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【短編|読切】黒崎透(夜は暗い)スピンオフ 「イブの夜」


まだ8時過ぎだが、流石にうるさすぎて起きた。
今日は、クリスマスイブで、うちの店にもその余波がもう来てるらしい。
いつもなら、店にはまだ英郎君しかいない時間で、開店の準備を終えて、自分の本職である作曲をしている時間だ。

しかし、今日は違う。
うちにはカラオケはないのに、さっきから調子っぱずれな、クリスマスソングが聞こえてくる。

クリスマスイブの夜。

うちの店では、スパークリングワインのボトルを本数限定で安く出すのが恒例で、それを目当てに早くから来る常連が多い。しかも、7席しかない店なのに、時間での入れ替わり制を取ってないため、満席になると、それでもうちで飲みたい客は、必然的に立ち飲みになるのだが、それを厭わない酔客が多いと来たからたまらない。
賑やかさは、普段の店の二倍以上になり、ノイズはMAXになる。
みんな、酒のグラスを持ち、口々に、思い思いに、言いたい事を好きなように話す。
くだらない不倫の話、上司の愚痴、落ちない笑える話、取り留めのない自分の思いを語るヤツ、クリスマスの謂われを滔々と語る敬虔なクリスチャン、簡単に金を稼ぐ方法を教えたがる詐欺師のような投資家、来年の運気を見てやりたがるアマチュアの運命鑑定者、男を振り向かすためにどうすればいいかを本気でアドバイスを受けたがるOL、今年は息子が大学受験で家にいる場所がないとクサる初老のサラリーマン、みんな自分勝手に話す。まとまりもなく、誰かに伝える訳でもなく、また、分かり合う事もなく、とにかく話す。

これで僕が店に行くと、すぐに英郎君からSOSの発信を受けてしまい、僕はそのままずっとカウンターの中にいる事になる。

悪いが、そればっかりはごめんだ。

僕は、今日最初のコーヒーを飲み、そそくさと10階の自分の部屋から、表階段を使って9階に降り、店のドアを開ける事なく、エレベーターで下に降りた。

今日は、武蔵野の肉つけうどんを食べようと思った。


うどんを食った後、新大久保まで歩き、コロラドでコーヒーを飲んだ。
ここのコーヒーは口に合わないのだが、クリスマスイブの夜だ。どこへ行っても賑やか過ぎて、ゆっくりできない。その点、コロラドなら大丈夫だと思っての事だ。

案の定、コロラドに客はいなかった。
カウンターの中で、富田が自慢の葉巻を燻らせていた。

私は、その匂いが届かなそうな一番遠い席に座り、電子タバコを吸い、コーヒーを飲んだ。
彼の葉巻の匂いは、強烈で独特だからだ。

富田は何も話しかけなかったし、私もそうだった。
富田は競艇の予想に夢中だったし、私は有線で流れてるJAZZのピアノトリオを聴いていた。
私は音楽に詳しくないので、奏者が誰なのかは分からなかったが、とにかく古い演奏だという事だけは分かった。

そのようにして一時間ほどやり過ごし、私は席を立った。

金を払おうと伝票を見ると、Hコーヒー900円と書いてあった。

私は富田に「金額、書き間違えじゃないか?」と訊いた。
富田は「クリスマスチャージだ」と答えた。
私は彼に1000円札を渡し、100円を返してもらった。
地下から階段を上がりながら、私は首を振った。


私が部屋を出て、もうそろそろ二時間近くになる。
時刻はまだ、夜の10時を数分過ぎたところだ。


普通の店なら、この時間は絶好調で混み合う頃だが、うちの店は違う。
開店してすぐに入った客が、酔い潰れる頃で、次の客と入れ替わる時間だ。


まあ、そろそろ手伝わないとマズいかな?
そう思い、私は店の方へと歩き始めた。


「黒崎!」
怒鳴る声が聞こえた。
大型のダッジSUVが、路肩に止まっていた。
その後部のウィンドウが開いており、石堂が顔を出していた。
車内はガンガンに音楽がかかっており、石堂の声はよく聞き取れなかった。

