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【連載小説】六浦敏郎 ラーメン屋の店主になる ⑤

エアコンが効いてきて、客席なら快適に過ごせるようになってきたが、厨房の中は相変わらず暑かった。
私はずっと二つの寸胴を時折掻き回しながら、表面を見続けていた。
私がこんな大きな寸胴鍋で大量の出汁をとるのは、実は初めてだ。大学生の時にバイトで町中華の店にいた時は、出汁は店主だった長沢の親父さんだけの仕事だった。
「スープはあらゆる料理の基本の味」だと、長沢の親父は言っていた。
懐かしい…
いやノスタルジックな感傷に浸っている場合ではない。
その当時の記憶から、私は鶏ガラを2時間炊く事にした。節は、当時使ってなかったので、よく分からないのだが、普通に料理する時のイメージから1時間で火を止めた。
 
節のコンロの火が消えただけなのだが、それでも厨房内の温度が少し下がったような気がした。
この出汁を濾さなければならない…私はザルを探した。
 
「すいません」
またも来客だ。シャッターは閉めておかないといけないのかもしれない…
引き戸が開くと、制服を着た警官が二人で入ってきた。
「すいません、さっき、ここへ救急が来たでしょう?それでうちにも連絡が来まして、搬送した病院には行って、運ばれた川田諒太君と付き添いの六浦愛美さん、そして諒太君のお母さんである千代美さんから話は聞けたんですけどね。一応、ここでも話を聞いておきたくて来ました。今、お忙しいですが?」と、年上の50代と思しき警官が私に言った。
「いや、30分ぐらいなら大丈夫です。30分後は火を止めたり、色々と忙しくなりますが…」
「いや、いや、そんなには時間をかけませんよ。座って話しても大丈夫ですか?」
「ええ」私は厨房を出て、氷水の入ったグラスを3つトレイに載せて、テーブルへ行った。
「水しかありませんが、よければどうぞ」
「いや、ありがたいです。頂戴します。」と言いながら、年上の警官はゴクゴクと飲んだ。
一緒に来た多分20代の若い警官は、年上の警官が飲み干すのを見てから水を飲んだ。
私も一気に水を飲み干し、「さあ、話しましょうか?」と言った。
事情聴取が始まった。
 
私は今朝ここで起きた事、私たち親子が今朝ここに来た経緯などを話した。
 
私への質問は年上の警官が行い、若い警官は細かくメモを取っていた。
 
私は一通りの説明をし終えた。質問にも全部答えた。
 
「いや、沢山話していただいて恐縮でした。我々が病院で諒太君や愛美さんからお聞きした内容と一切の祖語もなく、辻褄が合います。これで報告書をまとめます。六浦さん、ご協力ありがとうございました。」
「いえ、無事に終わって、僕も安心しました。」
「そうですね、警察に事情を聞かれるなんて、なかなかないでしょうからね。分かります。ところで、六浦さん、私からもう一つ、質問させてもらってもいいですか?」
「何でしょうか?」
「川田屋のラーメンをあなたは復活できますか?」
「それはまだ分かりません。今朝始めたばっかりですので、まだ全然手探りです。」
「そうですか…いや、我々も陰ながら応援しておりますので、頑張って下さい。うちの署はね、この幹線道路を500mほど行ったところにありまして、この店には大変お世話になったんですよ。うちの署でここのラーメンの味を知らない者はいないと断言できます。みんなここのラーメンに癒されたり、温めてもらったり、とにかくいい思い出しかない味だと言い切れます。だから、六浦さん、どうか、ここの味噌ラーメンを復活させて下さい。我々からもお願い致します。これはうちの署全員の総意だと思ってます。何卒宜しくお願いします。」そう言って、警官は私の両手を強く握った。
「できる限りの事をやってみます。ありがとうございます。」
「では、頑張ってください。我々はこれで失礼します。」
警官は出て行った。
丁度30分経った。
私は、鳥ガラの鍋の火を切りに行った。
 
警察署全員で?
 
