
【連載小説|長編】黒崎透⑧「バトル」
「あそこにTVカメラがいるの見えるでしょう?今からカメラを呼んで、このお店を取材させてもらえないかしら?こんなひどい対応初めてだから、是非ともインタビューしたいんだけど、如何ですか?勿論、音声も変えるし、映像にはモザイクをかけて、どこの店かは特定できないようにするから」
「何を取材すると…」
中川君を遮って、私がこの横柄な女の前に立った。
「いや、困りますね!」
「何ですか、藪から棒に!あなた、誰ですか?」
「私はこのビルのオーナーです。あなた方、マスコミは私のビルの営業妨害をしようとしている。これは看過できません。今すぐ、この店から出て下さい。私の所有物である当ビルへの侵入は今後一切認めませんので、ご了承ください」
「何を言ってます?私たちは今、ここでコーヒーを買おうとしていただけの客なのに?」
「嘘をつきなさい。あなたは今、この店にカメラを入れて、取材しようとしていたじゃないですか?」
「嘘?何て失礼な!それはこの店の客への対応の横暴さをリポートしようと思っただけで…それが何でいけないのですか?」
「この店が、横暴?どこがですか?」
「それはさっきも言いました。もう一度言わせる気?」
「何度でも」
「本気で腹立つわあ…何、この店?マジでカメラ回してもいいですか?」
「いや、ダメですね。一切お断りします」
「じゃあいいです。このカフェの事は諦めます。何てマナーが悪い店なんだろうって思う事にして…あなたさっき、このビルのオーナーだと仰いましたよね」
「ええ、それが?」
「私、JMXテレビの「午後ワイド」という番組でレポーターをやってます富士見真澄と言います。名刺交換をお願いできますでしょうか?」
「遠慮しておきますよ」
「何故?」
「私には、あなたと近しくならないといけない理由がない」
「じゃあお名前を教えていただけませんか?」
「それもお断りします」
「調べれば分かるのに?」
「じゃあ調べればいい」
「何ですか、このビルは?客商売をしているビルじゃないの?!」
女がついにキレて、大声で私に向かって怒鳴った。
すると、通りの向こうで待機していたマスコミ連中がぞろぞろと店前まで移動し始め、あるものはカメラを構えだした。きっともう撮っているのだろう。スチールカメラマンは、バシバシフラッシュを焚いている。
「客?確かにうちはお客様のための商業ビルですが、あなた達は客ではないでしょう?」
「あら変な事言うわね。私は立派な客です。ここにコーヒーを買いに来た。」
「違うね。あなたは立派でもないし、客でもない。あなた方は別に目的があって、今ここに来てるんだろう?で、ビルは夜の店のビルだから一階のこのカフェ以外は全部閉まってて、それでビルの中の様子見や、ちょっとした手掛かりを求めてここにコーヒーを買いに来ただけだろう?」
しかし遅い。
神楽坂から新宿だ。
もう来てもいい頃なんだが…
時間潰しにも限界があるぞ…
「そうだとしても、コーヒーを買いに来た事には変わりはないわ。やっぱり私は客です。さあ、私たちにコーヒーを売るようにここの店主に言って下さい」
「断る。あんたたちが飲むコーヒーはここにはないよ。他を当たってくれ」
「何故?拒否ですか?」
「拒否?拒否なんかじゃない。客を選んでいるだけだよ。店側にも客を選ぶ権利がある。あんまりしつこいとカスハラで訴えるよ」
「それならうちも番組内でこれを取り上げますよ」
「それはできない相談だね。一切の肖像権侵害で訴えるだけだし、もし、そっちが勝手に番組で流したりしたら、こっちにも考えがある…」
「このビルの肖像権等の取扱いの説明書を配布します」
背後から声がした。
やっと来た…
私の顧問弁護士の残間英二が私の前に立った。
すると、店の前にいたマスコミの群れがどんどん前へとせり上がってきた。
「紙は必要な分、各社にお配りしますが、簡単に口頭で説明しますと、今日この時間から、このビルの外観は勿論、内部までたとえボカシが入っていても、一切の放送を許可しません。撮影は勿論禁止です。守らなかった会社は即訴えます。それにこのビルの関係者への外での取材、インタビューも禁止です。以上です。なお、私はこのビルの顧問弁護士の残間と言います。うちの事務所は神楽坂にありますので、詳しいお問い合わせはそちらまでお願いします。勝手にこのビルと接触しないようにお願いします」
「ええ?なんかさあ、この女性が店で揉めてるなって、外から見てたんですけど…いきなりどういう事ですか?ウチにまでトバッチリを食らうんですか?」と、細面の中年男性が甲高い声で吠えた。
「それは関係ございません。この方がここで店と揉めようが揉めまいが、いずれにせよこの通達は為されるものでした。ですから、急にそんなにいきりたたれても困りますし、このお店の営業妨害にもなりますので、どうか大声で叫んだりしないで下さい」
これを聞いて、外にいたマスコミ連中が口々に騒ぎ始めた。
残間君の言い方がきつく聞こえたのだろう。
「どういう事なんだよ!」
「コーヒーぐらい飲ませてもいいじゃねえか!」
「マスコミを敵に回すつもりか?なめんじゃねえぞ!」
「俺らは仕事で来てんだぞ!」
やった!
