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自分探しの中に見出したもの・前編

感情類別:特に無し
感情影響度:良好
シチュエーション:「就活」「卒研」


 学科内ではリクルートスーツを着る者が増えてきた。就職活動である。様々な就活情報が飛び交い、履歴書の書き方や面接での作法など集団で講習を受ける機会が多くなった。

就活の方向性を定めるにあたって自己分析を試みる。
ここ数年で身に染みたことだが、私は期限やノルマという物が性に合わないと気付いた。営業成績で評価される業種、進捗状況の報告が必須となるクライアントとのやり取り。元々マイペースだった私をそんな環境に放り込めば上手く行かないのは自明の理である。

やれば出来るとは言っても、あの父との夜を有難く繰り返すつもりは無い。学ぶことは学び、活かすところは活かせば良いのである。少なくとも、あのやり取りによって自分の限界と本音を知ることができた。万事休した時に最後にすがる格言も頂いた。アレはアレで良かったのだ。


さて、とかく講習では・・・



「やりたいことは何ですか?」
「どうやって自分のスキルを活かしますか?」

という質問が投げかけられる。
私にとって「やりたいこと」なんて表現は漠然とし過ぎてコレと絞ることはできない。人は少しずつ変わっていくもので、理系のデザイン科に入った切っ掛けさえも、今では方針を定める理由にもならないと感じる。研究室ではアーバンデザインを専攻したが、その後、教授との考え方や性格が合わずに方針転換し、プロダクト系の人間工学、とりわけ「認知工学」の分野に歩を進めた。その後、これが功を奏し運命的な出会いを果たす。とりあえずこの時点では、私は就職活動というエスカレーターから降りて、自らの足で自分を探すこととした。


エスカレーターを降りても、歩いていれば近付いてくるものがある。卒研だ。卒研のテーマを決めるにあたって、興味のあることを基礎から調べ、そこに隠された問題点を見出し、改善モデルを提案できないか・・・という方法でアプローチした。いくつもテーマを設定しては教授や仲間にダメ出しをもらい振出しに戻る。そんな日々を繰り返して迷走していたある日、私は父の本棚を眺めていた。


「カクテル・パーフェクトブック」


「なんて美しい本だろう・・・」


それがこの本の第一印象だった。黄金色に輝くマティーニが表紙となっているソレは、煌びやかで華やかな極採色のカクテル達で溢れていた。まるで金銀財宝が詰まった宝箱を見付けたような気持ちだった。

そして、あることに気付く。
ページをいくらめくっても新たなカクテルが現れて終わりが見えない。どこまでもどこまでも、カクテルの名前と写真で埋め尽くされている。いったい何百種類あるというのだ・・・。私が産まれて初めて飲んだあの「ダイキリ」だけでも何種類もある。


「バーテンダーはどうやってこんなに覚えているんだろう・・・」


率直な感想だった。
そして、そこに卒研のテーマを見出した。
今思えば、現場のリアルな状況を取材せず、机上の知識だけでの調査と提案に意味があるのかと感じるが、当時はBarに対して何か崇高で格式の高いイメージがあり、突撃取材は憚られていた。そして何より「現場のセオリーを知らない人間が客観的な視点を持って膨大なレシピをどうこうしようとしている」という点が逆に面白いと評価された。


卒研のテーマが決まり、いよいよ打ち込んでいくのだが、その過程で経験したことばかりが強く想い出に残っている。5日連続で研究室に不眠不休で閉じこもったのは後にも先にもコレが最後だろうし、4日目辺りから体験した幻覚や幻聴は人間がいかに曖昧なバランスで成り立っている生物か思い知ることができた。そしてその結果、免疫力の下がった人間はインフルエンザなどのウィルスに感染するという至極当前のセオリーも体験した。


そうして、Barにまつわる情報を精査する中でとある記事に出会った。あるバーテンダーにフォーカスされた記事で、市販のバーツールに対する疑問を自らの手で解消しているという。つまり、既存のツールに手を加え、自身の身体や感覚に馴染むように作り変えているというのだ。人間工学を学ぶ者として尊敬の念を抱いたのだった。後にこの記事を読んだことが自分の人生に関わってくるのだ…。

中編へ続く….


卒研追い込みの5日間、オリジナル版とジャスティン版を交互に聴き続けたことで、私のデスマーチのテーマとなってしまった曲。この曲はマイケルジャクソンが逝去してからしばらくして「新曲」として発表されたもの。当人はこの曲を発表するつもりはなかったようだが、マイケルの死に絶望していた人々にとっては救いとなる伝説的な曲となった。


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