞きたいですぅ言うて、興味持ってくれる読者が出てきてくれて、オバちゃんちょっと恥ずかしいで。でもまあ、ウチのオトンの話しても、皆さんの投資に役に立つかどうかちょっと分からんけどな。オバちゃんの投資には、メッチャ役に立ってるんで、今回は恥ずかしながら、身内の話させてもらおうかな。

ウチのオトンは、実は孤児やった。自分の母親が産褥ですぐ死んでもうたらしくてなあ。で、オトンのオトンはオトンが小学校1年生の時の第二次世界大戦中に戦死や。まあオバちゃんも「戦争を知らない子供たち〜🎵」よく歌わされた時代の昭和後期の子供やからな、戦争で親がおらん、て言うことがどんなことなんかよく分からんかったんやけどね。

今の若い人が想像するのは難しいと思うんやけどね。オバちゃんたちの世代は、変な親子関係のウチも多かったんちゃうかなあ。例えばウチにしてみても、両親どっちも疎開経験があってな。親元で成長してへんから、おカーはんは一生自分の両親に他人行儀でよそよそしかったし、オトンに至っては、親戚中の家いっぱい回って育ってるから、家庭らしい家庭を知らんわけで、自分が父親になっても、オバちゃんに親らしいこと何も言わん、言えん人やった。で、躾とか教育はワカラン言うて、自分は遊んでばっかりおったんよ。

でも親戚回っている期間に、よく親戚の子供たちの子守もした言うて、子供と遊ぶのも慣れてて、一緒にいると楽しい人やったよ。ウチらにも他人にも嫌がることも言わんし、よー遊びに連れ出してくれて山登りも行ったし、映画も一緒に毎週言うくらい観に行ったわ。でも、社会性なくて真面目な働き者でもなく、社会人としてはダメダメやった。ウチの方が父親に説教せなアカンようなこともヨーあった。オバちゃん、この変なオトンの扱いにはホンマに苦労したんよ。今流行りの言葉を使うとオバちゃん『アダルト・チルドレン』て言うのに近かったかもしれん。

当時は、零細企業に勤めてお金もないサラリーマンのオトンは、お金持ちの親戚に家を借りてた。そうや。親いないから言うて、親戚はなんやかんやとオトンを助けてくれてたわ。だからオバちゃんは大っきな家に住んだことあるんや。羨まし〜って言われたこともあるけれど、おっきいから寒い家でなあ。冬は夜中凍えて寝てたわ。なんでか?貧乏やからそのおっきな家の暖房費払われへんわけよ。ほんま、あの家大っ嫌いやった。ちっさくて良いから、あったかい家に住みたいなあ、ってずっと思ってた。でも、オトンは、戦災孤児で可哀想と思ってたから、なんの要望も声に出せんかったなあ。

じゃあ、その可哀想なオトンは、ウチらから健気や気の毒やと思われるのに相応しい、塩らしい謙虚な人やったか?と聞かれると、全然ちゃうんよ。飲む・打つ、は、しょっちゅうや。けど、自分に家族おらんかったから、家族大事にする気持ちが強くて、家族に捨てられんとこー思てか、買うだけの問題は出てこんかった。ホンマのことは知らんけどね〜。

ま、そんなわけで、ウチはいっつも貧乏やった。親戚に金持ちがいても、父自身は一文無しやった。だから、オバちゃん兄妹は、親から遺産というのをもらうことは絶対にない!って子供の頃から分かっとった。ある時「借金も相続する」という法律があると知って、お願いやから借金だけ残さんといて欲しい、と唯一親に頼んだんことあるわ。でもな。アカンかった。保証人になって借金だらけになったこともあった。

とにかく、ややこしい父親やった。大した稼ぎもないのに、遊ぶのは大好き、借金も作ってしまう。家族中へとへとになったことも多かったで。クズや。そう思たこともある。ただ、オバちゃんにとってはな、親に叱られたこともないから、叱り方も分からん言うて、優しかったオトンは、クズでも切り捨てられへんかったのも事実や。そしてな、今振り返るとな。オトンは、ものすごい遺産を残してくれたと言うことにも気づいた。

普通の本だけでなく漫画もよく読んだ父は、「サンカラゴ。これ面白いで〜」と漫画を手渡してくることもよくあった。「勉強しろ」ではないんや。「この漫画読めよ」や。その一つに「じゃりン子チエ」があるんやけどね。ウチのオヤジさん、[素人投資家が“賭け”る時]にも書いたけど、その漫画に出てくる花札博打言葉の解説も上手やったわ。「思案六法」とか、「役」のつき方とか。そうや、あれ「おいちょ株」や。オバちゃんにとっての初めての「株」の知識は、オトンから習ったことになるんかな。ははは。