ハマった。
「仕事?何の仕事ですか?」と、私が言った。
「仕事?仕事…まあ仕事だ!仕事じゃなけりゃ、カメラ背負ってなんかいる訳ねえだろ!」と初老のガッチリとした体形の男が言った。
「松田さん、黙って!しゃべるのは私の仕事だから」
「ああ、作田ちゃん、ごめん…」
カメラマンの横に立つ若い女性が窘めるように言うと、カメラマンはしょげて謝った。
「それで、どんな仕事なんですか?何を取材しに来たんですか?まさか、ここのコーヒーを取材したかった訳ではないでしょう?」
私の隣りでは残間がせっせと持ってきたA4の紙を配っており、紙をもらった各社のレポーターや記者たちは、その内容を読み、残間へ質問を繰り返している。
「私、ZTVの作田弥生と言います。確かに私たちはこのカフェを取材しに来た訳ではありません。でも、取材対象が現在行方不明のために詳細な情報を開示できないのです」
「詳細な情報?そんなのはいりませんよ。私はただあなた方が今、ここに来て、カメラを回そうとしている理由が訊きたいだけだ。しかも、あなたも今配られたその紙には、ここのオーナーとして、一切の取材を拒否すると私が警告しているのを知ったうえでだ。どういう料簡だい?」
「それは秘匿事項なので、お答えできません。私たちには報道の自由がありますので、オーナーの意向に沿ったうえで、出来る限りの取材を試みたいと思います」
「出来る限りって?どうやって?ビル内への侵入はおろか、外観でさえも規制してるんだぜ。どうやって取材するんだい?」
「待ちます」
「待つって、誰を?」
「取材対象を」
「その取材対象ってヤツがこのビルにいるって言うのかい?」
「そう睨んでます」
「睨む?あなたのようなきれいな女性が言うと似合わないね…ああ、これも何かのハラスメントになるか…発言を取り消します。それで訊きたいんだけど、ずっと通りの向こうで三脚立ててるカメラが三台あるよね。あれって、お宅のカメラもあるの?」
「ええ、真ん中のカメラがうちのです」
「あれって、まさか回してないよね。今日の夕方にTV見てたら、急にモザイクだらけで音無しで流れたりしないよね?」
「いえ…一応念のため、押さえで撮ってます。でも許可なしに放送したりなんてしません。こんな警告を受けたんじゃ…」
「まあいいよ。どうせ撮ってると思っていたから…ここからはあなただけではなく、皆さん全員に話さないといけない。皆さん、聞いてください」
残間の周りで噛みついていた者や、私たちの言い合いにマイクやカメラを向けていた者達が一斉に私を見た。
私は後ろを振り返った。
デビッドや客を装ったデビッドの仲間、そして正純とヤン、バッファローが見えた。みんな親指を立てていた。
OKだ!
