【連載小説】サキヨミ #5
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次は瞬間に場面が切り替わる事はなかった。
救済者は、後ろの黒板の横のドアを入っていったから、僕は後に続いた。
理科準備室。
ここは安藤先生の隠れ家だ。
先生は、学校に黙って、自分のお気に入りのサイフォンを持ち込んでおり、ここでコーヒーを点てて、楽しんでいた。
救済者は、そのサイフォンのフラスコに水を入れ、先生の引き出しを無造作に開けてコーヒーの缶を取り出し、粉を入れた。そして、アルコールランプに火をつけると、フラスコの下に置き、水が沸くようにした。
「よく知ってるね。」
「ああ、僕は何だって知っている。コーヒーが出来るまでに、もう少し話を続けてもいいかい?」
救済者は、サイフォンの中のコーヒーの粉を木の匙で面倒を見ながら、僕に言った。
「イントロだけなら…」
「よし、分かった。イントロだけね。さっき言った8千年前の核戦争の時だ。地球が壊滅状態になる事が分かり始めた時、色んな星の指令を出していた者たちが、途端に地球にいる同胞たちへの通信を遮断したんだ。」
「どうして?」
「さっき見ただろう?地球の表面の殆どが放射能に汚染されている様を。あれを宇宙から見てるんだぜ。とても、移住しようとは思わない。そうだろう?」
「確かに…」
「通信が途絶えて、地球にいるニンゲンたちは焦った。大義を失ったからね。戦争をやる意味すらも無くなってしまってたし。で、気づいたんだ。このままでは、自分たちも絶滅してしまうと。」
「自分たちの元の星に戻るという選択肢はなかったのかい?」
「それはなかったようだね。もう地球にカスタマイズされ過ぎてて、元の星に戻れる体ではなかったんだと思うね。」
「なるほど。それで、ニンゲンはどうしたんだろう?」
「まずは、残っているニンゲンたちは休戦して、人種を越えて、この危機を乗り越えようと、一堂に集まり、話し合う事にしたんだ。」
「第二次世界大戦後の国際連合みたいなもんだね?」
「そう、そこで、人知を超えたAIを共同で作り、秩序を取り戻す事を決議したんだ。」
「AIか?やはりそこへ辿り着くんだ?」
「そう。それで残っている学者を総動員して作ったAIが、「統領」なんだよ。」
「ああ…「統領」とは、AIの事だったんだ…」
コポコポコポ…
いい香りがしてきた。
コーヒーが沸いた。
香り?この「スペース」では、香りや、温度を感じる事があったり、なかったりする…
「コーヒーが出来たようだ。まずは飲もう。」
救済者は、先生の薬品棚からマグカップを二つ取り出してきて、コーヒーを注ぎ始めた。
本当にいい香りだ。
安藤先生自慢のコロンビアコーヒーの懐かしい香りを僕は胸いっぱいに吸い込んだ。
「統領は、まず地球の環境が元通りになるのに、どれぐらいの年月が必要かを計算したんだ。そしたら、約2万年はかかる事が分かった。そこで、統領は色んな事を決めた。その大きな一つが、ニンゲンのイシキ化だった。」
「ニンゲンのイシキ化って、さっきからイシキ、イシキと言ってるが、本当のところ、僕らはあの赤茶けた地球上に存在しているのかい?」
「ああ、いるよ。脳だけだけどね。」
「脳だけ?身体はない?」
「あの環境下で、生き永らえるニンゲンはいないからね。残念だけど…地下深くに統領が棲むシェルターがあり、そこに君たちの脳の「収蔵庫」があり、収蔵庫の中で、一つ一つの脳が十賢者を経由して統領に連結されている。」
「脳味噌が?」
「そうだ。最後の核戦争後、生き残ったニンゲンの数が、1万人ほどだったらしい。その1万人の脳が収蔵庫で、今も機能している。あとは、ニンゲンや、その他地球上の生物で保存が間に合ったDNAも収められている。」
「ニンゲンの脳は、どうやって生命維持してるんだい?」
「統領は、ニンゲンの保存方法を決めた時に、自分より機能を限定したAIを10体作った。それが十賢者だ。その10人の賢者が、1000人ずつメンテナンスしている。」
「で、その脳が僕が元いた「スペース」で日常生活をやっているという訳?」
「その通りだ。イシキがスペースでの世界を形成している。」
「だけど、正直、暴走してしまうヤツとか出てくるんじゃないの?」
「あるよ。原則的には抑制されているんだけどね。どうしても出てくる。一つ一つの脳には、「弟子」と呼ばれているチップが埋め込まれていて、それで賢者たちは制御しているんだ。でもね、AIといっても10人もいるだろう?それぞれ性格がちょっとずつ違っていて…中でも、君の脳をコントロールしているのが、八賢者なんだが、コイツは、傲慢なヤツでね。おまけに頑固な管理型なもんで、どうしてもはみ出るヤツが出てくるんだ。今の君のようにね…」
「僕が?僕がいつはみ出たんだい?」
「君は最近お母さんの夢をよく見てたろう?」
お母さん…
「そう、よく見ていた。このスペースに一番最初に来た時も、おぼろげながらなんだが、お母さんを思い出していた。」
「ほらね。そんな事があってはいけないんだよ、本当は。そのお母さんの像は、君の脳の奥底にある本当の記憶なんだ。」
「本当の記憶?」
「そう、弟子の制御が効かなくなるような深い深いところにある記憶なんだ。」
「それはダメなの?」
「もちろん、ダメさ。統領が残したいのは、ニンゲンが地上でまた肉体を取り戻し、自らの身体と精神で世界を作るための記録で、センチメンタルな記憶ではないんだ。」
「なるほど…」
「だから、君は抹殺されかかってるんだよ、分かる?」
「抹殺?」
「或いは、時々試されている。」
「試されてる?どんな風に?」
「君はタバコを吸った事があるかい?」
タバコ…
そう言えば、スペースに来て、無性に吸いたくなった…あれは何だったんだ?僕は、タバコを吸った事がある?
「分からない…」
「大体、君はスペースでどんな仕事をしていた?家族は?」
何故だろう?思い出せない…
「いいだろう。場所を変えよう。」と救済者は言った。
僕は慌てて残りのコーヒーを飲みほした。