とにかく、そんなある意味とんでもない父親が、ある時突然「俺なぁ、(じゃりン子チエのトンデモ父親の) テツにそっくりや」って言い出したんよ。で、オバちゃんの方を見て「だから俺、お前に、チエちゃんみたいにタクマシク育って欲しいんよ」とボソって言うたことがあってな。

こっちはびっくりや。「小学4年生でホ、ホ、ホルモン焼いて、あんな苦労せなアカンのぉぉぉ?」実際のところ、おトーはんはテツの容姿とは似ても似つかんかったし、一応働きに行ってもいた。だから、おトーはんがテツで、ウチがチエちゃん、て言う親子関係を想像するのは難しかった。だって、テツめちゃくちゃやん!

でもね。今考えたら、ウチのオトン。間違いなくテツやったわ。社会性のない根無草のアカンたれ男やった。いやほんまに一円もオバちゃんに残して逝けへんかったよ。それどころか、お小遣いとか、終の住処の施設費とか介護費とか、オバちゃん一生懸命働いて払ったわ。でもな。元々遺産なんか当てにして育ってきてないし、あのオトンは娘のウチにチエちゃんみたいに逞しく生き抜いて欲しい、だけ要望して、他には何にも言わんかったから、オバちゃん、自由にモノを考えられたし、自分で生きていかなアカンのやから、早く「自立できる仕組み」作らなアカン思て、考える準備時間もいっぱいあった。

後進国を援助する時に、他の国は紐付き条件付きでお金を払うとか貸してあげる場合が多いんやけど、日本の考え方として、その国がサステイナブルに発展できるために、その国の資源や手に入るもので、技術教育するっていうのがあるやないですか?

どっちが正しいとか役に立つとは言えん。でも、日本の考え方なんや。オバちゃん、かっこエエなあ、と思てんのよ。

その点、あの一円も遺さなかった、遺す気もなかったオトンのしたこと、つまり、漫画を手渡して「チエちゃんになってくれよ〜」って言葉が原因で、オバちゃんは、投資も並行しながらやけど、自分の労働で収入を得て、サステイナブル持続可能な人生の仕組みを作れたわけで、結果的に、自分でお金の稼ぎ方と使い方を決められる自由がある人生を生きてる、って言う現実がある。皮肉な話やけど、幸せなこっちゃ。

それに、別にオトンが普通の父親らしくないからこうなったって言う偶然の成り行きではなく、実は誰よりもあのオトンは普遍的な父親として、何も無い自分が子供に残せるもんて一生懸命考えた結果の遺言やったんとちゃうんかなあ、と思うようになってきた。

そのように思たんは、2013年の映画「ハッシュパピー 〜バスタブ島の少女〜」を観た時やった。あれ、ワタシの話やん!父親の愛情以外何にも持ってないハッシュパピー。娘が強く生きていけるように、とそれだけを願う父親。はぁぁ。ウチのオトンと同じこと言うてるやん。行ったこともないアメリカのルイジアナ州にある架空の島の住人とおんなじ発想って、偶然でなかった、っちゅうこっちゃ。

自分の稼ぎが少なくて子供が可哀想って考える親も、子供に遺産残すことが一番大事やと考えてる親も、お金と教育、親の役割と愛情を混同してしまってるのかもしれん。心配しすぎて子供の可能性と成功のチャンスをあんまり信じてへんから、勉強セーセー言うて、有名大学入ることだけが目標になってはる親をヨー見るわ。

でも、オバちゃん、直接お金渡す残すんだけが遺産やないなあ。そう思うようになった。別のブログにも書いたけれど、大金持ちの遺産継いだ子供の憂鬱度が高いことやら、歪(いびつ)な親子関係兄弟関係夫婦関係に発展して家庭内戦争勃発って、ある意味悲劇や。

遺産ちゅうのは、通帳に印字される数字ではなく、親としての本能的な普遍の愛情から生まれ出でて、子供の全身全霊に注がれていく、生ある限り永遠に遺される無限の財産なんや、、、と思うようになってきたんよ。

おトーはん。今のオバちゃんが、お金持ちって呼べるようになったって知ったら、喜んでくれるんかなあ。う〜ん。いや、それはないな。絶対「お前、それ俺にちょっと貸せ」って言うに違いない。で、返ってくるわけない。テツは好きでも信用したらアカンねん。遺産相続のテッ則や!

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