見出し画像

【連載小説|ヒューマン】爽やかな人 ⑤(最終話)


◎ケーキ
・薄力粉
・アーモンドプードル
・ベーキングパウダー
・無塩バター
・グラニュー糖
・卵
・レモン (皮※薄皮と実も使用)
・粉糖
◎カスタードクリーム
・卵(黄身だけ)
・牛乳
・上白糖
・薄力粉
・バニラエッセンス
 
 
レシピのように思っていたものは、ただの材料表だと分かったのだが、動画やSNSで「レモンケーキ」と検索すると、大体同じような材料が使われているので、動画を参考に作ってみる事にした。
 
 
佐藤のおじさんが言ってたように、薄皮や実の粒が時々感じられるようにするにはどうしたらいいのかを考え、ケーキの生地とコーティングするレモンクリームに薄皮や実を細かくしたものを入れてみる事にした。

生地が出来たので、ケーキを焼く事にした。オーブンに入れている間に、カスタードクリームを作り、外側のコーティングの用意をした。
 
ケーキは焼き加減が難しかった。
 
私の店のキッチンは、前の喫茶フルトンで使っていたもので、使えるものをそのまま使っていて、所謂「居抜き営業」で、オーブンは前から使っている古いものだ。
うちの店になってから、このオーブンを使う事がなかったため、最初は火のつけ方も分からなかったのだが、メーカーに問い合わせてやっと火をつけられた。
こんな有様だから、いちいち余計な手間がかかり、中々前に進まない。
 
とにかくこのオーブンは、火加減が難しい事が分かった。
 
最初に焼いたものは黒焦げになってしまったし、次は生焼けになった。
色々と試して、6回目にやっと、満足できる焼き加減になった。
 
次はカスタードクリームの注入だが、これはすぐにやり方を覚えたので上手くできるようになった。
 
コーティングも完璧だ。
 
一口食べてみた。
 
苦味は感じた。
でも、酸味を感じない。レモンの風味はするのだが、酸味を感じない。
レモン果汁の量の加減か…
 
私は試作を続けた。
 
 

次の日の夕方に、私はうちの店に佐藤のおじさんを招いた。
昨夜は、12時まで居残り、6パターンの試作品を作った。
沢木先生には、佐藤さんのお墨付きをもらってから食べてもらいたかったので、佐藤のおじさんに味見役をかってもらった。
 
「ミキの親父も連れてきたよお…」
「ああ、フルトンのレモンケーキを復活させるって聞いてな。俺にも食わしてくれ。この辺で、あのケーキを一番食ってるのは俺だからな。林田と俺は同い年で、小学校からの幼馴染みで、ヤツが作るもんは、何でも俺が一番食ってるんだ。タダでな」
「タダ?無料って事ですか?」
「そう、尚ちゃんはな、俺から金を取った事はねえんだ。」
「それ、すごいですね」
「何がすごいもんかい。昔はみんなそんなもんだったんだい!俺も、尚ちゃんの頭刈るのに、金取った事ねえしな。月一だけど… 」
「そうなんですか… そんなもんだったんですねえ。それでミキさんは、月にどれぐらい、フルトンさんでご馳走になってたんですか?」
「俺かあ… 俺は一日一回だ。」
「毎日?」
「うちは火曜が定休だったから、週六だな」
「それは、フルトンさん、尚ちゃんさん?割に合わないですね…」
「まあ、そういうな。俺と尚ちゃんとの間の事だからな。まあ、フルトンのメニューの事なら、俺か、天乃屋の婆さん以上に詳しいヤツはいねえ」
「天乃屋さんですか?ひょっとして、あそこの女将さんも、同級生?」
「いや、あの婆さんは俺らの一つ下だな。俺らは美代ちゃんを妹のように可愛がってた」
「そうなんですねえ。じゃあ、そろそろ味見してもらいましょうか?」
「ああ、いいよ。食わせてくれ。でも、沢木先生は、どうしてレモンケーキなんだろうなあ?フルトンと言えば、プリンなんだがな… 」
「それは、私には分かりません」
「ああ、そうか… 分かった」
 
