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日向坂46「絶対的第六感」 歌詞感想



はじめに

 8月16日、日向坂46の12枚目シングル「絶対的第六感」が先行配信されました。すでに楽曲を聞いたファンの方々も多いのではないでしょうか。
 作詞はおなじみ秋元康、作曲は「風に吹かれても」や「シンクロニシティ」を手掛けたシライシ紗トリが担当。肝心のメンバーは、4期生で前作「君はハニーデュー」のセンターを務めた正源司陽子と、「見たことない魔物」でセンターを務めた4期生・藤嶌果歩のWセンターとなっています。
 今回は、「絶対的第六感」を聴いて感じた「歌詞」の面での感想を書いていきたいと思います。私は音楽に関しては無学なので、作曲やメンバーの歌唱については、その方面にお詳しい方の感想記事を読んでいただければと思います。

「絶対的第六感」歌詞感想

「絶対的第六感」、一言で言うなら

 まず、私が「絶対的第六感」の歌詞を読んで抱いた感想を一言で表すとしたら、「冗長」です。冗長とは、無駄が多くて長ったらしいという意味。もちろん、誉め言葉ではありません。歌詞に関していえば、今作「絶対的第六感」は失敗作だと思います。それも、何か挑戦したうえでの失敗ならば良いのですが、「絶対的第六感」は作詞家の怠慢による「なるべくしてなった」失敗だと考えます。
 このように言うと、顔をしかめる方もいると思います。では、具体的にどこか冗長なのか説明していこうと思います。

意味のない連続

 この曲の第一の問題点は、「意味のない連続」があまりに多いことです。実際にいくつか歌詞を引用してみましょう。

Sixth Sense Sixth Sense なぜわかった?
Impression Impression 出会った瞬間(とき)
胸に響く恋のアラート

日向坂46「絶対的第六感」

Sixth Sense Sixth Sense 何があるんだ
Got a feeling Got a feeling 感じないか?
僕は君にハッとしたんだ

日向坂46「絶対的第六感」

Sixth Sense Sixth Sense 理屈じゃなくて
God says God says 聴こえるんだ
それはDreaming きっとDreaming 正夢なんだ

日向坂46「絶対的第六感」

 こちらに引用したのは、いずれも「絶対的第六感」のサビの部分。言わばこの曲の中心部です。一般的にサビの部分には、曲全体を勢いづけるような軽快な言葉や、ズドンと心に響くような言葉を配置します。「絶対的第六感」は第六感がテーマということで、それに関する言葉がサビに使われるのは予想できます。ただ、「Sixth Sense」(第六感)を二度繰り返す、というのはあまりに単純ではないでしょうか。前作「君はハニーデュー」でも、タイトルがそのままサビに用いられていましたし、「インフルエンサー」も同様でしたが、さすがに2回も繰り返すのはしつこいですし安直すぎる気がします。まるでCMソングのようです。
 そしてその後に続く言葉も中身がない。「Impression」、つまり「印象」。要するにここは「出会ったときの印象がよくて胸がときめいた」と言いたいのでしょうが、具体的にその印象がどうだったのかは語られませんし、なぜ「Impression」を繰り返したのかは謎です。「印象印象」ですよ?
 「Got a feeling」は訳すると「感じた」。そのあとの歌詞とつなげれば、「感じた 感じた 感じないか?」となります。何度感じたらええねん! また、「God Says」とは英語で「第六感」「虫の知らせ」という意味。つまり、「Sixth Sense」をただ言い換えただけ。あまりに安直です。
 曲の中心部となるサビの部分を、このような無駄の多い連続表現(しかも英語)で埋められると、曲全体が退屈になるどころか「ダサさ」さえ漂ってしまいます。

