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【連載小説】六浦敏郎 ラーメン屋の店主になる ⑪
鶏ガラと節の出汁がだいぶ余ったので、それを車に乗せてスマイルハウスに運び、鳥ガラでカレーを作り、節の出汁で豚汁を作った。
カレーはタッパーに小分けして入れて冷凍する事にし、豚汁は今晩子ども食堂で食べてもらう事にした。
そして、川田屋に戻り、洗い物をして厨房と客席を掃除すると、もう夜7時になっていた。
これらを全部私と愛美でやったので、愛美は少しご機嫌斜めだ。
愛美曰く、最低でも大杉君には残ってもらっても良かったのではないか?という事で、彼にまで帰られたせいで自分の負担が増えたというのが不満なようだ。
私はいつものようにそのような愛美の愚痴をどこ吹く風で聞き流し、せっせと作業を続けて、私なりに満足のいく掃除と片づけを終わらせた。
全部終わって納得すると、私は「さあここを出よう」と愛美に言った。
「帰るの?」と愛美が訊いたので、「病院へ行く。奥さんに訊きたい事がある」と私が答えると、「じゃあ帰る途中で、ラーメン食べさせてね」と愛美が言った。
そうだな…今日一日、ラーメン屋にいたのに、ラーメンを食べてない…
「分かった」私はそう言って、店を出た。愛美は先に出て、車に向かった。
病院には、15分で着いたが、面会時間の終了までは後30分しかなかった。
愛美が病室に顔を出し、私が待つ面会室まで二人を連れてきてくれた。
紗季代さんも諒太君も顔色がよく、元気そうに見えた。
私は紗季代さんへ「やっと、直接お会い出来ました。どうも六浦です」と挨拶した。
すると、紗季代さんはいきなり頭を深々と下げ、「諒太を助けていただき、ありがとうございました」と言った。
「もうそれはいいって、さっきも言ったでしょう?お父さんも電話で言ってなかったっけ?」と横から愛美が言いながら、紗季代さんの両腕を持ち、頭を上げるように促した。
その隣にいる諒太君もお母さんの顔を下から覗き上げ、「マナちゃんが、もういいって言ってるから、もういいんじゃない」と言った。
「そうですそうです。我々が諒太君を助けられたのは、さっきも言いましたが、たまたまなんですから。これ以上、気にしていただかなくて結構ですよ。」と私が言うと、「でも…主人を亡くして…今度は大事な一人息子まで亡くしてしまうなんて事になると、私はもう生きてられませんから…」と紗季代さんが涙ながらに話した。
「もう泣かないでいいですよ。でも、ほら予想以上に諒太君が元気そうで何よりでした。で、紗季代さん、落ち着いたら、ちょっとラーメンの件でいくつかお聞きしたいのですが、大丈夫でしょうか?」
「ラーメン?そうそう、ラーメンですわね。もう大丈夫です。私が答えられる事はお話しします。」
「じゃあ、面会時間も限られますので、早速いいですか?」
「ええ」
「じゃあ愛美、諒太君とアイスでも買ってきて、向こうで二人で食べていてくれないか?」
「分かった、諒太君、一階の自販機でアイス買おう」
「行く!」
愛美と諒太君はエレベーターで降りていった。
私は紗季代さんに向き直った。
「まず出汁からお聞きします。鶏ガラと鯖節、宗田節を炊く時間は、どれぐらいかを紗季代さんはご存じでしょうか?」
「いえ、詳しくは分かりません。でも、主人は毎朝、7時には店に降りてました。すぐに寸胴に火を入れてましたから、7時過ぎから出汁をとり始めてたと思います。で、店が開く11時までには両方とも火を止めてましたので、大体3時間から3時間半ぐらいは炊いていたように思います」
「それは両方ともですか?両方とも3時間以上炊いてましたか?」
「いえ、鯖節と宗田節は早めに火を止めてたように思います。そうそう、2時間は鶏ガラの方にかかりきりだったと思い出しました」
「分かりました。ありがとうございます。それで、さっき、両方とも火を止めてたと仰ってましたが、それから後は出汁は炊いてなかったのですか?」
