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【連載小説|長編】黒崎透⑥「いよいよ戦闘モードの入る」


うちのビルの一階にあるオビワン・カフェは、なんと朝8時から開店している。
店主の中川君は生真面目な性格で、「朝美味しいコーヒーを飲みたくなるお客さんに、自分のコーヒーを提供したい」という思いからオープン時間を設定しているそうだ。
と言っても、「ここは新宿で歌舞伎町の入り口近くの店だぜ。そんな客はいるのかね」と、当初私が訝ったのだが、私の懸念は吹き飛び、彼のカフェは、「朝イチに混雑する事で有名な新宿にあるカフェ」という事で、認知度が上がっている。

中川君は相当な変わり者で、ネットで見つけたアメリカのバリスタに師事するために、アーカンソー州リトルロックまで単身で飛び、5年間も修業した後に帰国して、ここに店を構えた。
彼の妻は、日系4世のアメリカ人だが、家の中で日本語があったようで、流ちょうな日本語を喋る。彼女の名前はキャサリンだが、何故か、店ではケイコと名乗っている。
理由を聞くと、「自分のキャサリンもケイコもKから始まるから」という不可解な答えが返ってくる。
中川君は、下の名前を秀一といい、ケイコはシューと呼んでいる。

オビワン・カフェは名前の通り、中川君が熱狂的なスターウォーズファンである事から名付けた名前で、店内には彼が集めたグッズが展示されている。
昼以降の客は、このグッズ目当てに来る客が殆どで、実物大のダースベイダーのフィギアの横で写真を撮ったりする。

中川君は、店を16時には閉めてしまう。
その後の時間、彼はケイコと楽しく過ごす事を心掛けている。
そんなテナントの店主は、オーナーとしては大変ありがたい。
何しろ、真面目で一途なところが良い。
彼は私に厄介事を持ってきた事はないし、その兆候もない。


その彼がだ。


私に9時に電話をしてきた。
朝から夕方までは私は完全オフだと伝えてあるにもかかわらずだ。
大体の日、私は朝9時は酔っ払っているし、それは彼はよく知ってる筈なのだ。

中川君から朝9時に電話が来る。

これを受けずにはおれないだろう。
何事なのだ?

「黒さん、今ちょっといいですか?」
「ああ、この電話で起きたところだよ。何だい?」
「じゃあお酒は飲んでない?」
「飲んでない。爽快な寝起きだよ」
「良かった。じゃあ話しますね。今朝、いつものように8時に店を開けたら、いつものお客さんとは違う客がたくさん来て…最初は二、三人だったんですが、あっという間に十人になって…」
「どういう事だい?話が見えないんだが…」
「いや、今ウチのビルの周りに沢山のTVカメラが来てるんですよ。後、普通のカメラの人も」
「どれぐらい来てる?」
「TVカメラは10台はありますね。カメラマンや、マイクを持ってる人や、レポーターみたいな人、それに普通のカメラ持ってる人が20人ぐらいかな?全部で50人以上はいると思います。」
「分かった。じゃあ、すぐに降りていくよ。但し、普通の客を装うから、君もそのように応対してよ」
「分かりました。でも、黒さん、何でこんな事になったんですか?」
「誰にも言うなよ。特にそこにいるマスコミの連中には…今は大丈夫か?君の周りにマスコミはいない?」
「大丈夫です。うちのスタッフルームからかけてます」
「分かった。君は中野惟人って知ってるかい?」
「ええ、今話題になってる人ですよね。もしかして、その中野さんがここにいるんですか?」
「電話で名前を出すなよ。そう、彼が僕の部屋に泊まっているんだ。彼は高校の同級生でね」
「そうですか…そりゃ大変だな。まあとにかく、詳しい話は降りてこられてからにしましょう。僕が「営業妨害だ」と、マスコミの人たちに言いに行ってもいいんでね」
「何だ、協力してくれるのかい?」
「そりゃそうですよ。黒さんが匿ってるんでしょう。それなら僕らも協力しない訳にはいかないでしょう」
「そうか、助かるよ。じゃあ、後で…あっ、そうそう、僕の朝食スペシャルを二人前作っておいてくれないか?降りた時に受け取るから」
「分かりました。用意しておきます」

私は寝床を出て、シャワーを浴びに行った。勿論朝一杯のコーヒーを飲んでからだ。
今日は朝から戦闘モードで行かなければならなくなった。それなら身だしなみは大切だ。

入念にシャワーを浴び、髭を剃り、髪を整えてから私は、よく考えて着替えをした。
いつものようなラフな格好は良くないと思ったので、プレスしてあるブルーのワイシャツに、ライトグレーのトラウザーズを履き、濃紺のベストの上に、グレーのハリスツイードのジャケットを着た。靴は黒いハーフブーツにした。
着替えが終わると、私は隣の部屋へ向かった。

ノックした後、ドアを開けると、中野はもう起きていて、腕立て伏せをやっていた。

「おうどうした?早くから正装だな」
「下にマスコミがうじゃうじゃいるらしい」
「ああそうか、早いな」
「なんでだ?」
「分からん。でも、局から声明が出たからだろう」
「何の声明だ?」

中野は腕立て伏せを止めて、ベッドに置いてある自分のスマホを操作して、ネット記事を開いてみせた。


一部週刊誌等における弊社社員に関する報道について
このたび一部週刊誌等の記事において、弊社社員に関する報道がありました。
内容については事実でないことが含まれており…


「なんだこれは?」
「俺がさ、迷惑かけて解決金を支払ったのは、TV局の女子アナだったんだ。そこの局がさ、この声明を今朝出したんだ」
「お前、本当にその女子アナに迷惑かけたのか?」
「ああ、それは本当だ。じゃなかったら、何千万も解決金で支払ったりしねえよ」
「何でだ?何でそんな事をした?」
「酔ってたんだよ。ベロベロに…だから、よく覚えてねえんだ。これは本当だ。信じてくれ」
「信じはしないが、一応聞いといてやるよ」
「で、マスコミはどんなだ?沢山なのか?」
「ああ、聞くところによると50名以上はいるようだ」
「お前はどうするつもりだ?俺を売るのか?今なら、奴らは高く買ってくれるぜ」
「まず、売る、売らないの話じゃない。いきがかり上、仕方がないから、ここにお前はいないという事で対処するつもりだ」
「それで、お前はいいのか?」
「良いか、悪いかという観点で見れば、良くはない。だが仕方がない。俺は知り合いを簡単に見過ごしたり、売ったりはしない」
「助かるよ。恩に着る」
「その恩は安いよ。まあお前はここで息を潜めてろ。窓のシェードは開けるなよ。俺は今から下に降りていく。それでマスコミを対処した後で、朝食を持って上がってくる。お前はそれまでにシャワーを浴びて、着替えて待ってろ」
「着替えるって言っても…」
「俺のベッドの上に、貰い物のゴルフウェアを置いてある。上も下もだ。下着はないので、今のヤツを着まわせ。後で必要な物は買い物へ行ってくるからそれまでの辛抱だ」
「えっ、昨日の下着を着るのか?」
「潔癖症な奴だな。それぐらい我慢しろ。じゃあ、下に行ってくる」
「分かった。頼むよ。俺、信じてるから」
「さっきの恩と言い、今の信じてるって言葉も、お前のは安いな。まあいいや、行ってくるわ」
そう言って、私は中野の部屋を出て、階段を降り、9階からエレベーターで降りた。

※勿論、全面的にフィクションです。
見てきたかのように書いてます。

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