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【創作大賞2024応募作オールカテゴリ部門】松山行きのバスに乗る。#4新しい人生を生きる事にする(1/5)


「これは、いくら何でも無理です!私にはできません!」
「何い!お前、誰に口きいてるんだ?お前がミャンマーで失敗しそうになって、助けたのは誰だ?」
「それは、あなたです、佐藤常務。」
「だろう。その恩人に君は歯向かうつもりか?」
「いや、御恩は感じております、ひしひしと。しかし、それとこれとは、話が違う。これは、いくら何でもやり過ぎです。」
「もういい、帰りたまえ!君は、このプロジェクトから外れてもらう事にする。」
 
佐藤常務の部屋を出た私は、自分のデスクに戻って書類を作成し、人事部へ退職願を提出した。
それはすぐに受理され、その後の1週間で退職の手続きを取り、すぐに有給休暇を取得した。
誰も慰留するものはなく、部下も何も言ってこず、一緒に飲もうという同僚もいなかった。

 
 
有給休暇の2日目の午前中。
 
平日の午前中に家にいる事なんて数えるほどしかなかった。
 
会社人の時は、朝は4時半には起きて、アメリカとヨーロッパ市場の動きをウォッチしたり時間をかけて新聞を読み、インターネットの速報をチェックし、慌ただしく着替え、サッと食事をして、急いで家を出た。
 
朝の早起きは、習慣なのでやめられない。今朝も5時には目が覚めた。
5時に起きてもやる事がない。仕方がないので、今までのルーティーンをこなそうかとも考えたが、どうもやる気が出ない。
 
ゆっくり新聞を読み、コーヒーを多めに入れて朝から3杯も飲み、食事を取っても、まだ8時半だった。
 
それからは、今までやってこなかったことをやろうと考え、カウチに座り、テレビをつけてみた。
朝の情報バラエティー番組。各局ともコロナ禍の事ばかりだ。見たいチャンネルがなくなり、BSに変えると、メジャーリーグの試合中継をやっていた。片方のチームに日本人選手がいるのだが、その選手は現在レギュラーではなく、代打での出場らしい。
 
まあ、他のチャンネルよりはましなので、それを副音声の英語の実況にして、付けっ放しにする。
 
スマホを開いてみるが、私のスマホには仕事に役立つアプリしか入っていない。
 
野球も正直に言えば、興味はない。
私は西武ライオンズのファンだったのだが、今の選手はもう分らない。
 
なるほど…
 
私は仕事を外すと、全く空っぽの人間なのだ。
 
やりたい事が見つからない。
 
よく分かった。
 
仕方がないので、洗濯機を回しに行った。
せめて、洗濯でもしよう。
洗濯して干せば、確実に衣類はきれいになり、清潔になる。
それが、今日の私の得るものだ。
 
 

3日目は、土曜日だった。
 
さて、昼飯でも作ろうかなと思い始めていたところ、インターフォンが鳴った。
画面を見ると、愛美だった。
愛美にはここの住所は教えてあったが、来るのは今日が初めてだ。
 
「どうした?」
「お父さんいるかな?と思って、来てみた。」
「開けるから」
 
エントランスを解錠して、2,3分で家のベルが鳴った。
ドアを開けると、愛美が立っていた。
 
「いきなりだなあ、どうした?」
「ちょっと、渡したいものがあって。上がっていい?」
「ああ」
 
愛美は、リビングに入ると、「広ーい!」と、はしゃいだ。
 
「窓の外、緑で一杯だね。」
「この近くに植物園があるからね。木がいっぱい生えている。借景だよ。」
 
「お父さん、こっち来て。」愛美はリビングの一人掛けのソファに腰かけて、私に言った。
私が座ると、愛美は居住まいを正して、バッグの中から紙包みを取り出した。
 
「はい、これ。」
「なんだい?」
「遅くなったけど、父の日のプレゼントよ。」
「えっ?ああ、そうかあ、父の日かあ。アレって、6月だっけ?」
「そう、3週目の日曜日。」
「今は、7月だし、今日は土曜日だし、全くあってないけどな。」
「まあ、細かい事は、いいじゃない。開けてみて。」
「ああ。」私は、紙袋の中のラッピングされた箱を取り出し、開けてみた。
スマホケースだった。
「スマホケース?」
「そう、お父さんのスマホ、最新型なんだけど、ケースがダサいから。」
「ダサいか?」確かに、私のケースは、暇な休日に何気に駅中の露店みたいなところで買った安物だ。
ケースなんて、スマホを落として時に、本体を守ってくれたら、それだけでいいと思っている。
 