 
 
二種類の出汁が出来た。私は早速割合を変えて味見してみた。そして、自分なりの結論として、まずは鶏ガラ6:4宗田節、鯖節という線を見つけた。
次は味噌の配合だ。写真を見ると、ここの味噌ラーメンは白味噌を使ってる割にスープが茶色いような気がした。なので、最初は、白味噌5:5信州味噌という割合でスープを仕上げてみた。すると、少し辛めのスープが出来た。
これが正解かどうかは私には分からないので、出汁、味噌とも割合を変えたものを後、3種類作った。できたスープは丼に入れてラップをかけ、ラップに大きく割合を書いて、冷蔵庫に入れた。
スープはこれで今日は終わりだ。

次に私は仕入れ帳簿を見て、白百合製麺所へ電話をかけた。

 
ちょっと不思議に思っていた。
店の裏にトタン板を組み合わせた小屋があり、そこには自家製の麺が作れる製麺機があった。なのに、仕入れ帳簿には白百合製麺所から麺を仕入れてる事になっている。
でも、その疑問は電話をかけてすぐに解けた。
 
「はい、社会福祉法人、白百合会ですが…」年配の女性の声が聞こえた。
「そちらは白百合製麺所ではありませんか?」
「ああ、白百合製麺所です。川田屋さんですか?」
「ええ、まあ、あの、私、亡くなった川田屋さんのご主人の作ってたラーメンを復活させるように頼まれた者で、六浦と言います。」
「ああ、そうですか、そうですか、六浦さん、で、ご用件は?」
「ええ、大変申し上げにくいんですが、まだ味全体が定まってないので、明日から店を開けるという訳には行かないんで、取り敢えず明日、20食分だけ、麺を納品していただけないかと思いまして…」
「20?20は多くありません?10ぐらいでいいんじゃないかと思いますけど、如何でしょう?」
「それはそっちの方がありがたいですけど…そんな少量での発注も受けていただけるのですか?」
「いや、普通は受けないですけど…なにせ、お世話になった川田屋さんの頼みでしたら、お聞きしない訳にはいきませんものね。川田屋さんの麺をまた作れるって、子供たちも喜びますわ。」
「子供たちって、そちらはどのような施設なんですか?」
「あら、ご存じじゃないんですか?うちは障害児の職業支援施設です。だから、子どもたちって言っても、もうすぐ40歳の人もいるの。」
「そうなんですね、全く知りませんで申し訳ないです。じゃあとくかく明日から取り敢えず1週間は、10食分をお届けいただけますか?」
「分かりました。明日、いつも通り11時までにお届けします。それでいいかしら?」
「ええ、大丈夫です。お支払いはどうしましょう?」
「それはお店が完全に復活して、リニューアル開店して、麺の発注が以前通りになってから、まとめてお支払いで結構です。」
「ええ、そんなんでいいんですか?」
「うちは、今じゃ川田屋さん以外の麺は作ってませんでしたからね。それ以外の仕事をみんなやってて、でも、みんな川田屋さんの麺作りをやりたかったんですよ。だから、みんなのためにやらせて下さい。お願いするわ。」
「お願いだなんてそんな…こっちがお願いですよ。じゃあ、明日、まずは10食分お願いします。失礼ですが、お名前、お聞きしてもいいですか?」
「私、私は白川小百合です。もう70歳のおばあちゃんだけど、一応、ここの理事長です。私がここを作ったの。白川の白と小百合の百合を取って、白百合会。今時ダサい名前だわよね?」
「いや、いやそんな事はないですよ。素敵な名前だ。」
「まあおべんちゃらはいいから。じゃあ、明日宜しく」
「こちらこそ、宜しくお願いします。」
 
次はチャーシューの肉と餃子だ。おかしな事に二つとも同じ「小松屋」というところに発注しているみたいだ。

私は小松屋に電話をかけた。
 

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