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【連載小説|長編】黒崎透④ 「いきがかり上やむ負えず中野をかくまう事にする」

私のビルは平成のバブル絶頂期に建ったもので、個人の持ち物としては大きめのビルだ。
1フロアは30坪もあり、各階毎に2軒から3軒の飲食店がテナントとして入居している。
私の店黒バーがある9階も、実はうち以外に2軒の店が入っていたのだが、今は空き店舗になっている。9階はこのビルの最上階で眺望良好のため、中々家賃を下げられないからだ。
 
10階もフロア面積は30坪ある。
ここは昔、このビルの管理事務所と、入居者を集める会議室があったスペースで、私は元の管理事務所があった10坪を自宅に改装して住んでいる。
 
10階に上がった私たちは、中野を会議室があった部屋のドアの前で待たせ、私だけ自宅に入った。そして、必要な寝具を持ち出してきて、会議室のドアを開け、中野とともに入った。
 
ここは20坪もあり、流石に広い。
 
中には会議用の長机とパイプ椅子が片隅にきちんと並べて収納してある。
部屋の東側に大きな窓があり、その反対側にソファベッドが一つある。
 
私は持ってきた寝具を長机の上に置き、ソファベッドをベッドにしてから、布団や毛布を敷いた。
ベッドの正面には大型TVがあるので、枕にそのリモコンを置いた。
 
「それはTVのリモコンか?」
「そうだ」
「じゃあ俺には必要ない。TVなんて見たくもない」
「分かった。じゃあTV台の上に置くよ」
「そうしてくれ」
 
 
「ここは何だい?」
「見ての通りさ。貸し会議室というか、うちのテナントが集まる時のスペースだった場所だ」
「広いが、殺風景だなあ」
「それは仕方がないな。隣に私が住んでる部屋があるが、そこはとにかく狭くてね。ここで寝てもらうしかない」
「なるほど」
 
私はエアコンのスイッチをオンにした。
長く使ってなかった天井の吹き出し口から冷風が吹き出した。
 
「冷房か?寒いじゃねえか…」
「長く使ってなかったからな。もうすぐ温風が出てくるよ」
「そうか…あそこにあるのは流し台か?」
「そうだ。湯は出るよ」
「それはありがたい。コーヒーは飲めるか?」
「コーヒーが欲しいのか?」
「俺はコーヒー好きでな。あれば欲しい」
「酒は?」
「今はいらん。頭をはっきりさせておく必要があるからな」
「まあそうだな。普段は飲む方なのか?」
「若い頃はざるだったが、今はめっきりだな」
「年だな」
「ああ年だ。そうそう、トイレと風呂はあるのか?」
「トイレはここを出て右にある。風呂は俺の部屋で使ってくれ。風呂に入りたいのか?」
「いや、今日はいい。コーヒーもいいや。とにかく眠いんだ」
「腹は?」
「減ってない」
「そうか、じゃあ寝ろよ」
「ここまでしてもらって悪いんだが、まだ頼みが二つある。パジャマを貸してくれ。後、歯ブラシ、新しいのないか?」
「パジャマはノベルティの長袖Tシャツとジャージがあるからそれを持ってくる。歯ブラシは新しいのがある」
「パジャマは、着れりゃあ何でもいいよ。とにかくこの似合わねえ格好をしてるのをやめたいんだ。変装のためとはいえ、流石に50のオッサンがラッパーじゃあさあ。本物なら似合うんだろうけど、俺みたいなニワカはなあ。辛かったんだ」
「そうかい?なかなか似合ってるように見えるがな」
「茶化すのはよしてくれ」

 
私は自分の部屋に戻り、パジャマ代わりの新品のノベルティのTシャツとジャージの下と、歯ブラシとコップと歯磨き粉と、来客用のマグにコーヒーを注ぎ、中野がいる会議室に戻った。

 
中野はソファベッドの横に長机を一つセットし、パイプ椅子2脚を並べていた。
私は持ってきたものを長机に置いた。

 
「おお、コーヒーも飲めるのか?ありがてえ。いい香りだな。どこの豆だ?」
「ここの1階にあるカフェの店長のお薦めだよ。グアテマラ産がメインだと言ってた。俺は詳しくないんで、それぐらいしか答えられないが…」
「それは俺も同じだ。全然詳しくねえ。ただ、聞いてみたかっただけだよ。黒崎、色々、ありがとう。助かったよ」
「いいよ。まあ疲れてるだろうから、今日は寝たらいい。俺は普段はここの店を5時までやって、朝になったら酒を飲み出すのだが、明日の朝はそうもいかないだろうから、俺も早く寝て、午前中には起きるようにするよ。話はその時にしよう」
「分かった」
 
私は部屋を出た。
中野は着替えを始めているようだった。
 

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