盲人ママ子の自己紹介 幼少期・中学編 🐈🐟

 こんにちは、盲人ママ子です。
6人家族、3姉妹の末っ子として生まれた私は3歳になる直前に原因不明の目の病気で弱視になりました。
小学校は地域のところに通い、中学からは盲学校(今は支援学校っていうのかな?)でさまざまなきぐの使い方も学びました。
ですが、この頃の私はダメダメで、「目が悪いのは私のせいではないから助けられて当然」という気持ちが強かったと思います。
両親は共働きで、私は祖母と過ごすことが多かったのですが、「なんでお前だけ、もっと早く母親が病院に連れて行っていれば。」とは私を可愛がってくれてた祖母のお馴染みの愚痴です。
ですから毎朝、母が私を車で盲学校に送ってから仕事に向かう日常も「当たり前の日常」として過ごしていました。
ですが、そんなある日、学校に着くのがギリギリになったとき、私はきっと母に愚痴っていたのでしょう。私が車から降りるときに母が言ったのです。
「なんでも当たり前じゃないんやよ」と。母は少し怒っていました。
当たり前ですよね?母が私を病気にさせたかったわけもなく、ましてや私の為に母が生きているわけでもないんですから。その人の人生はその人が決めるのが当たり前。
「ああ、母はやりたくてやってるんじゃなかった、やってくれてたんだ」。母の言葉で私はやっと気づけたのです。
そうなってくると母だけではなく周りの人たちもそうなんじゃないか?盲学校では生徒の人数が少なく、その代わりに先生は生徒の倍いらっしゃいましたから、先生が友達のような感覚でした。
酷かったでしょうね、その頃の私はプライドだけは高くて知ったかぶりで難しい言葉を話せばちやほやされると思ってたと思うので、先生方には本当にご迷惑をおかけしていたと思います。
見え方が変わるって、視覚以外にも使う言葉なんですね。まさにそれで、私はやっと「それ」に気づくことができたというわけです。

🌟あとがき🌟
いかがだったでしょうか?これは私が人生初の衝撃を受けた出来事の一つです。。これがなかったら私の人格はもっと歪んでいたかと思います。
「家族」、「環境」、「きっかけ」どれも大切で人格形成に欠かせないものではないでしょうか?このルートがなければ、「私のせいではない」🟰「誰かのせい」という考えを捨てられなかったでしょう。今はどうかって?今は「誰のせいでもない」ってちゃんとわかっていますよ。もしご興味を持っていただけたならこの先の人生もおいおい書かせていただきたいと思っていますので、その時はまた読んでいただけると嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!