「高いのか?」
「そんな訳ないじゃーん。安いけど、カッコいいでしょう?」
「ああ。」
「じゃあ、スマホ、貸して。つけてあげるから。」
 
愛美は、新しいスマホケースを私のスマホにつけた。
メタリックブルーのケース。なかなか、だった。
 
「昼、食うか?」
「食べる。」
「外、行くか?」
「お父さん、どうしようと思っていたの?」
「一人だし、チャーハンでも作って食おうかと思っていた。」
「それがいい。私、チャーハン、好きだし。外行くより、ここに居たいから。」
「分かった。じゃあ、早速作ろう。」私は、キッチンへ向かった。
 
「お父さん」愛美がリビングでテレビをつけて、チャンネルサーフィンをしながら、私に声を掛けた。
私は、具材を刻んでいる最中だった。
「なんだい?」
「今日、泊っていい?」
 
泊る?
いきなり、予告もなく来て?
 
「まあ、いいけど。」
 
嬉しい気持ちが勝ったのだが、それを声には出さないように気を付けた。
 
 
実は、私は料理が上手い。
大学時代、親からの仕送りをできるだけ抑えるために、3年半ずっと同じ町中華の店で働いていた。
最初の1年は専ら皿洗いだったが、2年目からは厨房の火力の強いコンロの前で中華鍋を振っていた。
 
だから、オーソドックスな中華料理は一通り作れるし、賄で作った色んな料理の関係で、普通に夕食で出るおかずなら大体作れる。
 
私の料理の特徴は、どんな料理でも中華鍋だけで作る事だ。
ハンバーグやステーキも中華鍋で焼く。
素麺を茹でる時も中華鍋だし、蒸し物は、中華鍋に水を張り、上に蒸篭を乗せる。揚げ物だって中華鍋だ。
 
チャーハンは、私の得意料理の一つだ。
具は、卵とハムとナルトとネギだけ。
 
ハムとナルトとネギは、全部、1㎝角ぐらいに切っておく。
中華鍋にサラダ油を多めに入れて、強火で鍋を焼き、油を馴染ませる。
油が鍋肌全体に馴染んで来たら、卵を割り入れる。
この時、卵は人数分の倍を入れる。つまり、1人前なら卵は2個だ。
卵を溶き少し火が入ってきた段階で、顆粒の鶏がらスープの素を少し振る。
次に、ご飯を投入する。このタイミングが一番大切だ。
ご飯の炊き方や熱いのかそれとも冷めているのかは、私には関係ない。兎に角、ご飯を入れるタイミングが肝心だ。玉子は固まった後だと明らかに遅いし、早すぎると卵はごはんに沁み込み過ぎるからだ。
卵の様子を目で見ながら適切なタイミングでごはんを入れる、これが成功の秘訣だ。
 
卵はごはんに絡みつき、いい感じで混ざってきたら後は時間との戦いだ。
まずはハムとナルトを投入し、更に炒める。いよいよ、ご飯がパラパラになって来たなと、思えるところでネギを投入する。そして、ネギに火が入るまで炒め、最後に塩コショウ、そして少しだけの醤油、紹興酒を振りかける。
 
調味料が全部入ると、仕上げの鍋振りをして、全体に味が回るようにする。
 
出来た!
 
私は皿にチャーハンを盛り付ける。
そして、鶏がらスープと醤油、ごま油で作ったスープを椀に注ぐ。そこにネギを入れる。
 
「愛美、出来たぞ!」キッチンから呼んだが、返事がない。
私は、リビングへ行った。
愛美はカウチで寝そべっていた。
 
「愛美!」私は肩を揺らした。
「あ、ああ、お父さん。」
「チャーハン、出来た。」
 
二人でダイニングテーブルを囲んだ。
このテーブルで、二人で食事をするのは初めてだ。
 
愛美は「美味しい、美味しい。」と言い、おかわりをねだった。
そう言うと思っていた。
私は、3人前を作っていた。
 
痩せの大食い。
 
珠美もそうだった。
 
遺伝子は変なところに作用する。
 



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