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【連載小説】六浦敏郎 ラーメン屋の店主になる ⑬

寸胴に湯が沸いた頃に裏口が開き、菅原が入ってきた。
「おはようござーまーす!野菜を届けに来ました」
彼は今日も元気だ。
「ありがとう。厨房のカウンターへ置いてくれますか?」
私は鶏ガラと二種類の節をそれぞれの寸胴に投入しながら言った。
彼が野菜の入った段ボールを置くと、私は長ネギと生姜を取り出して、水洗いして、生姜は皮を荒く剥いてから入れた。
「六浦さん、手際いいっすね。俺、料理はからっきしだから尊敬しちゃいますよ」
「あれ、そうかい?八百屋さんだから、包丁捌きはいいと思ってたんだけどな」
「いやあ、俺は専ら仕入れと配達専門で…店先はお袋と妹夫婦で回してますし、あっ、そうそう、メンマも持ってきました。このメンマとキムチは妹の旦那が作るんですよ。ヤツは元々漬物屋で働いてたらしくってね」そう言いながら、菅原が段ボールの中からタッパに入ったメンマを出してきた。
「そうなんだ。どれ、一つ試食してみようかな」私は蓋を開け、一つ摘まんで食べた。歯触りが楽しいメンマだった。
「美味いね」
「ありがとうございます。健(タケル)喜びますよ。」
「タケルっていうのは、義理の弟さんの名前?」
「そうっす」
「その健さんと妹さんとお母さんで店を切り回してると?」
「そう、だから俺は専ら朝しか、仕事らしい仕事はなくて…で、六浦さん、ちょっと相談があるんすけど…」
「いいよ、それで。やってくれよ」
「えっ、俺、何も言ってないっすけど…」
「そんなの分かるさ。今日11時半までにここへ来て。詳しくはそれで決めよう」
「ありがとうございます。じゃあ、11時半にまた来ます」
「ああ、宜しく」
 
菅原は帰っていった。
私はホウレン草とモヤシを茹でるために中華鍋で湯を沸かし始めた。
 
 
一時間経ったので、節の方の火を止めた。
後は鶏ガラだけになったので、私はそれにかかりきりになっていたが、少し休憩しようと客席に戻った。
大きな水筒にアイスコーヒーを入れてきたので、それを飲む事にした。
コーヒーを店のグラスに注いでいると、スマホが鳴った。
愛美からだった。

後一駅なんで、10分後に駅のロータリーまで迎えに来て

そうそう、迎えに行かなくてはならないんだった…
店の戸締りをしたり、火を止めたり、色々面倒だな… 
 
鶏ガラの火を止めた。
裏口が開いた。
「六浦さん、いるかい?チャーシューと餃子を持ってきたぜ」
小松屋の親父さんだった。
「ありがとうございます」
「あんた、朝飯食ったかい?」
「ええ、食べてきましたけど…」
「何だ、食っちまってんのか…俺、茶粥を作ってきたんだけどな…後さあ、ここの味噌でみそ汁作ろうと思って、豆腐も持ってきたんだ。ちょっと、厨房貸してくれるか?なあ、食わねえか、茶粥?一緒に食いたいんだよ」
「分かりました。食べましょう。厨房使っていいですよ。小松さん、ちょっと店番お願いできますか?」
「どうした?」
「ちょっと、娘を駅まで迎えに行かなければならなくて…ああ、そうそう、茶粥ですが、3人前はありますか?」
「それは娘の分か?」
「ええ」
 
私のスマホが鳴った。また愛美からだった。
 
駅前で菅原さんに会ったので、菅原さんにそっちまで送ってもらう事になったから
 
「小松さん、すいません。その茶粥、4人分足りますか?」
「4人分?ちょっと少ないが、まあ、なんとかいけんじゃねえか?娘以外に誰か来るのかい?」
「野方商店の菅原君です。」
「ああ、アイツか。まあ、大丈夫だ…」
「で、迎えは?」
「行かなくてもいいみたいです。菅原君が乗せてきてくれるみたいで」
「そうかい」

「おはようございます。あっ、ひょっとして茶粥?ほうじ茶の良い匂いがするんだけど…」
「ほらね」
「本当だな。お嬢ちゃん、俺の茶粥食べるかい?」
「いただきます」
「俺の分もありますか?」後から入ってきた菅原が訊いた。
「ああ、大丈夫だよ。味噌汁がもうじき出来るんで、もうちょっと待ってな」
 
小松は、節の出汁と信州味噌で味噌汁を作った。豆腐を持ってきたようで、豆腐と長ネギというシンプルな具の味噌汁だった。
 
茶粥と味噌汁、付け合わせは奈良漬け、塩昆布という身体に良さそうな朝食をみんなで食べた。
茶粥も我が家では定番の朝食メニューなので、愛美は美味しそうに食べてたし、菅原は「これはトレーニング前の食事には打ってつけですね」と、元Jリーガーらしいコメントをした。

本当に美味い茶粥だった。中でも奈良漬けが最高だった。私は後でこの奈良漬けをどこで買うのかを小松に訊こうと思った。
 
みんなで食べていると、小松の様子がおかしくなった。
 
みんなは完食したが、小松は残してしまい、「茶碗を片すぜ」と言い、食卓の茶碗を全部トレイに載せて、厨房へ持って行った。そして、人で食器を洗い始めた。
手伝おうと私が彼の横に行くと、彼は泣いていた。
「嬉しいなあ…昔に戻ったみてえだ。息子の貞義が急に厨房で倒れて死んで、それから二か月も経たねえうちに、かかあの調子が悪くなって、そっから半年で死んじまって…それから俺は何もやる気にならねえで…いっそ俺も死んじまおうかと思ったりもしたんだが、どうにも俺は健康でな…自分で死ぬなんてな事は勇気がなくてできなくて…酒ばっか食らって…それでも死ねなくて…それがだよ、川田屋の栄次郎のお陰で、こうしてウチの朝食をみんなで食えてなあ…ずっと一人だったもんなあ…」
「良かったじゃないですか。店がオープンしたら、私はもうここには来なくなりますので…ああ、そうだ。これから川田屋の朝食は小松さんの茶粥と決めましょう。そしたら、奥さんも諒太君も喜ぶでしょう。後、菅原君もね」と私が言った。
「来ないって、どういう事だい?」
「私は川田屋さんの味噌ラーメンの味を復活できるように頼まれただけで、私には他に仕事がありますので、川田屋の味噌ラーメンが復活出来たら、後は奥さんに作り方を教えて、奥さんが店を切り盛りするのです。」
「ええ、あの嫁さんだけで?」
「そう思うでしょう?小松さん、そこでご相談があります…」
 
愛美が割ってきた。
「お話し中、すいません。お父さん、ちょっといい?今、川田さんのお母さんからメールが来たんだけど、今日、外泊許可が出たらしくって、お母さんも諒太君も。今から私と菅原さんで迎えに行ってくるわ。菅原さんの軽トラ置いて、ウチの車で行くんで。いいでしょう?」
「分かった、いいよ」
「じゃあ行ってくる」
 
「で、相談って?」
「分かってるでしょう?」
「まあな」
「この店で、小松屋のチャーハンを復活させましょう」
「そうだな」
「今日の昼、チャーハン作れます?」
「何人前だ?」
「多分十人は超えます」
「じゃあ、飯を炊かないとだな。すぐに店に戻って、飯を炊くわ」
「お願いします」
「分かった」
そう言って、小松は自分の店へと戻っていった。
 

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