 
ミキのおじいちゃんと佐藤のおじさんは、私が作った6種類のレモンケーキを食べた。
二人からまず指摘を受けたのは、「ケーキが大きすぎる」事だった。倉庫で、レモン型枠を探したのだが、どうしても見つからなかったので、私は合羽橋まで行って見つけた型枠を使ったのだが、昔のフルトンの型より大きすぎるとの事だった。
 
6種類全部を味見してもらった結果、4番目の味が一番昔のものに近い、という事になった。
4番目は、スポンジにピールだけではなく、薄皮と実を細かく刻んでで少し入れてあり、カスタードクリームにレモン風味の香料を入れたものだった。
 
これを今晩沢木先生に食べてもらおう、そう決めて、受付の小林さんへ7時で閉院となったら、出来るだけ早く沢木先生に降りてきてもらえるよう伝言した。
 
 

7時10分に沢木先生は、私の店に来た。
うちは7時閉店なので、客はいない。
 
「いやあ、レモンケーキが出来たそうで… えっ… 」
 
先生は声を詰まらせた。
 
何故なら、私が倉庫で見つけた蒸気船の精密画の額縁を壁に飾っているのを見つけたからである。

ロバート・フルトンは、アメリカ人の発明家で1800年代にアメリカ国内で運行する蒸気船を造らせた人だ。ここにある絵は、彼が造らせた蒸気船なのだ。
 
「これ、よく見つけたね…」
「ええ、一番奥にひっそりと壁に立てかけてありましたけど… この船、アメリカ人のフルトンさんって人が造ったんですね。それに因んで、ここは昔「喫茶フルトン」だったんですか?」
「ああ、ここの前の店主は、林田尚久さんと言ってね。実は僕の義理の父だったんだ。この辺の皆さんからは尚さん、尚さんって呼ばれてて… その義理の父の趣味が、昔の船の画や写真や模型を集めたりする事でね。この店には彼のコレクションの一部が飾られてた」
「そう、そうなんですね… この絵があまりに立派なので、よければこれからもこの店に飾らせてもらえないですか?」
「いや、まあ、考えとくよ。さあ、レモンケーキを食べさせてもらおうかな?」
「ああ、そうでした。忘れるところだった… 一応、ミキのおじいちゃんにお墨付きはもらってます。ただ、本物よりちょっと大きいそうですけど… 味見してみて下さい」
「ミキさんがお墨付き?じゃあ、僕が言う事は何もないけど… まあ、いただいてみるよ… 」
 
先生はレモンケーキを一口食べた。
その後、先生は俯いてしまった。
 
美味しくない?
味が違う?
 