具体性の欠如

 第二の問題点は、「具体性の欠如」です。
 「絶対的第六感」の歌詞は、短く要約すると「他人に紹介されて出会った女の子に運命的なものを感じた。第六感が反応している。もっと一緒にいたい!」となります。となると、歌詞を見る側としては、「女の子のどんな部分が魅力的だったのか」「女の子を見てどう感じたのか」「これからどうしたいのか」が気になるところ。しかし、「絶対的第六感」ではそれらが全く語られません。
 まず女の子のどこに惹かれたのか。それを表す歌詞は以下の通り。「説明なんかできるわけないでしょう」「表情はCoolだけど」「もっと前から君を知っていたようなないような」「君はまるでデジャビュなんだ」。表情がクールで、どこかで見たことあるような気がする「だけ」。顔がかわいいとか、所作が綺麗とか、そういった描写が何もありません。
 では、語り手は彼女を見てどう感じたのか。「恋のアラート」「ハートは感電中」「ヤバそうな予感」「ハッとした」以上。具体性のかけらもありません。「ヤバそう」「ハッとした」というような曖昧で短絡的な言葉だけで、聴き手は女の子のイメージがつかないのです。
 そして、語り手はどうしたいのか。「近づきたい」「ちょっと待ってよ」。おわり。引き留めて、近づいて、そのあと何をしたいのか。付き合ってどんなことをしたいのか。全く書かれていません。「運命」「第六感」というスピリチュアルな言葉を用いているわりには、語り手の感情が単純で具体性に欠けています。
 このように、歌詞全体があいまいで、単純なのが「絶対的第六感」なのです。

「第六感」のむずかしさ

 ここまで書いてきて、ふと思ったのは「第六感」というテーマそのものが作詞に適していないのではないかということです。ここまで「中身がない」「具体性がない」だのとうだうだ書いてきましたが、そもそも「第六感」というのは感覚であり、感情ではないのです。そういう意味では、この歌詞の曖昧な感じは、びびっときた感覚に戸惑う語り手の心境をえがけていると言えるかもしれません。
 ただ、その結果として歌詞全体が安っぽくなっているのは否定できません。もしも「刺さる」ような歌詞を書くならば、「第六感」というテーマを設定すべきでなかったのかもしれません。感覚は、どう書こうとしても「○○のように感じた」で終わってしまうからです。

だとしても……

 仮に「第六感」という言語化が難しいテーマを定めたとしましょう。そうした場合でも、具体性を付与することは不可能ではありません。たとえば、「風景」を具体的にすることはできます。たとえば、語り手と女の子はどこで出会ったのか。「紹介されて」とあるけれど、どこで誰から紹介されたのか。場所は学校?海?パーティーの会場? その場所にはどんな小道具があって、食べ物があって、時間帯はいつ頃なのか(おそらく昼なのでしょうが)。こうした情報を歌詞に加えるだけでも、聞く側のイメージは膨らんでいきます。
 「天才作詞家」と呼ばれて久しい秋元康氏。正直私は最近の氏の歌詞にはマンネリズムや手抜きの感を覚えているのですが、そんな天才作詞家さんならば、「第六感」のみをだらだらと中身もないまま書くのではなく、風景などを具体的にすることもできたのではないかと思います。ただ、「絶対的第六感」はそれがありませんでした。出来上がったのは、よくわからない語り手がよくわからない女の子によくわからない感情を抱く、全体的によくわからない歌詞だったのです。

おわりに

 ここまで「絶対的第六感」の感想を長々と書いてきました。退屈させてしまった方、不快な思いをさせてしまった方には申し訳ありません。
 ただ、曲を聴いてモヤモヤした方は他にもいるのではないでしょうか。MVのコメント欄を見ると、ほとんどのコメントが歌って踊るアイドルの可愛さに関するものばかりで、歌詞の内容に触れているものはほとんどありません。あっても「秋元先生の歌詞すばらしい!」「天才だ!」というもの。彼らは本当に歌詞をよく読んでいるのでしょうか。少なくとも私は、ここ一年間秋元康の歌詞で評価できるものはないと考えています。時にはアイドルの可愛さだけでなく、音楽や歌詞にもじっくり目を向けるべきだと私は思います。


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