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【短編|ヒューマン】眠りにつく(2/2)

「梶山さん」
「ああ、井上君、どうだった?」
「いやあ、やっぱり、医師の判断としても、病院としても、もう半日が限界みたいですね。ホントなら、後3時間なんですけど、一応、今日の17時までは、待ってもらう事になりました」
「そうか、半日かあ… 厳しいなあ… 佐賀県警から何か言ってきてるか?」
「いやあ、松山健文さん自身が、末っ子ですから、ご兄弟はもう既に他界されてますし、お子さん方も健文さんとは何も交流がなかったみたいで… 急に脳死の判定を受けて、同意書をと言われても… という人ばかりみたいで… 誰も協力しないのは変わりないです。」
「まあなあ… 健文さん、93歳だっけ… 長生きだもんなあ… 亡くなった、奥さんの佐代子さんは90歳だっけか… 長命夫婦で老老介護じゃあな。後、協力で来そうな親族はいないのか?本当に、子供は息子の雅文さんと、恭子さんだけなのか?」
「それは間違いないです」
「じゃあ無理だなあ。雅文さんは、39年前に海外赴任で、家族ともどもデトロイトに住んで、ハイウェイの交通事故で家族全員亡くなってるんだろう?で、妹の恭子さんは更に古く、51年前に恭子さんが高校生の時に、薬物中毒の療養所に入ってて、発作的に自殺したとかで… 子供は二人とも死んでしまってるんじゃあ、もうお手上げだなあ」
「それで、どうなります?」
「分からんよ。全ては上が判断する事だ。現段階で言える事は、今回の事案は、極めて事件性が高いとは思う。松山健文氏は、今日までの3 年間、脳梗塞の後遺症で、左半身麻痺してる妻の佐代子さんを自宅で一人で介護し続けた。しかし、昨日の朝、佐代子さんはベッドから落ちて、頭を強く打ち、そのまま亡くなった。ベッドから落ちた佐代子さんの遺体を押したような事が分かる形で、健文さんはベッドの斜めに覆いかぶさるように倒れていた。健文さんは、脳出血を引き起こしていた。現場の二人の位置関係から、どう見てもベッドに寝ている佐代子さんを横から健文さんが、全力で床に落としたものと思われる。佐代子さんが床に叩きつけられるぐらいの力でね。そんなに力いっぱい落としたもんだから、健文さんはベッドに倒れ込む事になった。そして、健文さんの頭に、点滴の吊り棒が落ちてきた。まあ、司法解剖しないと分からんが、脳死に至った原因は、吊り棒で頭を打った事か、それとも出した事がないほどの力を出して、佐代子さんをベッドから押し出した時に、血管が切れたか… いずれにせよ、佐代子さんは、健文さんの手で殺され、健文さん自身は、思いがけず… という事じゃないかなあ…」
「でも、立証するのは難しそうですよねえ… 古い一軒家で、何も録画装置なんかもないし、家にはずっと二人きりだったみたいなようですから… 」
「そう、現場の状況から、推定する事はできるが、それはあくまで推測の域を出ない。立証は難しいよね」
「よしんば、立証できたとしても、このまま健文さんの脳死が確定したら、被疑者死亡のまま、送検という事になりますよね… 」
「そうだ。でも、それが良い事なのかは分からないがね。」
「それで、どうします?」
「さっきも言ったように、俺には分らんよ。上に判断してもらおう。我々は引き上げだ。ただ…」
「ただ?」
「健文さんの寝顔を見ろよ。うっすら笑ってるようにも見えるぐらい、穏やかな顔してるじゃないか… 」
「そうですね… 気持ちよく寝ているみたいな顔だ」
「なら、それでいいんじゃねえか。井上君、署に帰ろう」
「分かりました。帰りましょう」
 
 

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