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【連載小説】夜は暗い ⑪

会話が途切れた…

「聖なる光教団」という名前のインパクトが強すぎて、私も島野も二の句が継げなかったからだ。

聖なる光教団は、キリスト系の新興宗教団体で、そこまで大きな問題を起こしてないが、他の宗教法人との小競り合いや、信者間のトラブルなどが絶えない団体で、数年に一回はワイドショーに話題を提供している。

教祖は君塚正道で、年はもう90歳近くになる筈だが、まだ存命であり、教団を率いるパワーは漲っているようだ。
正道は、結婚と離婚を繰り返しており、彼には三人の妻がいる。しかも、奇妙な事にその妻たちは別れた後も、正道の自宅に住み、教団内でもそれなりの地位で崇められている。
つまりは一夫多妻制が認められていないこの国で、合法的に複数の妻を娶っているのだ。
妻たちにはそれぞれ子がおり、男子には正道の正の字をつける事が決まっている。
正治氏が何番目の妻の子かは知る由もないが、正治という名前からも正道氏の実子である事は間違いないだろう。



私は二十年以上刑事をしてきた。
その間もそうだが、今も新宿という街で起きる出来事に少なからず関わってきた。

その私が出来るだけ関わりたくないと思い避けてきたのが、「未成年」と「宗教」の案件だ。
この二つは、私の長いキャリアでもなかなか普通に手に負えるものではないと感じている。
刑事だった頃は、自分が担当する事件を選べる立場ではなかったので、それらの関係する事件も担当したが、どれも気持ちの良い結末を迎えるものは少なかった。
だから刑事ではなくなっている今は、極力そう言ったものは自分からは遠ざけるように生きてきた。しかし、今日は何だ?昨夜、ふと受け入れてしまった「ケータ」のせいで、「未成年」の案件で動く事となり、その道のエキスパートである島野瑤子とバディを組んで動く事になった。彼女は蟒蛇であり、私の大切な泡盛の古酒を一晩で飲み切ってしまうと言うダメージを食らった。そして、今は「宗教」と来た。
私はここから立ち去りたい気持ちでいっぱいになって、立ち上がった。

「どうされました?」山本由佳里が訊いた。
「あっ、いや、ちょっとトイレをお借り出来ますか?」
「ドアを出て、廊下を右へ、二つ目のドアがトイレです。丁度いいわ。私もちょっと外すわね」
そう言い、彼女は、ダイニングへ向かった。
「ちょっと、大丈夫?」島野が私に訊いてきた。
「えっ、何が?」
「二日酔いが取れてなくって、吐くんじゃないでしょうね?」
「いや、二日酔いはもう取れた。でもね、今の話だけで僕は吐きそうだよ。今は吐かないけどね」
「聖なる光教団の事?」
「ああ、厄介だね。確かに僕はあの街の萬相談役みたいな事をやってるけど、請け負う話はシンプルなものに限ってるからな。まあいいや、トイレに行ってくる」
「早く帰ってきてね。後、次は私に話をさせて」
「OK」
そう言って、私はドアを出た。

私が席の戻ると、山本由佳里も戻っており、普段着にエプロンをした女性が、テーブルに高そうなカップアンドソーサーとポット、ウィスキーのボトルとさっき見たのとは違う緋色の液体が入ったデキャンタを順番に置いていた。
全部を並べ終えると、普段着の彼女はダイニングへと帰っていった。
彼女は家政婦だろう。歳は山本と同じぐらい、50代前半ぐらいで、髪はショートカットで、サーモンピンクの半袖のニットにベージュのパンツを履いていた。エプロンはクリームイエローで、淡い色使いで調和がとれていた。

そう言えば、私は山本由佳里の外見チェックを失念していた。
今彼女は、銀色のシルクのローブを着ており、その中は見えない。まさか全裸という訳ではないだろうが、丈の長いローブのスリットから見える足は生足だ。
毛量が多く、全てをライトブラウンに染めており、巻き髪だが、今はセットしていないせいで、毛先があっちこっちを向いている。
薄く化粧をしているようだが、さっきも言ったように若干顔色が悪い。
しかし、肌は奇麗で、とても私より年上のようには見えない。
私はアラフィフ、48歳で、多分彼女もさっきの家政婦と同じ、50代前半だろう。

