【連載小説|長編】黒崎透③ 「まずこれまでの経緯を知る」
「お前、よくここが分かったなあ。どこでここを知ったんだ?」
「野崎だよう。うちの野崎らが、一時期、ここによく来てただろう?」
二、三年前の一時期、東京タイタンズの主砲、野崎雄太が何人かのチームメイトを連れて、うちの店に来てた事があった。
彼らを連れてきたのは、占師の梅野貞世だ。
野崎はこの年、不振を極め、悩み続けていた。ある時、知人の紹介で梅野の存在を知り、彼女に自分を占ってもらうようになった。彼が占ってもらった夜は、梅野がうちの店に彼と一緒に来て、うちで一番高いワインを空けるのが恒例になった。
そして、その行動が功を奏し、不振だった野崎はスランプを脱し、見事にホームラン王になった。
その逸話がタイタンズに残っており、今でも梅野は時々、タイタンズの若い選手の奢りで、高いワインをがぶ飲みする夜がある程だ。
「野崎かあ…なるほどな。彼に何となく俺がお前と一緒の高校だった事を話した覚えがあるよ」
「それで、お前の店を知ったんだ」
「そうか、そういう事か。で、何でここにいる?新宿なんて物騒だぞ。すぐに見つかってしまう。お前、雲隠れ中だろう?」
「ああ、そうなんだが、俺が都内に持ってるマンションは自宅で使ってる一軒しかなくって、後は個人事務所だけで、その辺には今は全く近づけないだろう。そんで、別荘はと言うと、ニセコと軽井沢と沖縄なんだよ。どれもさあ、程よく人がいなくって、俺が行くとすぐにバレてしまうと思ったんだ」
「まあそうだろうな。それでずっと都内にいたのか?」
「最初は箱根へ行った。馴染みの高級旅館なら大丈夫なんじゃねえかと思ってな。でも、すぐにバレそうになってるのに気がついて、二日で諦めて、都内に戻った。そっからはホテルのスィートを転々としてな。ほら、年末年始だろう。予約が一杯だったりして、中々連泊できなくてな。苦労してたんだよ」
「移動はどうしてたんだ?」
「タイタンズの後輩だったヤツに連絡して、そいつのトヨタアクアを借りて、そいつにはオレのベンツを貸して…まあそんな事だ」
「アクア?何色だ?」
「水色だ」
「水色のアクア?そりゃバレねえなあ。お前には似合わない感じがする」
「そうなんだよ。これが効果てきめんで…今のところ絶対にバレてねえんだ」
ノックがあった。
英郎君が私を呼んだ。
私はオフィスの外へ出た。
「黒さん、2階の花小路の女将さんと、4階のダーツバーの雅也さんから電話が入ったんですけど、このビルにマスコミが来てるっぽいっすよ」
「なんか、訊かれたのか?」
「いや何も…でも、一見で店内はいるなりきょろきょろして、挙動不審で…そんで、一杯だけ飲んで出て行くを繰り返してるみたいです」
店の電話が鳴った。
「多分、5階か6階の店からだろう。英郎君、出てくれないか。それで、相手には「心配ない」と、言っておいてくれ」
「分かりました。でも黒さん、本当に心配ないんっすか?」
「心配?大ありだよ。今、ここにいるのは中野惟人だ」
「えっ、SNSで騒がれてる、あの中野さんっすか?」
「そうだ、その中野だ。俺を頼ってきたんだよ。何とかしないといけない。俺は中野を連れて上に行くから、君はいつも通り5時までは店をやって、時間が来たら早々に店を閉めて、普通に帰ってくれ。後の事はおいおい電話で話そう。まさか、盗聴とかはされないと思うから」
「分かりました」
私はオフィスに戻った。
中野は話を全部聞いてたようだった。
「何が水色のアクアだ。バレバレじゃねえか」と呟いた。
「そう、ここはマズいから上に行こう」
「上には何があるんだ?」
「俺の住処がある」
「えっ、お前の家?悪いな」
「ああ、大迷惑だよ。でも仕方がない。行くぞ」
私たちは店の裏にある非常用階段で10階へ上がった。