「うるさいよ、音楽。ボリューム下げてくれ。何言ってるか、分からん」

石堂が運転席に指示して、音楽が小さくなった。

「いや、今俺は、最新のJPOPにハマっててな。お前、ミセス、知ってるか?」
「ミセス?何だ?」
「ミセス・グリーンアップルだ。知らねえか?コイツをさあ、カラオケでマスターしようと思ってて、車の中で練習してたんだが、どうにも上手く歌えなくてなあ。キーが高すぎるんだ」
「また、高い歌か?お前、懲りねえなあ… B’Zで断念すると思ってたのに… 高い歌はお前にはムリだよ。いかつい低い声でしゃべってるお前にはよ」
「いかついは、余計だよ。まあ、そういうな。一か月後にはマスターしてみせるから。それで、お前今、ヒマなんか?」
「ヒマじゃねえよ。店に帰るとこだ」
「そうか…うちの従業員の皆さんの慰労を兼ねて、今から赤坂に肉を食いに行こうと思ってるんだが、参加しねえか?」
「従業員の皆さんって、どうせ金次郎君とファン君の二人だろう?」
「正解!」
「正解じゃねえよ。こんなクリスマスの夜にさあ、若い二人を拘束するなよ。気を利かせて、何もないお前は一人で焼肉食ってろよ」
「バカ野郎。うちは12時解散でーす。12時になったら、みんな帰りまーす。若いヤツの夜までは束縛しませーん」
「何が束縛しませーんだ、バカだねえ。どっちにしても、俺はもう店に帰らないと、うちの英郎君がギブアップしてしまうからな。またな」
「ああ、そうかあ… これだから、飲食業の方々は大変なんだよな。まあ、頑張ってくれよ。金次郎、車を出せ」

ダッジは右のウィンカーを出し、タクシーが道を空けたので、すんなりと合流した。そらそうだろう、夜の新宿で、バカでかい黒のダッジだ。

「あんな車、赤坂のどこに駐車するつもりだろう?」と、心配になった。



ようやく店に戻って来た。
ドアを開けると、英郎君の横に島野がおり、二人で店を切り盛りしていた。
酔客の様子を見ると、殆どが出来上がっているようで、店が空くのは早そうな感じがした。

私はカウンターの中で手伝おうと思ってたのだが、島野がいるならそれは無理だ。
うちのカウンターは二人以上は入れない。

まあ、回ってるな

そう思い、私は自分の部屋のドアを開けて入った。



「黒崎!黒崎!」

誰かが呼んでる声で、私は目覚めた。

部屋で、最近私が気に入ってる「アラスカの原野で男が一人で、ログハウスを組み上げる」という長編の動画を見ているうちに、うっかり寝てしまっていたようだ。

私を呼んでいたのは、赤ら顔の岩田だった。

「何だ、お前、もう出来上がってるのか?」
「もうって、お前、今何時だと思ってるんだ?」

そう言われて、私は時計を見た。夜中の2時を過ぎていた。

「もう2時か…お前、今来たのか?」
「いや、一時間ぐらい前だけどな。常連のヤツらに絡まれて、中々お前に声が掛けられなかったんだよ。今夜はさあ、よりによって、クリスマスイブだってえのにさあ、うちのキャリア組の皆さんが忘年会を仕込んでくれたりしましてねぇ… 気を使うだけのマズい酒をしこたま飲んできたところです」
「そうか… 宮仕えも大変だなあ…」
「そうなんっすよ。まあいいや、黒崎、お前もこっちへ来て一緒に飲めよ。俺が面白い土産を買ってきたからよ」
「面白い土産?何だ、それは?」

私は岩田に促されて、店へと出た。
店にはまだ、常連が二人残っており、カウンターには英郎と島野がいた。

「黒さん、今日はもう店閉めて、一緒に飲みましょう?」と、島野が言った。
「ええ、もう閉めちゃうの?」と、梅野貞世という名前の占師の中年女性が言った。
「いや、梅野さんと野中さんはまだ居てもらっていいですよ。他のお客さんをもう入れないだけ。ね、黒さん、いいでしょう?」

野中とは、梅野といつも二人で来る70代の男性で、いつもビシッとスーツを着こなしてるのだが、困った事に、彼は「誰がどう見ても分かるかつら」を被っており、うっかり指摘するヤツが出やしないかといつも肝を冷やす存在だ。

「貞ちゃん、もういいよ。俺、もう眠たいからさ。この大福をもう一個だけ食べて、コップの酒を飲み干したら帰ろう」
「分かった… 野中さんの言う通りにするけど… いつも通り、タクシーで送ってね」
「ああ、分かってるよ… 送るから」

恐ろしい事に、梅野貞世は埼玉県の蕨市に家があり、野中は東新宿に住んでいるという事を前に聞いた事がある。

今晩も、無意味とは言わないが、無駄な時間を野中は使って、梅野を送っていくのか…

それにしても、「大福」?