先生は長く顔をあげない。
 
「先生、味が違いました?美味しくないですか?」
「い…や…、とっても、美味しいよ… これはフルトンの味だ… 」
 
沢木先生は泣いていた。
 
「だったら、何で泣くんですか?」
「分からない… 嬉し涙なのか… 悲しいのか… 感情がグチャグチャで… 僕は、後悔していたんだ。君にレモンケーキを作る事を勧めた事をね… 」
「何故ですか?」
「これを作ってもらったら、こうなると分かっていたからさ。そして、君には本当の事を言わなければならなくなる… 」
「本当の事って、何ですか?」
「僕はね、30年ほど前の阪神淡路大震災で、妻と一人娘を亡くしたんだ。僕は元々神戸でね、親父も内科の開業医だった。妻の静子とは、東京の大学時代に知り合って、大学病院でも一緒で… そのうち、結婚して、すぐに娘の涼子が生まれて、僕の実家の病院を僕と妻で引き継ぐ事になって、僕らは神戸に帰った。震災の日、僕は新しい医療機器の展示会を見に東京に一人で出張してて… うちの病院は鉄筋コンクリートだから無事だったんだけど、住んでた家は木造の古い家で… もうすぐ二世帯住宅に建て直す予定だったんだ… でも…家は潰れて… 親父もお袋も、そして静子も涼子も、みんな死んでしまった… 僕は東京から色んな手を使って丸一日以上かけて、家に戻ったんだけど… 家はぺっちゃんこになってて… 僕は家族みんなの身体をがれきの中から出して… 無事だった病院へ運んで… 何度、呼びかけても誰も返事してくれなくて… ごめんね… こんな話に付き合わせちゃって… 苦しくないかい?」
「いえ、お辛かったでしょうね… 私が思うのはそれだけです」
「そうだね… 辛かったね。震災直後は、うちの事はおいて、僕はうちの病院で狂ったように働いた。でも、色々と片付き始めると、途端に辛さがぶり返してきて、僕は廃人のようになってしまった。病院を閉めて、僕は病院の患者のベッドで寝て、あるものを食べて… もう死んでもいいと思っていた」
「それでも、先生は立ち直ったんですね?」
「ああ、それもこれも、この店のオーナーだった妻のお義父さん、林田尚久さんのお陰なんだよ。わざわざ神戸に来てくれて、僕の病院や、家のあった土地を処分してくれて、そして、僕をここに連れてきてくれたんだ。お義父さんは無気力な僕を励まし続けて… 僕は神戸の土地を売ったお金で、このビルをここに建てて、そして、また病院をやる事にしたんだ」
「そうなんですね… で、その時の思い出の味がこのレモンケーキなんですか?」
「これはね、僕じゃなくて、娘の涼子が好きだったんだよ。帰省してきた時にね、お義父さんはいつも涼子にせがまれて、これを作らされてたんだ。当時はこのレモンケーキは定番メニューじゃなかったんでね。涼子が来た時だけの特別メニュー… 涼子ってさあ、涼しい子って書くんだけど、あの娘は8月の生まれなんだけどね… あの娘が生まれた日だけ、海風が優しく吹いて、何となく涼しかったんだ。それで涼子って名付けたんだけど… お義父さんがその話を気に入ってくれて、「涼子は涼しい子だからな。爽やかなレモンの味が似合うんだ」とか言って、レモンケーキを作ったんだよ… 」
「それはいいお話ですね。先生、もう泣き止みません?」
「ああ、いい大人がみっともないね… 」
「いや、そうじゃなくて、レモンケーキの前ですよ。先生も爽やかな人のままでいてもらわなくっちゃ!」
「ええ?僕が爽やかかい?そんな事ないよ… 」
「いいえ、この通りの皆さん、全員、先生は爽やかな人だと思ってますよ。そして、頼りがいがあるともね」
「そんな筈は… 」
「あります!これ、先生へのプレゼントです」
「何だい?こ、これは… 」
 
私はこないだ倉庫で見つけた「連絡帳」を出した。
 
「君は… なんて事を… 」
 
先生はまた泣いた。
 
「先生、今日は思い切り泣かせてあげます。でも、その代わりに私から二つお願いがあります」
「二つも? 何だい?」
「まず一つ目は、この店の名前を近々、「フルトン・カフェ」に変えたいと思いますので、許可をお願いします」
「じゃあ、BBカフェっていう名前は?」
「これはいったん捨てます。BBって、私の下の名前が美鈴で、ビューティフル・ベルだから、BBとしただけなので… 折角このレモンケーキを復活させるなら、それを機に「フルトン・カフェ」にさせて下さい」
「分かった… それは了承するよ。後一つは?」
「私、母子家庭で… だから、私がもし、結婚する事になったら、先生、一緒にバージンロードを歩いて下さい」
「君って娘は… 」
 
 
沢木先生は、もう言葉にならなくて、私を抱き締めた。
私は先生の頭を撫でてあげた。
 
 

来年1月17日に阪神淡路大震災は、発生から30年が経過します。
私も被災者の一人です。
震災でお亡くなりになった方を追悼する意味で、これを書きました。
そして、生き残った人間が、明日からも力強く生きていくために、少しでも、お役に立てたなら、幸せに思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!