「コーヒーはお飲みになる?」と山本が私に訊いてきた。
「ええ、いただきます」
「砂糖やミルクは?」
「いえ、ブラックで」
「ウィスキーは垂らす?コーヒーの味を引き立てるわよ」

そうか…彼女は酒が切れかけてたんだ…だから、あんなに顔色が悪かったんだ。

「いただきます」
「えっ?いいの?」島野が心配そうな目で私を見る。
「迎え酒だよ。大丈夫だ」
「じゃあ私もちょっと入れてもらえます?」と島野は山本に言った。
「あなたは砂糖もミルクも入れたじゃない。それで大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫です。お酒なら何でも構わない口なので」
「そう。でも、それだとこの上等のスコッチウィスキーが台無しになるわ。漆原さん?」
「はい」さっきの家政婦が戻ってきた。
「こちらの方用に一オンスグラスを持って来てくださらない?」
「かしこまりました」
家政婦はすぐにグラスを持ってきた。山本はそれにウィスキーを注ぎ、島野に渡した。
「これでいいわ。あなた、ウィスキーはウィスキーだけを楽しんで。そのミルクコーヒーをチェイサーにしてね」
「分かりました。ありがとうございます」と島野が礼を言った。

次に、山本は私のコーヒーをポットから注いだ。その後、ウィスキーを注いで、私に渡した。
最後に自分のコーヒーにはデキャンタに入った緋色の液体を注いだ。

「私はこれ。ブランデーなの。私はウィスキーが苦手で…」
「そうですか。因みに銘柄は?」と私が訊いた。
「さあ、気にした事ないから分からないわ。でも、きっと上等のお酒よ」
「そうですか。ではいただきます」

私たちはそれぞれのカップを持ち、コーヒーを楽しんだ。
一口飲むと、すぐに美味いウィスキーだと分かった。
コーヒーが格別に美味いのだが、それでもウィスキーの芳醇な香りが立っていた。

島野は一インチ摺り切りのウィスキーをまるでテキーラを飲むように一気に飲み干した。
そして、島野が話し始めた。

「あの、話を続けてもいいでしょうか?」
「ええ」
「私はあの街で未成年たちが関わってしまうトラブルの解決を手助けするボランティアをやってます」
「そう、奇特な方なのね」
「奇特?奇特かどうかは分かりませんが、私にはどうしても解せない事があります」
「解せない事?何かしら」
「さっき、あなたは娘の有紗さんが二週間も家に帰ってないと言いましたよね」
「ええ」
「なのに、あなたは警察にも届けてないし、今はご自宅でくつろいでお酒を飲んでいらっしゃる。これはどういう事ですか?あなたは有紗さんが心配ではないのですか?」
「あら、そんな事。それなら私は心配してません。あの子は前の夫の君塚の家にいる筈ですから。前の夫と言っても、まだ籍は残っていますけどね」
「それは確かですか?」
「分からないけど、間違いないと思ってます。何せ、有紗は実の親である私よりも最近父親になった君塚の方が好きだったんだから…」
「なるほど…で、君塚さんは今どこにお住まいかご存じですか?」
「いえ、教団が所有する不動産は結構たくさんあって、どれに住んでいるのかは分かりません。因みにここも教団名義の不動産の一つなの。だから、簡単に離婚できないのよ。あっさり別れちゃうと、明日から私が住むところがなくなっちゃうから」
「君塚さんと連絡は取れますか?」
「弁護士を通じてなら」
「では早速連絡していただけますか?出来るだけ早く私たちは彼に会いたいのです。彼に会って、有紗さんの無事が確認できれば、私たちは帰ります」
「分かりました。あなた達が帰ったら、弁護士に電話します。まだ時間が早いから多分電話を取ってくれるはずです」
「じゃあお願いします。私の名刺をお渡ししますので、弁護士に番号を伝えて下さい。そして、その後の連絡はこの番号に入れてもらえるようにお伝えください」

そう言って、私は山本に店の名刺を渡した。

「黒バー?お店なの?」
「新宿のバーです」
「そう…分かりました。じゃあ、弁護士に伝えるわ」
「宜しくお願いします」

私たちは帰った。


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