どういう事だ?

岩田が私に、白いクリスマスケーキの箱を差し出した。

「開けてみろよ」

箱の中には、大福がいっぱい入っていた。

「だいぶ減ったんだぜ」
「これで減ったのか?」
「もっと箱一杯にギュウギュウに大福が入ってたんだ。忘年会が終わってな。ここへ向かおうと歩いてたら、路上で売ってたんだよ。クリスマス大福をさ」
「クリスマス大福?」
「ああそうだ。クリスマス大福。餅にさあ、樅ノ木を焼き印してるんだ。よく見てみ」

本当だ。一個一個に樅ノ木の焼き印がある。

「これ見たらさあ、俺、嬉しくなっちゃって… で、クリスマスイブで半額だって言うから、あるヤツ全部買い占めて、ここに来たんだよ」
「あるヤツ全部って、何個ぐらいだ?」
「残ってるヤツ全部で、78個もあったんだ。でな、ここで、常連に出してやったら、みんな「美味え、美味え」って、バクバク食ってな。イッキに酒で流し込んで…それで、どうだ?20個ぐらいは減ったかなあ?」
「ええ、それじゃあ、ここにはまだ50個以上があるのか?お前、残ったら持って帰れよ」
「バカ野郎、ここでみんなで全部食っちまえばいいじゃねえか?美味えぞ、冷酒とか」
「いや、気持ち悪い事言うなよ。確かにお前は、そんな飲み方、食い方出来るけど、他のみんなはそんな事出来ねえだろう?食っても一個ぐらいで…」

「いや、そんな事ないぞ、黒さん。わしゃあ、もう三個食ってるし、後一個食ってから帰るつもりじゃからな」と野中が言うと、「私はまだ二個だけど、岩田さんに断って、後二個をお土産にもらおうと思ってるのよ。明日の朝、焼いて食べるの」と梅野貞世が言った。

カウンターの中では、英郎君と島野が仲良く大福を食べながら、ウィスキーを飲んでいた。
島野は当然ストレートで、英郎君は薄い水割のようだ。

「腹減ってたからかなあ、なかなか美味いっすよ、この大福」
「そう、あんまりアンコが甘くないから、何個でもいけちゃう。黒さん、明日からこの店、休みでしょう?もう一緒に飲んだら?」
「ああ、分かったよ。僕も飲もう。スコッチをロックでくれないか?」
「かしこまりました」
英郎君が手際よく私の酒を作ってくれた。

「じゃあ、私たちはこれで…あんまり遅くなるとタクシーいなくなっちゃうから… ねえ、岩田さん、後二個頂戴って言ったけど、美味しかったので、10個もらえるかしら?」
「ああ、構いませんよ。何個でも持って行ってください」
「ありがとう」 そう言うと、梅野貞世は持ちきれないほど大福を取った。多分10個以上は取ったような気がするが、見なかった事にしておこう。

梅野と野中が店を出た。

英郎君が「クローズド」の看板を出しに行った。

私は大福を一口齧り、ウィスキーを飲んだ。

こんな風に岩田がしてるのを何度も見た事があったが、自分で試したのは今日が初めてだった。

ん?

美味い…

「どうだあ?イケるだろう?」岩田が勝ち誇ったような口調で言ってきた。
「… うむ… 」
「負けず嫌い根性出すなよ。素直にただ一言、「美味い」と言え」
「う、まい… 」
「ほら、負けだな。お前、この後みんなにもんじゃ奢れよ」
「もんじゃって、重三の店か?」
「当たり前だ。こんな遅くにやってるもんじゃ焼き屋なんて、重三のとこしかねえ」
「分かった。あそこなら安いからいいよ。でも、大福食った後で、もんじゃ食えるかな?」
「バカ野郎。夜は長えよ。ゆっくりやればいい」


そうだ、夜は長い


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