「ええ、そうなんです。出汁の寸胴は炊いてませんでした。主人が暑がりで、ずっと火をつけてられないらしくって、それにウチでは注文が入ると、ラーメンのスープを一人前ずつ片手鍋で作ってましたから…」
「どういう事ですか?」
「片手鍋に二種類の味噌をスクーパーで取って、その上に鶏ガラと節の出汁を入れて、それで味噌を溶きながら火にかけるのです。沸いたら丼に入れる。ああ、そうそう、ウチでは味噌以外に粉末のニンニクと、すりおろしの生姜も入れてます。」
「ニンニクと生姜?両方とも仕入れ帳簿になかったんですが?」
「それは調味料の仕入れ帳簿が別にありまして、その中にあるのです」
ああ、そうか…コショウや一味唐辛子、餃子用の醤油や酢もあった。確かにそれは仕入れ帳簿に書いてなかった…
「粉末のニンニク、すりおろし生姜は、普段どこに?」
「いつもは調味料の缶と一緒に置いてますが、私が冷凍庫に保存してしまいました。ちょっと体調が悪いと気づいた時に…」
「なるほど、分かりました。じゃあ明日行って、冷凍庫を探してみます。ニンニクと生姜はどれぐらい入れてました?」
「ニンニクの缶は、二振りぐらいで、生姜は小匙に半分ぐらいです。」
「分かりました。後、スープに何か入れてるものはありますか?」
「醤油を入れます」
「醤油ですか?」
「私、宮崎の出身で、九州の甘い醤油をウチでは使ってます。その醤油を大匙2杯ほど入れます」
「2杯ですか、多いですね」
「でも、その方が味が丸くなるので…」
「そうか、分かった。だから、川田屋さんのスープは茶色いんですね。いや、さっき栄一郎さんと電話で話した時に、味噌は白味噌と信州味噌を1:1で使ってると聞いて、どうしたもんかと思ってたんです。今日、1:1でスープを作ってみたら、味は別にして、色がどうにも白が勝っちゃって、メニューの写真のような茶色にならないんですよ。で、どうしようかと思ってたところです。これで疑問が一つ解けました。後はもうないですか?」
「ないと思うんですが…そうとも言い切れません…ごめんなさい。調理の事は仕上げも含めて、全部主人任せだったものですから…私は客席の対応が大変だったんで…」
「分かりました。取り敢えずここまでお聞きできたんで、明日このやり方でもう一度作ってみます。また、明日の夜、愛美と報告に来ますよ。」
「分かりました。何から何まですいませんが、何卒宜しくお願い致します」
「大丈夫です。後、つかぬことをお聞きしますが、川田屋さんはメシものをやってませんが、それはどうしてですか?」
「それは、大変だからです。厨房は主人だけですし、客席は私だけでしたので…それでも、諒太がお腹の中にできた時に、駅前の小松屋さんと主人が話して、ウチで作る煮豚を止めて、当時、煮豚を作るのは私の役目でしたので…小松屋さんから焼豚を仕入れる事にして、二人の作業負担を軽くしていったんです。そうしてるうちに、夜も店を開ける事になって、ラーメンだけじゃ酒のつまみにならないって言うんで、餃子も小松屋さんに入れてもらって…夜、開けるようになったのも諒太が生まれてきたからです。諒太のために少しでも早く生活をよくしたいという一心でした。」
「よく分かりました。それでね、小松屋さんですが、私に一つ、アイディアがありまして…味噌ラーメンが復活できたら、それを別に相談させてもらいたいんですが、いいですか?」
「勿論です。何なら、今お伺いしましょうか?」
「いやまだそれは止しておきましょう。全ては味噌ラーメンの復活が先です。じゃあ、今日はこれで帰ります。」
愛美と諒太君がアイスを食べながら戻ってきた。
「こら、諒太!お行儀悪いでしょう?食べながら病院の廊下を歩いちゃダメよ」と紗季代が言うと、愛美が申し訳なさそうに「すいません」と謝り、「これ、お母さんとおじさんの分」と言いながら、諒太君が棒付きのアイスキャンデーを渡してくれた。
4人でアイスを食べた。
食べ終えると、面会時間終了のアナウンスが流れたので、私と愛美は帰った。