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【連載小説|ヒューマン】爽やかな人


真冬の晴れた朝7時過ぎ。
私鉄駅前商店街の真ん中近く。
私は、店のシャッターを開けようとしていた。
 
「田所さん、おはよう」と、私の背中に声をかける人がいた。
振り向くと、トレーニングウェア姿の沢木先生だった。
「おはようございます。先生、早いですね」
「僕?僕は普通さ。いつも通りの朝のウォーキングをしてきたところだよ」
「ウォーキングって、どれぐらい歩くんですか?」
「この商店街の行きつく先に川があるだろう。あの川の横の遊歩道を先の方にある中学校まで歩くんだ」
「ええ、それって、往復で5,6㎞はあるんじゃないですか?あの中学、私の母校ですけど、まあまあ遠いですもんね」
「母校、そうなんだ?いい学校だね。距離は測ってないからよく分からないけど、そんなもんかな?大体1時間半ぐらいだね」
「毎朝ですか?」
「そうだね」
「知らなかった…先生、お若いですね?」
「若い?若くなんかないよ…もう還暦はとうに過ぎてる」
「ええ、そうなんですか?髪も黒いし、そんな風には全然見えないです。それでおいくつなんですか?」
「63歳だね。もう年寄りだから、身体に気を付けないといけないんでね。町の医者がインフルエンザになんかかかってたら、みんな困ってしまうから」
「まあ、そうですね。頑張ってもらわないと、ですね。」
「ああ、精々頑張るよ。田所さんは今日は何でこんなに早いんだい?」
「私ですか?私は、うちの店で出す新作のデザートを考え中で…今度駅のすぐ近くにチェーン店のカフェが出来るでしょう?うちなんて、私がオーナーの小さなカフェだから、全然太刀打ちできないんですけど…それでもやっぱり、うちも何かやらないとなって、思って…私、調理師の免許は持ってるんですけど、製菓学校とかは行ってなくて…うちの今のデザートと言えば、コーヒーゼリーと、仕入れてるバウムクーヘンだけなんで、うちでもオリジナルのデザートを出そうと思ってて…」
「そう、それはいいね。で、何にするんだい?」
「いや、それがまだ、何も決まってなくて…色んな動画見たりして、研究中なんです。今朝はとにかくメレンゲを練習しようと思って、早く来たんです。先生、何かいいのを思いつきませんか?」
「さあねえ?今すぐには思いつかないよ。まあ、考えとくから」
「お願いします。先生、今日も朝食を食べますよね?」
「ああ、いつも通りで頼むよ。8時半には降りていくから」
「分かりました」
 
 

私は田所美鈴、BBカフェの店主で、バリスタだ。
うちの店は沢木先生が所有しているこのビルの一階に、一年半ほど前に入居し、オープンした。
沢木ビルは、二階が沢木先生が開業している内科医院、三階は託児所、そして四階が沢木先生の自宅となっている。
 
沢木先生は独身で、四階に一人で住んでおられて、朝食はうちの店で、必ず食べる。
うちの店が入居する時に、先生から出た唯一のリクエストが、「先生指定のメニューで朝食を食べさせる事」だった。
 
メニューとは、
こんがり焼いた厚切りトースト一枚に、バターと杏子ジャムを塗ったものと、目玉焼きとボイルしたソーセージを二本。目玉焼きにはウースターソースをかける。
というものだった。
 
どれも簡単なメニューだったので、私は請けさせてもらう事にした。
そしたら、格安の条件で入居出来た。
 

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