「皆さん、ここまでの間で、隠し撮りや録音を散々してると思いますが、それはすべてここで消去して下さい。消去に応じない場合は、私たちは、こうなる前に皆さんがこの店の通りの向こう側で待機していた時に、全員の顔写真をアップで押さえてあります。また、この店でこのような事が起きた当初からずっと、お客様全員がすべて、スマホで動画を撮影し、音声も残しております。勿論、この店の防犯カメラも録画、録音しております。もし、この状況が皆さんの媒体のいずれかでオープンになったりしたら、私たちはみなさんの顔写真を全員分、SNSで拡散します。私たちは顔写真はあっても、だれがどの媒体の方なのかを知りませんので、連帯責任を取っていただき、全員を晒します。勿論、こちらが思うようにコメントもさせていただきます。また、お客様の動画は、各自勝手に切り取るでしょう。それを通告しますので、後は各社でご判断下さい」
マスコミ連中はざわつき始めた。
記者やレポーターは、自分では判断できず、それぞれ電話をしに通りの隅へと走っていった。
一瞬、店前の群れは人が少なくなったが、すぐに戻ってき始めた。
そして、レポーターや記者の指示でカメラマンはカメラを下した。
「ご協力、ありがとうございます」
「こっちは、あんたの要求に従った。だから、あんたたちも画像や動画を削除するようにしてくれ」さっきのマッチョカメラマンが言った。
「いえ、それは私には命令できませんね」
「何でだ?」
「彼らは任意で行っているからです。つまり個人の自由だ」
「そんな?どうせお前が指示した事だろうが!」」狐目のイヤな感じの若い記者が吠えた。
「私が指示?何か証拠でもありますか?」
「証拠?証拠なんてないが、そうに決まってる!」
「証拠も提示できないのに、勝手に決めつけて、放送する。それでも、あなた方はジャーナリストなんですか?止した方がいい」
「何だと…」
「まあ止めときなさい。フリーダムの高田さん。ここは私に任せて…私はPOPUPという午前中の情報番組で20年来レポーターをやってます梓と言います。梓公二郎」
「梓さん」
梓公二郎は、年齢は私と極めて近そうだが、背は高く、節制しているせいか、体形は整っている男性だった。そう言えば何となく見た事があるような顔だが、そもそも私が朝の情報番組に出ている人を見た事がある訳がない。きっと、見た事がある感がしただけだ。
「オーナーさん…さっきネット調べたところ、間違ってなければですが、あなたは黒崎透さんですよね?」
「如何にも、黒崎です」
「ああよかった。ネットは誤情報や情報更新が遅かったりで、中々信用なりませんからねえ」
「そうですかねえ?私はTVやオールドメディアの方がよっぽど信用ならないと感じてますが…」
「いやあ、痛い事をずけずけと言いますねえ…まあ、そんな世情の風潮もありますが…でね、黒崎さん、私は本当の事を言おうと思ってます」
「本当の事?どんな?」
「今、我々がここにいる理由ですよ」
「ほう、それはお聞きしたいですな」
「ある情報がありましてね。どうやら、今このビルのどこかに、世間を騒がせているタレントの中野惟人さんがいるって言うんですよ…黒崎さん、中野さんのスキャンダルの事、ご存じですか?」
「まあ人並み程度なら…」
「じゃあ話が早い。あのようなスキャンダルをね、しておいて、中野さん、雲隠れしてて…我々マスコミの記者会見の申し入れを受けないばかりか、インタビューしようにも行方知らずで…だから、今回、ここに中野さんがいるっている情報は、我々にとって、とても貴重な情報なんですよ。そこで、黒崎さん、中野さんは本当にこのビルにいるんですか?あなたは、我々に正直さを求められたんだ。だったらあなたも我々に正直に答えるべきではないですかね?」
うわ…正攻法で、きやがった。
しかも正論ぶっていやがる…
「それはノーコメントです」
「あれあれ…それってズルくないですか?卑怯ですよね。私は中野さんがいるか、いないか?という二択の質問をした。だったらあなたは「いる」か、「いない」と答えるべきではないですか?」
「何ですか、あなたは?さっきから「べきべき」って。私の行動が私が決めます。あなたにとやかく言われる筋はない」
「そんな風に逃げた回答していると、あなたはもう「中野はここにいます」って、言ってるようなものですよ。まあいいです。我々はあの通りの向こうで待機して中野が姿を現すのを待つ事にしますから!」
「そいつは無理な相談だなあ!」
誰だ?
店の前に、でっぷりと太った金のアクセサリーだらけの老人が現れた。
「誰ですか、あなたは?」
「俺かい?俺はこの商店会の理事長の三好勝治だ。あんたら、道路使用許可取ってるかい?」
「いえ…でも、このビルの向かいは、新しく薬局ができるらしく、ずっとシャッターが閉まってますから、その前ならお商売の邪魔はしないと思いますが…」
「バカ野郎!相変わらず横柄な態度だなあ。お前らがカメラを立てたままで、あんなところに居座られたら、このビルは商店街の入り口に建ってんだぜ…みんな、この通りに入って来づらくなるだろうが…もし、客が減ったらお前さんたち補填してくれんのか?」
「いや、補填だなんて、そんな…第一お客が減っただなんて、測る材料をこっちは持ち合わせてませんし…」
「ダメだ。俺がさあ、ここの所轄、新宿東署にクレーム入れるからな。それまでに、さっさと撤収してしまいな!」
それを聞いて、マスコミの群れは一気に散開した。
私は三好の元へと歩み寄った。
「三好理事長、わざわざすいません」
「いやあ、いいって事よ。石堂に頼まれたらな、俺も断れねえわ。さて、俺も、コーヒーをご馳走になって帰ろうかな」
「ええ、どうぞ、どうぞ。中川君、三好理事長にコーヒー」
「かしこまりました」
私は店を離れ、エレベーターで9階に上がった。
9階の窓から下の通りを見ると、マスコミのロケ車が路上駐車しているのを取り締まるパトカーが見えた。
私は岩田に電話はしていない。
これも石堂の仕業か…